「いずれにしても、松村の生き様は胸に痛い」渇いた鉢 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
いずれにしても、松村の生き様は胸に痛い
妻とは「できちゃった婚」であることを、結婚式に列席した友人・知人にはオープンにできるほど、気さくな人間関係に囲まれていたはずなのに、ある出来事を契機として、その生活がどんどん荒(すさ)んでいく様子は、見るに忍びないものでした。
親子3人で朝食の食卓を囲んでいたときの松村は、出勤前のワイシャツ姿でしたから、いわゆる「ホワイトカラー」の職には就いていた様子。
後にブルーカラーの現場作業員に変わったのも(そしてそこでは、人間関係にもあまり恵まれていないかのような)、事件を契機に、彼の生活がすっかり荒んでしまったたことと、無関係ではなかったことと思います。評論子は。
かつては(娘が楽しく遊んだ彼女のおもちゃの一つだった?)ゾウさんの如雨露で水やりをしていたのに、生活が変わってしまってからは、その日課も、すっかり怠ってしまっていたよう。
手入れを怠って、すっかり乾いてしまった植木鉢が、彼の荒んだ生活そのものを雄弁に物語って、余りがあったと言えると思います。
それでも、鉢は乾いてしまっても、松村は、そんな不遇にあって、松村が「自分の生き様」について熟慮に熟慮を重ね、それを定めかねているさまは、「渇いている(渇望している)」とは言えても、決して「乾いてしまってはいない」(干からびてしまってはいない)―。
そう思いました。評論子は。
そしてそれが、本作のタイトルが「渇いた」鉢なのであって、「乾いた」鉢ではないことの謂(い)いなのだとも思います。
もう少しだけ説明的なセリフがあった方が、観ている方としてはストーリーの展開を掴(つか)みやすかったなどの難点もありましたし、監督の(独特の?)イマジネーションの世界に付いていくのは、正直、いささか大変でしたけれども。
映画作品としては、なかなかの佳作だったと思います。
評論子は。