桜色の風が咲くのレビュー・感想・評価
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文科省推薦のような作品。 眼科医としてリリー・フランキーが出てきた...
文科省推薦のような作品。
眼科医としてリリー・フランキーが出てきた時点で嫌な予感しかしなかった。
名医なわけがないから(笑)
ヤブ医者役も上手いリリー
2024年4月6日
映画 #桜色の風が咲く (2022年)鑑賞
生後5ヶ月で眼病を患い3歳で右目、9歳で左目を失明する、18歳のときに特発性難聴で失聴し全盲ろう者になった東京大学の #福島智 教授と彼を支え続けた母と家族
盲ろう者のコミュニケーション手段として指点字をこの母が考案した
母の力は偉大
母の葛藤と、何度も苦難を乗り越える強い愛
治療や診察のたびに泣く幼い我が子。
片目ずつ視力を失っても、心の目があると、ポジティブに向き合う子。前向きに努力する中、聴力までも少しずつ失う不安、失望感を思うと、ほんとに心が締め付けられます。
私も子を持つ母として、代われるものなら代わりたい。それでも寄り添うことしか出来ないもどかしさ。
それでも前を向いて生きていく大切さを教えてもらいました。
最後に小雪さんが語る詩。とても胸に沁み渡りました。
《生命は自分自身だけでは完結できないようにつくられているらしい。
花も雌しべと雄しべがそろっているだけでは不充分で虫や風が訪れて雌しべと雄しべを仲立ちする。
生命はその中に欠如を抱き それを他者から満たしてもらう。
世界はたぶん 他者の総和。
しかし互いに欠如を満たすなどとは知りもせず、
知らされもせず ばらまかれているもの同士
無関心でいられる間柄
ときにうとましくし感じることさえも許されている間柄
そのように世界がゆるやかに構成されているのはなぜ?
花が咲いている
すぐ近くまで アブの姿をした他者が
光をまとって飛んできている
私もあるとき 誰かのためのアブだったであろう
あなたもあるとき 私のための風だったかもしれない》
学校の授業で流してほしい映画
過酷な状況になろうとも
懸命に生きるヒューマンストーリー。
これが実話だろうと、創作だろうと
とても素晴らしい映画。
まだ子供であるから
目の前の不安に押しつぶされそうになり
先が見通せずにいる。
生きる勇気を自ら見出し
諦めずに一筋の光を見つけ、
それが生きる糧となる。
田中偉登の演技力に圧倒されます。
久々に泣きました。
これ日本アカデミー賞獲ってないの?
僕の世界が遠ざかっていく 〜 支えた母、家族の思い
幼い頃から辛い治療を続ける我が子を支えた母・令子を小雪さんが演じる。慈愛に満ちた小雪さんの表情が美しい。不安や罪の意識に苦悩する母親を熱演。息子から届いた点字で書かれた手紙を読むシーンがいい。
挫けそうになる気持ちを奮い立たせ、前向きに生きる福島智さんを田中偉登さんが熱演。
夫( 吉沢悠さん )や二人の兄が抱える複雑な思い、さり気なく気遣う言葉が切ない。
吉沢悠さんのナチュルな演技も光っていた。
ー 自分らしく生きたい
ー「 指点字 」
Eテレを録画にて鑑賞
自分の人生…自分らしく…生きる
目が見えなくなる
耳が聞こえなくなる
私には想像もできない世界です
闇の中。無音の世界
…怖いです
生きて行くのもつらい
そんな中で母が常に寄り添い
…側にいてくれた
彼にとっては救いになっている
コミュニケーションをとれる術を
考案してくれた
桜色の風が…咲く
ちょっと泣けました
(じんわり泣けた)
確かな爪跡
福島智さんは、世界で初めて盲ろう者の大学教授となる。その母、福島玲子さんは「指点字」を考案した。苦難の中、この世界に確かな爪跡を残して素晴らしいですね。
それに比べて僕は何を成し遂げているのだろうと、こういう映画を観ると考えてします。
とても良い映画でした。
深海で光るクラゲ
目が見えず、耳が聞こえないって、宇宙や深海に一人漂う感じだろうか。真っ暗で無音。ただ、匂いや手触りはわかる。何かが動いて起こる空気の流れや、振動、陽のあたたかさ、雨や雪の冷たさ、それは皮膚で感じることができる。でも、やはり不安だよね。人は、視覚と聴覚から得る情報に、かなり頼ってるもん。誰かに支えてもらわないと、生きていくのも難しいし。
モデルとなった福島智氏は、以前テレビで見たことがあり、指点字で会話するスピードに、驚いた記憶がある。障害があるなんてわからない程のしゃべりだった。その理由が映画によってわかった。あの発話のクリアーさは、聴こえる時間があったからなんだね。しかし、聴覚を失うことがわかった時、恐怖と絶望に打ちひしがれる智の姿は、全く無関係の人間でも見てて辛いのに、家族はどれほどの思いだっただろう。
小雪は演技は悪くないが、やはり雰囲気がゴージャスというか、きれいすぎるなぁ。普通の主婦に見えん。智役の田中偉登くんは良かった。音楽室で聴こえないピアノに耳を当てるシーンは、とても爽やかだった。
深海のクラゲは真っ暗な海の中で、発光する。福島先生は、クラゲのように美しく光っていると思う。著者を読んでみようかな。
NHK Eテレの放送を視聴。
気が滅入るなぁ こんな人生大変すぎて気が滅入る こんな人がいるんだ...
気が滅入るなぁ
こんな人生大変すぎて気が滅入る
こんな人がいるんだから自分は全然幸せだ頑張ろうと思えるわけでもなかった
謎の関西弁の設定が邪魔だったな関西弁好きじゃないからちょっと耳障り
奇跡の人‼️❓
全盲ろう、目も見えず、耳も聴こえない人の実話。
本人の苦労はもちろんだが、親の凄まじき想いは、子を持つ親の身として、涙が止まらず、その勇気に魂を揺さぶられました。
普通とはなんだろう、何か自分に出来ることはないか、人と繋がるとはどうゆうことか、
生きる意味はどこにある、さまざまな想いと疑問が交錯してまとまりません。
ただ、彼らに生きる勇気をもらえました、また、私も誰かに勇気を分けられるような生き方をしたい、そう、心の底から思いました、本当に、ありがとうございました😊😭
これぞイノベーション
号泣しました。見て良かったです。
ある男性が徐々に五感を失う中、家族で悲しみを乗り越えていく物語。病気の中でも明るく生きようとする姿に心打たれます。
しかし智さんの人生は壮絶の一言。片目が見えなくなり、次に視覚が全てなくなった段階で絶望だったと思いますが、それを乗り越えた後に今度は聴覚が…
目も耳も聞こえず、コミュニケーションは当然取れません。世界に取り残されているようだとの言葉や、智さんが令子さんに手を触れながら歩く描写が、その辛さを本当に際立たせていました。
そんな中、令子さんが指点字を編み出します。指点字とは指で点字を表すものです。盲学校で一人暮らしをしていた智さんに点字のタイプライターで手紙を作って送っていた令子さん。
子と何とか意思疎通したいと点字を学んだ彼女が、聴覚も失い孤独にくれる息子と何とか意思疎通を取ろうとして指点字を思い付いたのでした。
2人は指点字を元に再び通じ合えるようになり、智さんも孤独から解放されました。この指点字の瞬間は本当に美しく涙が止まりませんでした。是非見て欲しい映画です。
悲劇は平等ではないが、幸福は増すと信じたい
2022年劇場鑑賞89本目 傑作 75点
タイトル通り、2022年下半期もっとも純粋に号泣した作品
確か季節の変わり目、服装の季節感が定まらづに少し厚着で渋谷のユーロスペースに行くのに電車に乗り遅れ走って向かって汗だくで少し遅れて鑑賞した気がします
今作は元々鑑賞予定ではなく、当サイトでの高評価が暫く続き、レビュー数が増えてもずっと☆4.0を保っていたので気になり鑑賞しましたが、まあ真っ直ぐに届きましたねえ
展開やストーリーは予告や予想通りで、それについての期待や裏切りは無いし、この手の作品にそれは相応しくないので、ジャンル映画として純粋にレールに乗っかってみていましたが、今作は単なるお涙頂戴映画ではなく、どちらかというと実録を味付けせずにそのままの純度で描いたドキュメンタリーに近い
こんなに懸命に前を向いて生きている人を見ると自分がいかに恵まれていて、ぬるま湯に浸かっていて、本気で生きていないのに気付き辛くなるのと同時に、当事者になったらとてもこの人の様には生きれないとも思って、ただただ関心する
当事者は勿論、母がすごく優秀なのがわかります
是非
「あたりまえ」を変える
You Tubeの心理カウンセラーでよく聴いている方のお話に「あたりまえ」を「ありがたい」に変えることが、人生の幸福度を上げるための秘訣だというものがあります。これを思い出しました。評論子は。本作を見終わって。
本作になぞらえると、見えること、聞こえることが「あたりまえ」ということではなくて、見えて、聞こえて「ありがたい」といったところでしょうか。
人間得てして失くしてしまったものの大きさに悲嘆し勝ちですけれども。
しかし、まだ「触覚が残っている」という「ありがたさ」に気づけたからこそ、指点字を発案することができたとは、言えないでしょうか。
とくに「気短か」「せっかち」を地で行くような評論子には、心に沁みた一本になりました。
佳作であったと思います。評論子は。
(追記)
他のレビュアー諸氏も言及していますけれども。評論子も、このお父さんは意外とタダ者ではないように思います。
一見すると、智君のことはお母さんに任せて「我関せず」といった姿勢に徹しているようにも見えますけれども。
しかし、どうしてどうして。
時々ですがブレそうになるお母さんの軌道をちゃんと修正するし、智君の状況や動静にも関心を払うことを怠っていないようです。
むしろ、親はいつまでも面倒を見てやれるわけでもない(当たり前ですが「長幼の序」から言うと、自分の方が確実に早くこの世から消えてなくなる)。
そのことを見据えて、まず自分がしっかりすること。変わったばかりという職場で、むしろ早く一人前としての地歩を固めることが、むしろ智君の生活の安定にとっても必要という信念を揺るがずに堅持すること…。
評論子を含む凡人であれば、ついお母さんと一緒に右往左往してしまい勝ちで、こんなお父さんは、そういないのではないではないかと思いました。
その意味で、とても関心を惹かれました。このお父さんには。評論子は。
春の息吹を感じる意欲的な作品
主人公の男性、智が幼少期に視力を失って
盲学校に入った後の18歳に聴力も失くなり
家族に支えられながら、成長していくストーリーでした。
兵庫県の都会的な街並み、川に架かる橋を
母親と息子の2人、自転車とマラソンで連れ立って走る場面、試練や困難にぶつかり
胸が苦しく押し潰されそうになる自分の姿がありました。
家庭を護り、ひたむきに生きていく家族に
深く感銘しました。
盲ろう者となった息子の智に指文字を教えた
お母さんは新しく人生を切り拓く、息子さんの道しるべとなりました。
自然界にも花が咲くけど、自分の力だけではなく何かの助けがあって花開くことを知りました。
海辺の静かなさざ波、砂浜に光がまとう
春の息吹と共に新芽が生えてくる
人に支えられて生きる歓びを感じるストーリーでした🌸
事実とそのモデルへの敬意に溢れた圧巻の1本
2時間ではとても語り尽くせないはずの壮絶な生の闘いを、節目々々の出来事を淡々と積み重ねることで見事に描き切っている。制作者や演者らが、物語は事実に基づいているのだということに深い畏敬の念を持って臨んだ、その成果なのだと思う。
のほほんと生きてきた自分には見えなかったもの、知ることのできなかったもの、感じ取れなかったものが山ほどあったのだろうと、恥じ入るばかりだ。
こんなに密度の濃い内容をさらりと「桜色の風」と名乗らせる、その抑制の効いたセンスにも脱帽だ。
認められる意義といくつかの問題性
この作品の存在を知ったとき、27年前に浜木綿子氏が「おふくろシリーズ」で同様の母子物語を演じたテレビドラマや、ご本人たちが NHK教育テレビ『ようこそ先輩』に出演して生育歴を語られた映像を思い出し、それらをできるだけ思い浮かべながら鑑賞に臨んだ。大きな違いを感じたのは、『ようこそ先輩』では、令子氏が智氏の段階的に障がいを深めていく過程を明るく語られていたので、ショックはそれほど大きくなかったのかもしれないと誤解していたのが、この映画を観ると、それぞれの段階でかなり深刻な悩みを抱えられていたのがまざまざと伝わってきた。そういう点では、
このたびの制作には意義深く感じた。赤ちゃん時代を演じた子を生き生きと演じさせるに当たって、パンフレットには、令子氏役の小雪氏がすっかり懐くまであやして関係づくりを進めていた努力が説明されていた。智氏は、母がモデルの映画なら断れない、と引き受けることになり、誤解や誤認が生じないように脚本のチェックを条件とし、特に可哀想な人の話にしないこと、苦悩してものを壊したり暴れるということはなかったので、そういう脚色はしないでほしいということを要望していて、第1稿からかなり注文をつけ、二十数回に及び、智氏は、視覚障がい者や盲ろう者に属する部分はかなりリアリティのあるものとなったという手応えを得るとともに、小雪氏に対しては、チャレンジ精神にあふれ、パワーがあり、「母親」であるところが令子氏と共通しており、田中偉登氏に対しては、ガッツに柔軟性、ユーモアもあるところが、自分に似ており、この作品で描かれる智氏の例を通して、世の中には色んな人間がいる、ということを感じてもらえれば良い、と述べていた。
悪い印象を受ける父の正美氏も、映画で描かれるように、両眼とも失明の恐れのある智氏に気遣って、実際にご自分もサングラスをかけていたことが明らかにされている。撮影条件の制約から、盲学校生活での影響を受けた友人や教師の出演機会が限られ、集約された役柄の造形がなされたところは評価したい。ただし、なぜ東京の盲学校を選んだかの理由がわからなかったので、説明がほしかったところであった。
この母子がたびたび深い絶望に襲われ、指点字の発見から新たな世界への扉を開かれた様子は、ヘレン・ケラーがサリバンとの格闘の末に指文字を綴り、言葉の認識を得た瞬間にも相当するところだと思えた。そうした格闘の努力は確かに敬意を感じるところではあると思うけれども、監督の松本准平氏が焦点を当てているのは、母の息子への献身であり、プロデューサーの結城崇史氏が観客に伝えたいことは、乗り越えられない苦難はない、ということのようである。私個人としては、抵抗感のあることがらである。まさに、世の中には色んな人間がいる、と受け取るに止めたいところである。あえて気になったことを挙げるとすれば、時代的制約でもあろうとは思われるし、徐々に姿勢の変化はみられるものの、結城氏の意向であえて加えられた父親の正美氏の言動で、家族のなかで障がい児のケアが母親任せにされるだけでなく、さらに父親の自分も含む他の家族の日常的ケアの負担をも求めるように追い込んでいったこと、いじめへの対処において、本人が強くなることに解決を求める傾向があったこと、本人の進路選択に当たり、常識的な限界を想定し、諦めることを選択肢として提示したことは、長尾医師の冷淡な姿勢とともに、反面教師として、これからの時代では、障がい者の社会進出を進めるために減らす努力をしていかなけらばならないところではないかと思われた。智氏の妻の光成沢美氏が、これもドラマになった『指先でつむぐ愛』で提起していたような、妻が障がい者の夫のケアをすることが無償で当然とみなされるのは良いのか、ということとは対照的な性別役割分担意識を温存させたり、母親のケア役割の負担増大やいじめ被害、そして進路選択肢の少なさも、乗り越えられない苦難ではない、と看過されることにはならないように願いたいものである。智氏を含め、全国の様々な盲ろう者の日常生活実態をドキュメンタリー作品にまとめた『もうろうをいきる』も併せて御覧いただきたい。
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