「扇情的」西部戦線異状なし 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
扇情的
連合国側の映画をみる機会はありましたが同盟国側の映画を見る機会はなかったように思います。
一青年の視点を通じて1917やThey Shall Not Grow Oldのような戦場がうんざりするリアリティで描かれていました。
原作はドイツの有名な小説で、アメリカで映画化され古典になってもいます。
泥濘で命を散らせる一兵卒と、机上で空論を戦わせている偉いさんが対比的に描かれます。エモーショナルでフラグも立ちまくる扇情的な筋立てでした。残虐や愁嘆もくどい印象を持ちました。
小説を知らないわたしでも題名が司令部報告にゆえんするものだと知っていますが、そのような場面はありませんでした。ただし、本映画化に際して小説は脚色され、和平交渉の場面などは追加されたものだそうです。
『──「西部戦線異状なし」の作者エーリヒ・マリア・レマルクは1916 年に学生として戦争に徴兵されましたが、すぐに負傷し、軍病院に移送されました。そこで彼は、重傷を負った他の兵士の話を聞き、後に世界的に有名な小説で使用されたメモを作成しました。売上を伸ばすために、レマルクはすべてのイベントを自分で目撃したと主張しました。』
(wikipedia、Im Westen nichts Neuesより)
西部戦線異状なしはフィクションですが、大志や理想をいだいて戦争へ参加した青年が恐怖し、悲しみ、恥じ入り、幻滅し、疲弊し、心を閉ざす行程──人間が非人間的になるメカニズムが描かれ──それは東西を問わず遍く普遍性のあるキャラクターとして存在しています。
かれが連合国でも同盟国でも、どちらでも通じる話である──ということです。
Edward Berger監督は、映画化にあたって、英雄的なものを排除したことを強調していました。
『「ドイツでは、おそらく他の国とは異なり、自分たちの歴史をより批判的に扱います。」
「アメリカやイギリスの作品とは異なり、ドイツの戦争映画には美化の感覚はあり得ない。」
「私たちはここで英雄的な物語を語ることは許されていません。それは常に悲しみ、恥、罪悪感、恐怖に関するものです。そしてもちろん、これらの戦争で誇れるものは何もありません。」』
(同wikiより)
Berger監督のヒロイズム排除方針は、おそらくサムメンデス(1917)にたいする対抗心があると思います。1917とまるかぶりの塹壕映画ですから、差別化をしたかったのでしょう。(──と個人的には思いました。)
しかしアメリカやイギリスの作品──とて、かならずしも自軍を美化しているわけではありません。むしろ自省する映画のほうが多いはずです。
とはいえサムメンデスに対する対抗心がこの映画のリアリティをあげていたのはまちがいないと思います。映画には恐ろしい説得力がありました。
『西部戦線は1914年10月の開戦から程なく塹壕で膠着。1918年11月の周旋まで前戦はほぼ動かなかった。わずか数百メートルの陣地を得るため、300万人以上の兵士が死亡。大戦では約1,700万人が命を落とした。』
(お終いのテロップより)