メイクアガールのレビュー・感想・評価
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脚本がなってない
基本的になぜ主人公がソルトやゼロ号を制作するかの理由の位置づけもいまいち分からず、母親の遺言も何だったのかの説明もないまま物語が進み、まったく物語が頭に入ってこなかった。
重要な部分が全く見えてこないために、ゼロ号の位置づけもいまいちわからず、何が言いたい物語なのか全く伝わってこなかった。
また、冒頭で研究者の女性のロボットが盗まれるが、その盗んだ組織と思われる組織がゼロ号を拉致するが、その黒幕が研究者の女性だったという展開もちぐはぐすぎて訳が分からなかった。
別のレビューにかかれていたが、プロの作家さんがいた小説版では母親や主人公の目的などはきっちりと書かれているらしい。
しかし、映画の脚本では監督が自分で書くと譲らなかったとのこと。
結局、脚本をいくら直しても方向修正がうまくいかないと、土台が崩れた映画のストーリーは成立しない。
次回作も決まっているようなことが最後に出てきたが、この状態で製作してもついてこれるファンは減ってしまうのではと感じる。
人造美少女より頭のおかしい天才少年、さらにぶっ飛んだ発明家ママのイヤ~な三つ巴戦。
びっくりするくらい、
感情移入のしにくいアニメだったなあ(笑)。
そろそろ上映が終わりそうなので、レイトショーで鑑賞。
(客は5人でした)
この手のポンコツ(非人間&人型)美少女は、それこそ『電影少女』のあいや『東鳩』のマルチのころから大好物だった人間なので、とても素直に期待しながら観に行ったのだが、『アイの歌声を聴かせて』のようなタイプの映画かと思い込んでいたら、ふと気づくと『School Days』みたいなことになってるわ、挙句にラストは『ゲゲゲの謎』か楳図かずおの『洗礼』みたいなことになってるわ(笑)、なかなかえらいものを観てしまった。
最初にいっておくと、この手の「個人で頑張ってつくってきた」出自のクリエイターのことは、新海誠から堀貴秀にいたるまで、僕は誰でも心から尊敬するし、心から応援する。
なので、基本的にはこういう映画には頑張ってほしいし、なんとしても成功してほしい。
ただ、率直な感想としていろいろ文句をいいたくもなったので、観て面白かった人は不快な気分がするかもしれません。読まずにスキップしていただけると幸いです。
なんにせよ脚本には、明らかに難がある。
端的にいうと、ナラティヴの技術が拙い。
用意されているパーツの大きさや形がちぐはぐなうえに、出して並べていく順序がへたくそ過ぎて、話に入り込めないといった感じか。
そもそも、人造人間がヒロインの場合、通常「まわりはふつう」で「ヒロインはポンコツ」という「対比」と「ツッコミ」を通じて観客を慣らしてから、徐々に物語に引き込んでいくものだと思うのだが、この話の場合、つくった天才少年のほうがよほど異常でバランスが悪いので、なかなかお話の「足元」が固まらない。
人造人間を作ろうとするきっかけが、最近研究に行き詰まって悩んでいたのだが、友人に恋人が出来て「パワーアップした」ときいたので、仕事効率を高めるために制作することにしました、で、やってみたらさくっと出来ました、というのも、さすがに事の軽重のバランスが悪すぎる。
あるいは、シリアスそうな内容のわりに、設定がばかばかしすぎる。
だいたい、家事ロボットの制御に四苦八苦している研究者が、生体人造人間をいきなり組成するとか、ありえないほどの快挙なのに、完全にスルーされたうえにしれっと学校に連れてきている始末。たしかにそれはある種のテンプレなのかもしれないが、『Dr.スランプ』のようなギャグ漫画や、『ちょびっツ』のような「最初からアンドロイドが存在する世界観」だからこそ許されているのであって、本作においては、この大発明が「彼に出来た」理由も「それが世間に流される」理由も、まるでピンとこない。
てゆーか、生体人造人間をつくったおかげで、家事ロボットの制御ができるようになりましたとか、不死のクラゲが作れましたとか、それこそ本末転倒もいいところだし、これだけ頭の良い少年が、「カノジョを作っただけで研究が進むようになる」と思い込む幼稚さも、「研究が進まないなら捨てる」選択をとる恥知らずな非人間性も、通常の観客からはとても共感を得られるとは思えない。
主人公の属性をドアスペに設定すること自体は、別に構わないのだ。
(僕に言わせれば『Z』のカミーユも、『劣等生』のお兄様もバリバリのアスペである。)
だが、それをどれくらい主人公が認識しているかとか、彼の行動を見守っている人たちがどれだけ客体化してそれを作中で表現するかとか、主人公の心のない行動がどれだけ回りとの軋轢を生むかとか、そういった「キャラクターづけ」の作業をこまやかな手つきでやっていくからこそ、「おかしな主人公」を客に「納得させることが出来る」わけだ(同じ声優のやっている『僕の心のヤバイやつ』とかは、まさにその好例だろう)。
だが、このお話ではそういった「キャラづけ」の作業がまったく行われないまま、天才少年に感情移入させようとしている気配があって、そういう作り手の「感覚の鈍さ」によって、見ている観客の「ヘイト」はむしろどんどんたまっていく。
いやもしかすると、『School Days』の伊藤誠のように、「ラブコメ主人公かと思って観ていたらどんどん異常性を増していって、やがて天罰が下ってざまあみろ」的な展開で客の溜飲を下げさせる目論見だったのかもしれないが……あれは、作り手が「敢えてそうしようと仕掛けている」のがちゃんと伝わったから傑作になったのであって、『メイクアガール』の場合はそういった「客との駆け引き」が出来ていないぶん、単純に観ていて不快である(笑)。
ツンデレ世話焼き二番手ヒロインが、なんでこんな得体の知れない天才少年に惹かれているのかも皆目わからないし、もう一人の男友達との関係性も含めて、学校内での立ち位置がイマイチ理解できない。町じゅうで使用されてるロボット&システムの構築者みたいなすごいVIPが、ひとりでぶらぶら巨大ラボとアパートと学校を行き来して生活してるのも解せない。どなたかが「主人公の訓練用に設定されたバーチャル空間のNPCかと思った」とおっしゃってて、まさに的を射た意見かと。
要するに、それなりにシリアスな設定のわりに、安易に「グーパン幼馴染」とか「屋上とバイト先でだけ会う男友達」とか「めちゃくちゃやってもハブられない学校」みたいな、ゆるい系ラノベのお約束をそのままつぎはぎするから、違和感ばかりが募る前半戦になってしまうのだ。
前半でさんざん「こりゃダメだ」と思わされたのち、まず主人公がバグって、それから信頼していた某人物がバグって、そのあとヒロインがバグる。
共感を集めきれていないキャラクターに壊れられても、観客としては途方にくれるばかりだ。
特に、主人公の頭がおかしいうえに価値判断のバランスが致命的にくるっているのはよくわかったけど、普通のドラマだと少なくとも「捨てられた側のヒロインの懊悩」くらいはきちんと描かれるものだと思うし、そこから段階を追って「執着」の度合いを深めていき、「ロボットが創造主によるコントロール(三原則)から外れることの意義」を強調していかないと、ヒロインのあの選択はとても腑に落ちるものではない。
それなのに本作では、0号ちゃんは追い出されてからほとんど出てこなくなるし、彼女との再会後にああいう展開になったら、今度は誘拐犯の気配が消えてしまう。
結局、やりたいシーンをつなぎ合わせているうちに、キャラが「あぶれちゃうから」しれっと退場させているようにしか思えない。
例の誘拐犯にしても、あれだけ最初から食い込んでるんだから、もっとやりようはいくらでもあるだろう。余裕で連れ出せる関係性をわざわざ築いているのに、なんで強襲かけて誘拐なんかしなきゃならんのだ?(笑)
終盤でヒロインの0号ちゃんが取る選択にも納得がいかない。なぜかというと、自分の気持ちが本物だと相手に証明することがいかに大事だったとしても、通常の思考回路でいえば「自分が好きな人を傷つけるのはイヤ」なことに変わりはないはずで、「愛を証明するために傷つける」ということを肯定した時点で、本当にただのストーカーやDV女と変わらない狂人に成り下がってしまっているからだ。
「好きな人にイヤな想いはさせたくない」
「好きな人が痛い目にあうのなんかイヤだ」
この当たり前の大前提を完全に無視して、相手に自分の愛情をわからせるといいながら、実質は「自らのアイデンティティの確立」のためだけに動く0号と、それをなんとなく肯定する主人公および作り手の感性は、やはり一般とはかなりズレているとしかいいようがない。
まあ、ありていにいうと、作り手自身もまたかなり強烈なASD傾向の持ち主であって、自分の行動によって相手に生じる感情の機微に対して、きわめて鈍感なタイプなのではないかと感じざるを得ないわけだ。
ラストの母親の大ボス感も、一般の人は猛烈にイヤ~な気分にしかならないんじゃないかなあ。
結局は、人造人間も十分にポンコツで暴力的だったけど、よほど、それをつくったフランケンシュタイン少年のほうが本気で頭がおかしくて、さらにそれをつくったお母ちゃんのほうが最高級にぶっ飛んでて、くるっているという構図で、ラブコメをやるふりをして呼びつけた観客に、後半は延々とマザコン話を観させて悦に入るという、何だかおそろしいことになっている。
作り手のなかでは、上記の「観客にとってはストレスにしか感じられない展開」について、意外と辻褄が合っているように認識している可能性もあると思う。
たとえば、主人公の天才少年の思考回路が素でおかしいのは、彼が●●●●だからだし(終盤の夢のシーンとラスト近くの目の描写でほぼ間違いない)、周りがやたら生ぬるい目で彼を見ているのも「実はみんなそのことを知っている」からかもしれない(そう考えると友人の妙に達観した姿勢も理解できるし、ラストでケガをした主人公がどう処置されたかについても悩まないでよくなる)。
彼の発明に妙な凸凹があるのも、母親がそうなるように「すべて最初から仕組んでいた」からかもしれないし、0号ちゃんが暴走するところまですべてアプリオリに予定通りだったのかもしれない。
だから、作り手やシンパは「最後までちゃんと観れば、わかる人にはわかります」と思っているかもしれない。でも僕は結局のところ、この話は「結論を最初から知っていて、どういう話かわかりすぎている人が、前から後ろに話をうまく通せなかった」典型例だと思う。
本格ミステリでよくあるんだよね。最後のトリックと犯人がわかってから読み直したら、何をやりたかったかよくわかるんだけど、初読の際にやたらと読みにくい小説って。今回のもまさにそういうケースではないか。
ここで思い出すのは、やはりずっとひとりでアニメを作ってきた塚原重義の初の商業作品『クラユカバ』の出来の悪さと、同時上映された『クラメルカガリ』の完成度の高さのことだ。前者は塚原自身の脚本。後者の脚本も塚原だが、「原案」でラノベ作家の成田良悟が参加している。
やっぱりね、「餅は餅屋」ってのはホントなんですよ。
必ずしも優れたアニメーターだからといって、優れた脚本が描けるとは限らない。
とくにスクリプトチェックは、第三者の「それが得意な人」の手を借りないと、どうしようもないような気がする。
パンフを読んでみると、本作の監督、安田現象氏は脚本の完成稿までになんと31稿も重ねられたとのこと。すごい努力だとは思うけれど、プロデューサーは一切お話の内容には関わらせてもらえなかったらしい(「安田監督からは最初に、初作品だけは脚本に一切口を出さないでほしいという割と無茶な要望があり…(中略)…ストーリーは全て任せることにしました」)。
一方で、安田氏は3Dアニメ制作と並行してラノベ作家も目指していたという話だが、「ライトノベルの新人賞は最終選考一歩手前まで残って、あと少し頑張れば受賞できるぞというところまで進んでいました」とおっしゃっている。
失礼を承知でいえば、「受賞する域にまでは達しなかった」作家さんともいえるわけだ。
僕は、たとえ専門の脚本家もしくは作家さんが絡んでも、監督の想いが伝わらないということはないと思う。むしろ、映画は総合娯楽芸術であるわけで、脚本家が我を張って作品を台無しにするようなことは(少なくともアニメでは)あまりないのではないか。
やはり、次回作ではプロのライター(たとえば大河内一楼みたいな人)を入れたほうが、格段にいい映画になると思うんですが、どうでしょうかね。
最後に、3Dに関して。
「顔」は思っていたより2Dに寄せていて、とても見やすく撮れていたと思う。3Dが苦手すぎて『バンドリ』や『シャニマス』すら中途脱落してしまった僕から見ても、顔回りの表現は悪くなかった。
ただ、歩き方や走り方は、かなりおかしかった気がするなあ。
挙動全般もやはり「3Dくさい」としかいいようのない部分が多く、このへんはどうしてもリミテッド感がぬぐえなかったかも。
でも、この90分のアニメが、6人くらいで作られていると考えると、やはり凄いことだとは思う。
小説版を読むと理解しやすかった
映画→小説→映画の順で2回鑑賞しました。
1回目は何の知識も無く鑑賞したので、よく分からず0号がかわいいという感想しか残りませんでした。
それから小説版を読みましたが、こちらでは明と0号の心情や舞台の設定等が分かりやすく描かれておりました。
0号の変化や稲葉がやったこと等、映画のみの鑑賞だと説明不足な部分が多々あると思います。
小説版読了後の2回目の鑑賞では、各シーンはこういうことだったのかと理解が深まりしっかり楽しむことが出来ました。
この作品が好きと感じた方は、小説版を読まれることを強くオススメします。
何と孫六!この映画、脚本の決定稿が出来るまでに31稿も書き直しているのだ!
パンフレットのプロデューサーのインタビューを読むと監督が、
脚本については自分で書きたい!他人に書き直ししてほしく無い!
と、言う事を聞かなかった為に、脚本には一切、口出しは出来なかったそうだ。
まぁ、クラウドファンディングで自力で制作費をかき集めた努力は買うが、31回も書き直した脚本がこの程度の出来だという事を突っ込むのが、プロデューサーの仕事じゃないのかい?
だってさー?社会のインフラを変えてしまうくらい凄いお手伝いロボットを作る右腕が義手の天才高校生が、学校でやる事といえば、
カップ麺を自動で作る装置を作るとか、反省文を代筆してくれるロボットを作るとか、何で、あえて低いレベルの発明をしているのかが分からないし、
あれだけ、生活の役に立っているロボットに自我を持たせる為に苦労していたくせに、同級生が彼女が出来たらポテンシャルが上がったと聞くや、
あんな、チンケな施設で人造人間の女の子を作って、その女の子を同じ学校のクラスに入学させたりする。
綾波レイですら、成長に何十年もかかっていたのに、高校生のおにゃのこのカタチで自我もあるというのは何故だ?袋入りのうまかっちゃんラーメンを作るみたいに簡単に人造人間を作りすぎ。
で、あっさり人造人間に飽きて、捨ててしまう。おい、おにゃのこと付き合ってポテンシャルを上げる目的はどうした?
それから、人造人間がさらわれたから追いかける時にお手伝いロボットが自走して追いかけるんだけど、一輪車なのに、結構、早いのだが、何故か、分解して、キックボードのカタチに高速変形するのだが、変形する必要性は無い。
追い詰める時に、都市の道路通行止めの機械をハッキングするのだが、別にハッキングしなくても高速キックボードで走っているから、規制する必要が無い。
人造人間を拉致った犯人に意外性を持たしたかったのかもしれんが、そもそも登場人物が少なすぎるので、アイツが犯人かな?という予想は見事的中する。
ようやく、助け出した人造人間に駆け寄ると、全く意味の分からない理由で主人公は鉄パイプで殴られて、残った生身の左腕も切り落とされて、サバイバルナイフで滅多刺しにする。え?何で?
途中、死んでしまった母親の夢を見た主人公は、自分も人造人間かもしれないという展開を匂わせるも、尺が無いのでカット。
おにゃのこの人造人間も実は死んじゃった母親が息子の為に用意したという台詞があったが、おにゃのこの人造人間は主人公が1から作っていたじゃん?どこに、母親が手をかけた描写があったのだ?
そして、主人公をなます斬りにして半殺しにした人造人間のおにゃのこは眠りにつく。
ある日、主人公が家に帰ると人造人間がいない。ようやく、探し当てた人造人間が主人公に向かって、
おかえり、✖️✖️ちゃん!
と、言う。死んだお母さんの魂が人造人間の身体を支配したかのようなカンジで映画終了。
何じゃ、こりゃ?EDロール終了後、パーサーカーの如く、長いヤッパを振り回す人造人間のおにゃのこのカットで2027年公開の字幕。
この監督は何だ?人とのコミュニケーションがうまくいかなくなったら、暴力か武器で解決する人なのか?まぁ、これだけ文句を言っても続編は見るが、
↑ 見るんかい!
脚本は他の人にお願いした方がいいぜ?
映像の映画冒頭の彼女が出来た友達との会話シーンはカクカクして気持ち悪かったけど、それ以外はサクサク動いていたしねー?
と、いうワケで萌え豚と、事故としか思えない最低レベルの脚本が劇場公開されているのを見たい物好きと、未完成で劇場公開したアニメ、ガンドレスを覚えている人にお勧めの映画だ!
アニメファンなら、話しのネタに見ようぜ?!中々、こんな体験は出来ないぜ?突っ込みドコロが多すぎて、このアニメを見た後のファミレストークは盛り上がる事、間違い無しだ!
お前も、この映画を見て、俺のように苦しむのだぁぁ!!
↑ おい
90分のカップ麺
ロズと迷ってこっちを見に来たが、自身がユアストーリーと二ノ国どちらを見るか迷って後者にした人間だということを改めて思い知らされた。
結果、大変楽しく鑑賞することができた。
本作は人造人間の明くんが、人造人間の女の子0号ちゃんを制作するところから始まるボーイミーツガールに見せかけた、ヤバい女性の狂気が主題の硬派SF作品である。
ボーイミーツガールを求めて鑑賞しに行くと、終盤で0号ちゃんが「明くんを傷つけることで自身がプログラムにとらわれない行動ができるのを証明する」という名目で本気バイオレンスを行うため、非常につらい体験をすることになる。
あと稲葉さんが0号ちゃんに成り代わったりする。そうして永遠の輪廻を獲得するための途中経過を見ることができる。
本作において主人公である明くん、ヒロインの0号ちゃん、明くんを制作した研究者の稲葉さん以外は全員舞台装置だ。
特に友人2人は気持ちが悪いくらい都合の良い動き方をするが、展開のためにそういうキャラ付けがされているだけなのでむしろ進行を妨げない自然な動きをしているということになる。
にもかかわらずどこか気に障るのは、そうした装置やモブにかなりの労力や情報を割いているからだろう。
例えば、幸村茜が明くんに対する好意を持っていることを執拗に描写するが、明くんがそれに足る人物であることの描写はほとんどない。なんか手はあったかいらしいが、それくらいだ。明くんは作中の大半で上手くいかないことに腹を立てたり稲葉さんと会話したりしている。加えてソルトを2体も使ったLUUPは惜しまず乗り捨てる。もっと気張って足で走れば追いつきそうなスピード感を演出されているのにも関わらずだ。
もしかすると0号ちゃんがそれを学習したという設定なのかもしれないが、「そういうふうにプログラムされたものである」という旨のセリフが存在する以上、幸村茜の必要以上の描写はノイズに感じた。
特に大林邦人はなんのためにいたのだろうか。彼女でパワーアップという衝動は彼からじゃなくても拾えたのではないだろうか。
そうした画面のディティールに対するあまりの情報量の少なさに、中盤あたりから恐怖を覚え始めた。
確かに、キャラは美しく豊かな表情に輝くような瞳は3DCGに思えないほど繊細で、学校机や自販機といった物でさえたっぷりの光とテクスチャを注がれてリッチな画面作りに貢献している。だからなんだ?
それらが美しく見える説得がされない。ただ理由なく、あたかも美しいみたいに演出される。都会の空を鳥が駆け、色づいたイチョウが舞う、それが次第に苦しくなる。キャラでさえこれはなんだと繰り返し問う。
物語は主要3人の内面で繰り広げられるのに語られない。キメのシーンこそ手厚いが、それに至る思考を追うような描写は薄味だ。
白々しい日常に時間が割かれ、セリフは表面をなぞる。そしてなんかカッコいい言い回しでまとまらない。
映画は冒頭でこう語る。これは5分かかるがカップ麺を自動で作る装置だ、人力の方が早いけど、と。
それがそのままこの映画のすべてだ。本作を90分流されるより、観た人から映画評を聞いた方が話も理解も早い。
しかし90分かけて作られる美しいカップ麺を味わいたいのであればこれほどおすすめできる作品もそうないだろう。
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追記
こんな評価にしているが心の底から楽しんだのは事実で、次回作を鑑賞しに行くことのは確実だ。
鑑賞を終えて帰宅した後、AIに強い口調でメイクアガールの批判をするよう頼み、それに対して私が擁護をするという形のセルフカウンセリングを行った。
それから、AIがあれば何かが変わると語る父の顔を思い出し、じゃあアンタはAIで何したいのよ浮かばないでしょと糾弾した母の顔を思い出した。
自分でも何を言っているのかわからないが、星5の作品が心を動かすのだとしたら、1.5の作品は心の座標をずらすような感覚にさせられる。
その晩、日本にいながらブラジルの朝日を望んでいるような気持ちだった。
何を言っているのかわからないと思うが、この作品を見れば実際このような気分になる。観てほしい。そしてネットでメイクアガールの話をしてほしい。頼むから。
最後は結構集中してしまいました!
公開中のアニメーション映画ということで、確認するとCGだけどキャラデザが結構好みだった本作。映画好きの同僚N君に本作のことを尋ねると、監督さんはショート動画をXに挙げていて結構尖った作品だったけれど長編はどうだろうってことだったので観てきましたよ、N君。クライマックスはかなりデンジャラスで痛そうでした。
天才発明家の明君は自分の製作したお手伝いロボットがいろんなところで働いている。でも本人曰く、それはお母さんの遺産で自分のオリジナルは失敗ばかりで本人はかなり悩んでいらっしゃる。
親友の邦人君がバイトの先輩が彼女になってくれて仕事がパワーアップしたと明君に話すと明君は人造人間の彼女を造っちゃった。←そうじゃないだろっと突っ込みを入れたくなる。
0号ちゃん、学校に通って明君の隣の席って???
人造人間に対して同級生も先生も普通に受け入れてるし、明君の腕からリモコンスイッチって一体何なんだ!
序盤は本作の世界観が全く受け入れられず、中々物語に気持ちが入っていけない。
その内、0号ちゃんは同級生から色々教わって、明君に対する自分の思いに対して悩むけれど、明君は元々プログラムされたものとして0号ちゃんの思いにまともに答えない。
自分の研究が相変わらずスランプで恋人が出来てもパワーアップ出来ないどころか、生活面で自分より進化する0号ちゃんに対して明君は突き放し距離を置こうとする。
自分の造った0号ちゃんと自分のお母さんを重ねていく辺りから、もしかして明君もお母さんが作った人造人間なんじゃなかろうか??
と思い始めた頃からすっかり物語に集中してました。(本編ではそういうことは一切語られてませんのであくまで自分の感想です)
0号ちゃんの思いに結論が出せた明君は誘拐された0号ちゃんを必死に追いかけます。
絵里さん初めから怪しかったけど、やっぱりラスボスですか。
と思ったらラスボスはまさかの0号ちゃん。最後はかなり集中してました。
最後まで話が分かればもう一回初めから見直したいと思う本作。
上映ラストの週末ですが座席は5割埋まってました。リピータの方も結構多いのでは...
パンフはもちろん売り切れでした..残念。
エンドロールで声優の花澤さん、雨宮さんはすぐわかったけれど0号ちゃんが種﨑さんだったんだっと思ったら、お母さんも種﨑さん!とは驚きました。
エンドロール後の2027ってやつは続編を制作中ってことですかね。
ゲーム的な世界
途中までの展開から、主人公が作られた人造人間みたいな存在で、その教育を行うために、仮想空間で学校生活を送らせているのか、とか思っていた。倫理観の破綻した世界で、人を作った、すごい、とかあっさり受け入れるクラスメートとか、ゲームのNPCだろうと思っていた。というか、そう思いたかったが。
セルルックCGはだいぶ一般的になってきたか。どの3DCGアニメでもいつも思うのだが、街を歩く人々がみな同じような重い足取りのモーションというのは、何か制約があるのだろうか。
ゲーム慣れした世代だったら気にならないストーリーなんだろうか。私には、ちょっと無理なお話だった。
拘りが強い
SFベースの世界系で、その根本には聖書のエピソードが散りばめられている…という印象かな?
アダムの肋骨から作られたイブとか、禁断の果実とか、兄弟殺しとか。
んで、そこに自分越えが重ねてあるんかねぇ
とても面白いけど、そーゆーのが好きな人にしか刺さらない万人向けしない作品だなーと思った
これで続編?の計画あるのはチャレンジャーだなぁ
ただま、主人公が普通に狂ってるからその部分の共感性は低そうだなぁ…などとも
SF中毒者は通っておかなければいけない作品
人間は2種類に分けられます。メイクアガールを好きな人間と嫌いな人間です。
低予算の割に高クオリティではありますが、ヒットさせて儲けようという考えが皆無です。
脚本は話を展開させる手順が無茶苦茶、誰が観てもストーリーに違和感を覚えます。
ただツッコミどころは前半に集中させてたので、「ああ、これはIQの低い作品なんだな」と腹を括れました。そうじゃないと鑑賞に耐えられないでしょう。
観終わった感想ですが、もう一回観に行きたいです。昨日の焼肉屋のミノをまだ噛んでる感じです。
ネタバレですが、エヴァンゲリオン初号機ですね。SF中毒者は通っておかなければいけない作品でしょう。
久々にきつかった
個人創作の延長のような形で商業ベースに乗る劇場長編アニメを作り上げる、それだけで偉業だし、その熱量も凄い、というのが大前提としてあるので、もちろんリスペクト。
しかし映画としては辛かった。ので、以下は観てない人と好きな人は読まないで欲しい。まず、普通に旧来のアニメ的な芝居をする商業アニメとしては、動きがぎこちなく、単純にクオリティが物足りなかった。今は深夜アニメでもCGでかなり奇天烈なことやってたりするので、別のフォーマットや表現でも良かったのでは、と思ったが、動きとかに関してはストーリーに乗っていけば、段々慣れてはくるので、とりあえず置いておく。
なので問題は脚本や設定、キャラクターの造形といった作品の世界観をかたちづくる諸々が、全てにおいて都合が良すぎるというところに尽きる。まず主人公の持っている巨大ラボや潤沢な資金はどこから湧いて出てきているのか不思議なんだが、遺産とか発明の特許の上がりなのだろうかと考えたとしても、そこまで無尽蔵な訳はないし、そもそも莫大な資産持ちだとしたらセキュリティが緩すぎるしで、となると自由に発明に励める高校生というキャラ立てをするための装置として存在しているとしか思えず、ギャグ漫画ならともかく、一応シリアスな展開を用意してある作品としてはそれだけで作品内でのリアリティが感じられなくなってしまった。そしてほぼ人間そのもののロボットを作るのはとんでもない発明の筈だし、物語内でもそんなことを言っている人がいたけど、その成功に対する扱いが軽すぎるのも謎で、物語世界の科学技術が一体どこまで進んでるのか分からないが、人間を創造すれば当然起こり得る周囲からの影響を、作り手側が閉じた物語を展開するために意図的にオミットさせて、物語に都合の良い状況を維持しているのがありありで、しかもそれがあまりに不自然なので鑑賞していて非常にノイズとなった。物語後半では主人公周辺の科学力だけで都市機能をコントロールしちゃうようなこともしちゃうし、この主人公、ブルース・ウェインか、というレベルで、なんでこんな危険人物がのほほんと高校生活を送れているのかも訳がわからない。そんな意味不明な世界観の中でいきなり感情を盛り上げるっぽい展開が来て、劇伴も思いっきり盛り上げに来るから、こっちはシラけて単に音楽うるさい…ってなってしまう。そして凄く気のいい爽やかな級友に幼馴染っぽいツンデレ的級友というとってつけたかのような周辺キャラクターの存在もご都合主義的で、人の感情の機微を理解出来ない欠落したキャラクターの主人公になぜこんな友人がいるのかサッパリ不明だし、ストーリーを作る上で都合がいいというだけで登場しているとしか思えない。環境も人間関係も、主人公と主人公が作る0号という少女型ロボットとの物語を語るためだけの都合の良すぎる要素で溢れているから、もうこれは何か妄想的な、もしくは何者かによって仕組まれた陰謀的な世界設定なのか、いや、そうであってくれ〜、そうでなければ理解出来ねえ〜と願いつつ観ていたが、そんなことも無く作品は終わった。人を創造することへの責任感や敬意が根本的に欠落した主人公と作品の作られた方が見事に同調しちゃっていて、これが単に個人的な作品であるならそれはそれで味だけど商業映画としてはどうなの?と感じた。
あとは親子の関係性とかパートナーに母親を求める幼児性とか、エヴァの気色悪い部分を踏襲している感じがオタクの悪しき側面全開で生理的にイヤだな、というのもあった。とはいえそんな部分もご都合主義も、今後とことん突き詰めて行けば作家性とかに見えてきたりするのかも知れないけど。とりあえず現時点では長編アニメーションを完成させたこと自体が凄いと感嘆しつつ、映画としての評価は別、というところだった。
お前がママになるんだよー、な感想でした
ゼロ号ちゃんはなんのために作られたのか、それは主人公の意思ですらなく、その母親の生まれ変わりの母体になるための器だった?散々零号ちゃんは自分の意志が存在していることを証明するために苦しんでプログラムに抗おうとしたけど、結局は創造主たる母親に乗っ取られてますね。事前にSFサイコホラーと言われてた理由がわかったわ。結局零合の意志は上書きされてママに乗っ取られていたっぽいので、一見ハッピーエンドっぽく見えても不気味なエンドだった。レビューだと3.3だけどこの不気味さは良かったし、個人的には面白かった。まあ主人公の馬鹿さ?とか身勝手さとかやや不快な部分は大きいけど、恋愛感動物ではなくSFサイコホラーとしてみるなら面白かった。俺のレビューは星3.7。それにしても主人公はママが生まれ変わって幸せだろうけど、ゼロ号は散々苦しんだ挙げ句乗っ取られてその短い人生は何だったんだろうか、と思うとモヤっとする。生まれさせられて、消されて。あと、主人公も人造人間っぽいんだよねぇ、主人公とゼロ号、新世界のアダムとイブっぽいかも。あと世界観は微妙だった。いきなり人造人間作った挙げ句周りの人間はそっくり受け入れているし、あっさり高校に入学しているし。倫理とか法律とかいいんか?なんか権力でもあるのか?まあそこは無視するとしても、ちょっと強引だな。
深刻なモラル欠如と脚本の未熟
映像表現にはこだわりを感じ、作画や動きは良質に感じました。
ただ、映像にしか興味がないのかな?
ストーリーやキャラクター、そもそも他人や社会には一切興味が持てないままずっと生きてきたのでは?
と思わされる不快表現が、自覚できていない感じで90分続く印象だったので、星1.5とさせていただきます。
カップルやファミリーでは絶対に観に行かない方がいいです。
本作には後半に意図的な露悪演出シーンがありますが、全編を覆う不快感の原因はそこではありません。
物語全編を通して、全てのキャラクターが当然そういうものとして共有している人間関係の異常さが、とても苦しいです。
正直、この脚本を書かれた方(監督)は
・社会で発生するすべての人間関係を「支配と被支配」だけで見ている?
・「家族とは、暴力を伴う一方的な八つ当たりを受け入れてくれる相手」と考えている?
・↑それが異常どころか、とても尊い関係であると考えている?
・「才能のある人間は、大勢の他者に迷惑をかけてもいい」と考えている?
などなど、とても受け入れがたい倫理観を持っているのではないかと感じます。
見続けるほどに、疑惑が確信めいてきます。
これが「おかしな人たちしか生き残っていない何もかもおかしな世界」というテーマの作品ならまだ説明がつきますが、そうではないようで、しかも後半は「家族をテーマにした感動大作」のノリに持っていき、できると思っているようなので、異様なものを感じました。
以下、倫理的にアウトな所と、脚本的に未熟な所を具体的に指摘します。
---倫理観のズレ---
主人公アキラはASD傾向でパワハラ気質で自己中心的で暴力家の「人の心がわからない、高校生の天才科学者(工学&生物学)」です。
この「人の心がわからない」には一応理由もあるのですが、アキラが「自分がスランプを脱出するべくパワーアップするために、『彼女』を人造した」という噛み合わせがきついです。
アキラは自分が作った彼女=0号のことを、徹底的に自身に対して奉仕するモノとしか見ていません。人間らしくなれと指示して、バイトをさせ、飯を作らせ皿を洗わせ、0号が頑張って人間に近づいたら今度はその言動が研究の集中を欠くからと苛立ち、「彼女がいても、パワーアップできない」とわかると、時間の無駄だった!として、モノとしてあっさり捨てます。そして、時間の無駄をしてしまった自分は、なんて間抜けで、才能に恵まれていなくて、可哀相なんだ! とひとり嘆いてオフィスで暴れ回りモノに八つ当たりします。
このアキラと0号の「関係」描写は、ラブコメや少年の苦悩ではなくて、単に極めて自己中心的な人間の、前時代的ないじめ描写です。
これらは「不器用な少年にとって、0号が手に余る存在だったから」と解釈しようにも、主人公は頑張ったり奉仕してくれているソルトたちに対しても「ただのモノ」として杜撰に接しますし、なぜか0号まで他のソルトに対してそういう描写があります。
「作者側がヒーローのつもりで描いている、食べ物を遊んで無駄にして笑いを取るキャラ」のようで、見ていて気持ちのいいものではありません。
また、特に主人公と同じ背景を持っているわけではない他のキャラクターたちも、他者をモノ的に扱っている描写がかなり滲みます。
例えばアカネは「つかんで相手を逃げられなくして、力を溜めて打つグーパンチ」を何度も日常シーンのツッコミに使いますが、それを受ける男子側は怯えた顔をしたり背中を背けて怖がっていたり、まったく笑えません。これも、いじりでは済まないいじめ描写です。人間関係を支配と被支配で捕らえるのが当然、または他者をモノとしていないと出てこない描写です。
これらは、なぜ私たちの暮らす現実世界では
「頭を冷やしてほしい相手に、溜めグーパンチではなく『張り手』をするのか」
「冗談やボケへのツッコミは、溜めグーパンチではなく『やさしいチョップ』なのか」
という人間の自他感情の機微を、脚本(監督)がまったく理解できておらず、映像的にこっちの方が映えるからと溜めグーパンチで作ってしまっている印象があります。
モラルに欠けた人が投稿してすぐに炎上する「面白動物虐待動画」をずっと見せられているようで、とても気分が悪かったです。
倫理的な面で、意図せずして一線を超えている表現が多すぎます。
これらの根本的な問題に比べれば、終盤の露悪展開はまったく邪悪にも感じません。
---脚本の破綻---
上のクリティカルな要因と比べれば些事ですが、一応具体的に指摘しておきます。
粗探しはしていません。
①賢い設定のキャラが全く賢くない行動をしている
主人公アキラは(出自が曰く付きで、母の研究を引き継いだとはいえ)ソルトを作りあげた天才科学者です。エリの発言からも、研究者としての能力は極めて高い設定が読み取れます。巨大なラボを維持できたり、ソルトが広く普及している様子からも、世間的な評価もそうなのでしょう。
しかし「うまくモノが作れないスランプ」に陥り、友人のクヒニトが「彼女ができたらパワーアップできた」と言えば、それがスランプ脱出の突破口だとなぜか確信し、一瞬で人造人間たる彼女を作り、「ラボのどこに立っていれば自分の能力が勝手に上がるか」を試すも効果がなくて首をかしげる……
この世界でも初めてのレベル(後半判明)である「人造人間を一瞬で作り」の時点で大偉業で、スランプは脱出しているとしか思えないのですが、彼の中ではなぜかそういう判定にはなりません。後半になれば、母が自分を作った時のデータを流用したからそう考えているのだろうなとは繋がりますが、じゃあ彼は何ができれば満足するのかがわかりません。
また、天才科学者という設定なのに「彼女ができたら、自分の能力値が自動的に上がり、失敗していた研究が勝手にうまくいくと思っている」(0号の立つ場所実験から推測される内容)という言と動が、並未満にお馬鹿で、どこが天才なのだろうかと思ってしまいます。彼自身が人造人間なので、能力=パラメーターと捉えているのは発言から推測できますが、それでもこの頭の悪さでは周りが天才科学者と持ち上げることも無いと感じてしまいます。
これは彼だけではなく、研究者であるエリの「ソルトが泥棒されないように、サポートロボットであるソルトからサポート機能を抜いて高機動型にした。これでソルトも泥棒に捕まりそうになったら時速60km、車並の速さで逃げられる」という謎発言にも通じます。
サポートロボットからサポート機能を取ってしまったら、壊したと同義です。作中でもツッコまれていますが、研究者という立場ではギャグになっていないです。しかも「泥棒から逃げるため」もロジックの面でわかりません。泥棒を撃退または捕らえる戦闘力を与えるとか、勝手に帰って来られるようにするとか、そういう方が凡人でも思いつく実用的な発想に思います。彼女がソルトを盗んでいた犯人でありそのフェイクだとしても、泥棒と追いかけっこする前提のフェイクというのは教授相手には無理筋ですし、しかも言った直後にあっさり目の前で持ち去られ、ギャグのオチ的に場面転換します。大慌てで通報ぐらいの動きをしないと変です。さらに、終盤では高機動型ではない無改造のノーマルソルトたちが、主人公と共に車並の速度でカーチェイスします。「サポート機能を抜いたから高機動にできた」というエリの話と矛盾しています。
②嫉妬するはずがない
結局は自分自身が人造人間だったから優秀だったというアキラのオチですが、本作はモノに対して全員の当たりがキツく、その倫理観で言えばアキラもまたただのモノです。
クニヒトやアカネも実は知っている上で世話係をしていると取れるシーンがあるので、エリが知らないわけはないでしょう。明らかに便利なモノ(研究だけする、モノ)である主人公に対して、エリが嫉妬するとは思えません。エリは主人公の才能を飛行機、自分の才能を車だと思っていたようですが、思わないと思います。
あとこれは演出面ですが、エリが犯罪行為の頼みとする乗り物がSUVのレクサス?というのは非常に違和感がありました。メタ的に好みのクルマを入れてしまっただけかな、と。
③話のメインに0号がいない
0号は中盤に八つ当たりで捨てられると事実上退場し、最後にちょっとだけ唐突で強引な役割があります。
このコンセプトアートを提示しておいて0号が実は添え物というのは、企画としてとても残念です。
④よくあるネタが、過去作を下回っているまま出ている
0号の葛藤と真相は、『エヴァンゲリオン』の綾波レイ~碇ユイで、そのままのフレーズまで存在します。ネタが被っていることが問題なのではなくて、30年前の作品の方がずっと上手くやっている状態で提供されているのに問題があると感じます。人造彼女とクラスメイト含めて高校生活というのも、3年数ヶ月前にあった『アイの歌声を聞かせて』と路線かぶりで、しかもアイ歌のが上手くやっています。自分的にはアイ歌はかなり不満の残る作品でしたが、本作と比べればずっと上に感じました。やはり、先行例が多い手垢のついたモチーフを未満状態でそのまま出すというのが、脚本という構成要素自体の軽視を感じます。
⑤ヒーロー性に共感できない
前述の倫理的な指摘とも重なりますが、主人公が街中をハッキングして(あの何度も首が取れていた失敗ソルトが、身勝手な広域ハッキング研究だったことに唖然です)0号誘拐犯を追い詰めるのが、かっこいいと思えません。いちいち信号機が無効化され自動運転を乗っ取られた車同士がぶつかるシーンまで描かれていて、最低だなと思いました。
映像的にかっこよければ、なんでも無茶苦茶できる全能の力があれば、イコールで「爽快感のあるヒーロー」になのか? なりません。
応援したくなるヒーローとは、自分の欲望のためだけに無辜の他者(モノ含む)をぞんざいに扱ったり傷つけたりしない者です。ダークヒーローも、自分の美学に意識や覚悟をもって動く結果悪になるという存在ですので、本作のような「ただの強い力を作者から与えられただけの、無神経」ではありません。人気が出るキャラクターの造型についてもっと学ぶ必要があります。
⑥説明不足
見ながら「あれ? どういうこと?」となる場面が多いです。
主人公と0号は別々に住んでるの? じゃあ夕飯シーンは通い妻? え、エリが隣に住んでる? 冒頭のラボでは久しぶりに会ったみたいな会話だったのに? というかこの主人公、この性格なのにラボで寝泊まりしてないの? クニヒトとアカネは当然のように同じバイト先だけどなんで? 0号を働かせるって、バイトの採用までクニヒトが決められるの? 二人は主人公の監視役だった? ならバイトする必要もその暇もないのでは? そもそも主人公は高校通う必要ないのでは? 主人公が母の意志を継いで本当にしたいと思っていた研究はどれ?(まさか広域ハッキング?)……などなど
脚本術的な指摘で言うと、「突飛な設定を繋げれば脚本、ではない。5W1Hをちゃんと自然に入れていこう(お話をストレスなく追えて入り込めるように、情報の提示順を整理していこう)」という、大前提に対する指摘となります。
はっきり言って脚本とは、映像制作や声演よりもはるかに、ほとんどの総合エンタメコンテンツの構成要素の中で、最もコスト&スピード的に調整しやすいパイです。それは逆説的に、低予算だからという言い訳が効かない箇所ということでもあります。
クラウドファンディングで資金を集めた映画と鑑賞後に知りましたが、それならば使い道の力点が大きく間違っているように感じました。ストーリーもオリジナルIPも、「映像だけ」で好評が得られるほど甘くはありません。
---まとめ---
脚本が未熟と感じる作品には自分は厳しくなってしまいがちですが、本作は未熟というよりももっと根本的な所で躓いていると感じました。
本作の監督は、脚本を書く資格がないのでは、集団制作の上に立ち他者を使う資格がないのでは、と思わされる作品でした。どんな方にも、おすすめはしません。
安田現象さんを知らないと評価が二分すると思う
公開初日の初回に観に行ってきました
イラストを担当する安田現象さんのクラウドファンディングに出資していたので個人的にワクワクでした
ストーリーは
男子高校生主人公の水溜明が水溜稲葉(母親)から引き継いだ研究に行き詰まり、
彼女が出来たクラスメイトの邦人に「彼女ができてパワーアップした」「お前も彼女を作れ」と言われ『彼女をつくればパワーアップ出来る(→研究が進む』と思い込み、人造彼女0号を作り出す
と言ったもの
行き着く結末が分からない故にどうなるのかとても気になっていた
上映鑑賞中の感想として、開始10分で
「あ、これ意見二分割するわ」
「安田現象ワールド知らないと『微妙なアニメ映画って低評価つく」と頭によぎった
イラストを担当されている安田現象さんは元々Short動画を専門とされていて、ギャグ調なアニメを投稿されています
それが初回映画に移るとなると畑が違うわけで。
人間の仕草、行動の流れなんかに違和感を感じる
規模数億、数年かけた最近のアニメ映画とも差が出てくるのは当然
ですが映画観にくるほとんどの人はそんなこと知らないわけです
クラウドファンディング完遂日が2022年10月31日、収益2373万805円
映画作成まで約2年とちょっと
低予算かつあのクオリティの作画で全国メジャーな映画館で上映できてるのは奇跡かと(映画前広告が相当長かったので、いろんなとこにも頭下げて回ったんでしょうし)
2027年にも映画作られるそうなので今から楽しみです
それはさておき、映画の評価は個人的に★5
人間の動作的に微妙なところはあったものの話の流れとしては分かりやすかった
「主人公がパワーアップの為に彼女作っちゃった」という一見ギャグな設定
ラブロマンスに行き着くと思いきや、近未来SF・恋愛・ギャグ・アクション・バイオレンスがギュッと詰め込まれてる
Twitterや映画レビューで「なにがしたいのか分からん」的な意見が多々ありました
自分も見終わって落ち着いて整理するまでは同じ意見です
ただ整理が終わるとかなりゾッとする考察に行き着きます
パッと見の結末としては
「0号は自身の感情はプログラムされたものじゃないと明に受け入れられる。気絶したが目覚めて明と家族になって日常に戻る。明も人間的にパワーアップした」
というもの
クラスメイトの邦人もバイト先の年上の彼女と寄りを戻せて、クラスメイトの茜も明への恋心を諦めずに済み、0号もバイトしながらリハビリして丸くハッピーエンドに向かえる。
シナリオとして蟠りもないように捉えられます
ただこれだと説明がつかない部分がいくつか出て来ます
ここからは個人の考察なので軽く読み飛ばしてもらえたら幸いです
・稲葉はなぜ0号の作成を記憶媒体に保存していたのか、なぜ託したのか
・ラストの0号が言った「明くん」の一言
結論から言います
稲葉は自身の記憶媒体を託し、明に自分の依代を作らせて 所謂転生行おうとして成功しています
天才科学者である稲葉は明を作り出します
父親の言及がないのでおかしいなとは思っていましたが、話の流れで明は作られた存在だと察しが付きます
人間的感情や行動に異常が見られる明はおそらく失敗作(しかし天才の知能は引き継いでいるので記憶を読み解ける)
改善を行い、人造人間(第三人類)を完成させようとしていた矢先に病気の発覚があったのでしょう
病気の治療もせず、ラボに籠って死を迎えたのも最後まで足掻いた結果です
明がラボでソルトに頭を触られた際、仮想世界内で母親とあった際
「また話せますか」と明に問われます
本来ここは「また話せる」「話せない」無言、この3択にほぼ絞られてきます
しかし稲葉は「生きなさい」と放ちます
この「生きなさい」には「生きる事で自身への利益が齎される」という意味が込められていたのではないかと
明が行動を起こさなければ0号は突き放された事で人間的に成熟することはなく、稲葉の依代としての覚醒を果たす事は出来ません
0号が明をナイフで刺し、自壊し苦しんでいるところへ必死に介入しようとしていたのも自身の身体になる0号の破壊を避けたかったからでしょう
(稲葉が人間性のある感情を出したのもその時だけ。しかも、弾かれたということは干渉ができるということ(明を動かせないのに、稲葉自ら0号へ行動を起こせるのはおかしい))
自身をプログラムされた存在じゃないと証明した0号が気絶したのは、おそらく自壊プログラムを克服した一人の人間として"完成"したから
気絶したまま目覚めなかったのは、よそにあるバックアップから0号へ記憶を移植していたからではないでしょうか
もし0号が本当に0号のままなら、明が帰ってくるまで部屋で待つか、明の部屋に行く、もしくは明へ連絡を取るなどしたはず
目を覚ました彼女が行ったのはラボ
彼女が立っていたのは稲葉が病死した場所
口にした「明くん」から察するにもう0号はいないでしょう
これからなんの研究をするかで彼女の頭はいっぱいじゃないでしょうか
探せばまだ稲葉に関する転生の証拠も出てくるはずです
(自分は二週目特典ついでに粗探ししてきます)
明くんにちょっかいかける絵里さんについても少し
絵里さんが犯人なのは庄一(義父)との会話ですぐ判明したの良かったです
ブラックソルトを紹介する時に強化した部分に「逃げ足」という言葉を使った
強化個体なら犯人を撃退できるように「追跡」が正しい
あとはラボでマウスを破壊するほど感情的になったりと、なにかしら科学者としての葛藤はあるだろうなと
犯人としてもう少し抵抗や、後日談があればさらに良かった
最後に良かった点悪かった点
良
・低コストの割に高クオリティ
・考察のあるシナリオ
・キャラがゴチャゴチャしてなくて分かりやすい
・0号のバイト以降可愛さが増えて良い
・ラボがラボラボしすぎて無くて、ガレージ(倉庫)とのミックス感あって好き
・串刺しにされまくった明の腕が義手に完装された際のリアクションが軽くて良かった(義手になってリハビリだの落ち込んでたりだのしたら重苦しい終わり方になってイヤだったので)
・犯人追跡時の近未来SF感やソルトの合体電動スクーターや明の右手のターボ機能のワクワク感
悪
・人間の動作が少しぎこちない
(最初の絵里さんの出勤時の庄一との挨拶や、ハンバーグにまるごと齧り付く明、ドアが開いたのに呼び鈴を鳴らそうとしてる0号等)
・ストーリーが足早で深みが薄い(上映時間が短いので致し方ないのは分かる)
・何の実験をして、どういう結果が得たいのかがよく分からないこと(ラボのソルトを強化したいのか、新しいプログラムを入れてるのか分からず壊れまくってるのは疑問だった)
クラウドファンディングした身なので多少の贔屓はありますが、大体こんなレビューです
低評価高評価どちらの意見も分かるので「他人のこの評価はおかしい!」なんて言いません
これなら躍進していく安田現象ワールドを今から楽しみにしてます
★2回目鑑賞後↓★
2回目観てきました
1回目と違って細かい部分が見れたので考察が深くなりました
主に気になったのが
・明の研究がストーリーのある部分まで全く進展しないのはなぜなのか
・明が仮想世界内で母親と話した際に「生きなさい」と言われて目が黄色く光っていた
・ナイフでめった刺しにされた後、明の目が黄色く光っていた
・エンディングでの0号の挙動
結論から言うと
明も0号と同じで人造人間、第三人類
かつ、明の行動(0号作成から成長まで)もあらかじめプログラムされた行動な可能性
0号へ稲葉の記憶が追加されたのではなく「0号を通して得た知識を観測した稲葉の記憶を書き込まれた」
最初に疑問に思ったのが「明も稲葉に作られたんだよな」という点
明は稲葉に作られたのでなにかしらプログラムが仕込まれててもおかしくないのですが、初回では見逃してました
仮想世界内で稲葉と接触して最後の「生きなさい。あの子と一緒に生きなさい」と言われた直後、ショタ明の目が黄色く光っていました
あの黄色く光る眼はパソコンで言うところの処理中を受け付けている際のランプと一緒なのかと
となると、問題は「稲葉は何のプログラムを始動させたのか」という点
仮想世界から茜のビンタで目覚めた明が最初にしたのはなにか
稲葉から引きついた研究の完成です
バラバラになったソルトは電動スクーターに変形して完成
なんらかのプログラムを入れられていたソルトは見事にプログラムの書き込みに成功し完成
となると次の完成は0号になります(あとはストーリーの通り)
研究の完成に喜ぶや否や、ここで一つ仮説が生まれます
「明の研究が進展を迎えてなかったのは稲葉のプログラムが原因で塞き止められていたのでは」
明の研究が行き詰っていたのは果たして明の実力不足だったのか
稲葉との接触してすぐすべての研究が完成に導かれています
しかも起きた直後に明の"自主性"で0号に会いに行こうとしています
仮に明が稲葉の知識を完璧に理解していたとしたら明は0号を作ることはなかったし、自主性を学ぶこともなかったでしょう
となると、天才科学者の稲葉ならシナリオはしっかり作るはず
研究が行き詰まり、あらゆる可能性を経て研究を進めようとする
彼女を作るという発想も想定済みでしょう
なぜなら、明を作った際の人造人間技術は"なぜか"失敗せずに正常に流用できたのだから
0号自身にプログラムではないと証明するために滅多打ち滅多刺しにされた明ですが、明自身も黄色い光を目から小さく発していました
あのタイミングで実行する処理が分かりませんでしたが、稲葉がなんらかの干渉を行ったのではないかと予想します
稲葉に記憶を書き換えられた根拠としては、ラストの「0号の目の光の無さ」と「エンディングに流れてくる0号のバイト風景」です
稲葉は登場シーンでは常に目に光がなく特徴的な瞳をしています
対して0号の瞳は瞳孔の上に白い光があります
最後のラボで明と再会した0号の瞳には白い光がありません
エンディングで流れてくる0号のバイト風景は、バイトを始めた頃と同じく鍋で肉を焦がし、水をこぼし、メニューの提供先が分からずホールをうろちょろしています
入院患者が長期寝たきりで筋肉が弱り、思う様に身体が動かせないのとは明らかに動きが違います
「やったことがない。0から学んでいる」といった風
もっと言えば、元の0号でもしなかったホールでの提供ミスまでしてしまっている
これはもう別人が新しくバイトを習っている と疑ってしまう
エンディングの最後に0号が稲葉の使っていたリフト台座を使って何かを研究していて降りてくるシーンはもう公式が稲葉の存在を示唆しているといっても過言ではない
絵里が解読できない内容の研究を、0号が易々と理解して手伝ったり自主的に進めるのもおかしな話
仮説ですが
稲葉は0号(第三人類かつ自分の転生先の依り代)作成の為に明を生み出す
稲葉自身はAIで自分を作り出し、スパコンにデータを保存している
明は生み出される過程で命令されたプログラム通りに生き、研究に行き詰まり進展を求めて彼女(0号)作成に着手
成長の過程で自身の手助けがいることを見越して、明と仮想世界で接触、研究を進展させてソルトを使ってネットワークへの介入を可能にする
絵里から0号解放後、0号が自身の気持ちがプログラムでないと証明するために危害を加えて自壊(生態)プログラムで壊れそうになるところへ干渉するが失敗
結果的に0号は耐えた、もしくはギリギリ精神が壊れた為、意識を失っている間に稲葉の記憶を0号へ書き換えて入れ替わる形で復帰(完全な上書きだと周囲に違和感を持たれかねないので、おそらく0号の人間関係程度は残していたのかと)
明も第三人類ではあるものの、稲葉のプログラムで動いているので0号(稲葉)と家族をすることになる
AIの稲葉は今もネットワークを介して明を監視している(ラストでタクシーのカメラが明を注視していた)
こんな感じになりました
彼女の“Modern…”
物理的に彼女を“創る”というぶっ飛んだ話。
普通は理想の女性を創るもんだけど、主人公の目的が恋愛と別にあるため興味ナシというのが新鮮。
序盤はコミカルな面もあり楽しく観られる。
それにしても、研究が上手くいかないとか言いつつ人間を創り出すって、どういうことだよ。
それに関しては後で回収されるけど、周囲の反応は?
一切隠してる様子もないのに騒がれないし、あの世界の科学レベルや常識が分からん。
0号が人間らしくなるのはアッサリだが、階段の昇り方などでテンポよく表現されてて悪くない。
創造物が心の有無に悩むのも定番ながらしっかり描けていたと思うが、終盤は情報過多ではないか。
明も“第3人類”だったというのは予想できたけど、ラストカットはどういうこと?
稲葉が自身の“器”を創らせてたのかな。
だとしたらホラーもいいとこだし、明は自身のことに何故か気付いてなさそうだし、話終わってないよね。
0号が種﨑さんだった理由にエンドロールで納得した。
あれをやるなら母親関連もっと描写してほしい。
明が覚醒したらバラバラに壊れてたロボットが再生したり、複数のソルトが変型できたり、色々と謎。
サポートロボに何故か刃物が搭載されてるし。
わざわざ教授の目の前でソルト強奪させた理由は?
クライマックスで制圧された後は存在が消えるし、絵里の背景がイマイチ見えない。
キャラは魅力的だったし、作画も動きや表情から無機物までCGとは思えないくらい質が高かった。
(カップ麺、グラス、ハンバーグが特に印象的)
茜が好きだけど、ほぼ『キズナイーバー』の千鳥よね。
初長編らしく詰め込みすぎは気になったが、27年の次回作には期待したい。
お互いの揺れ動く感情が見所
0号を可愛く描いているので、気になっていた作品ですが、物語に入りやすい期待どおりの作品でした。
キックボードのような物に乗って追うシーンは、立体的でスピード感満点でした。
後半、0号が明を殺しにかかるショッキングなシーンがあり、分かりにくい部分もありますが、それだけ明を想う気持ちが強かったという見方もできます。
最後に「2027」と出たのは、続編があるのでしょうか。次回作も期待できる内容でした。
花星
2025年1本目のオリジナルアニメ映画。
なーんか評判低いなーと思いながら劇場にINしましたがこれは賛否真っ二つに割れるわとなりました。
ただ自分には強烈にブッ刺さって、しばらくこの作品のこと以外考えられないくらいには染み込んでいました。
特典はポストカードでした。
彼女を作ると研究の効率が上がると信じて彼女を作り上げてしまう水溜明と様々な世界や恋模様を知っていく0号とのボーイミーツガール、そして切ない展開になっていくと観る前は思っていたのですが、そこは前半までで後半は怒涛のフルスロットルな展開で、鈍器で殴られたんじゃってくらいの衝撃の連発でした。
彼女を作ったというところで成果が出るかに重きを置いていて、そこで結果が出ないからモヤモヤする明と、何も知らないから人との交流や明を好いてるというプログラムに沿って動く0号のすれ違いがなんとも切ないところ…。
と思ったら0号が明に猛烈にアタックをしていったり、一緒にデートしてみたりと突然可愛い行動をしてくるのでメチャクチャに脳を焼いてくるので困ったもんです。
それに全く気づかない明を小突きたくなりますが、研究バカなのでそこはお察しといったところで。
ここまでソルトは掃除したり壊れたりといっただけの描写のみだったのに、0号が連れ去られて助けると明が決意してからは凄いスピードで街中を駆け抜けますし、ハッキングして信号を止めたりバリケードを作り出したり合体してLUUPみたいな乗り物になってコナン君みたいに街中を縦横無尽に走り出しますし、なんなら明も結構なスピードで裸足で走っていたりといきなりアクション的な絵面が強くなって圧倒と困惑が同時に襲ってきて感情が大変でした。
敵に追いついてからの明の無双っぷりも違和感ありありでしたが、人を想うとこれほど強くなるの超絶強化版なんだろうなと納得はできました。
絵里さんは序盤から怪しかったので黒幕ですと言われても驚きはしませんでしたが、もうちょっと敵としての活躍を見たかったところです。
0号を助けにいき敵も一掃した、さぁここからどうなる?と身構えていたら0号が石を投げたりするなど反抗をしだしてからはこれはまさか…と思っていたら明を思いっきり攻撃しにいき、義手をバキバキに、馬乗りになって顔面を思いっきり殴り倒すなどポスターからは予想できないシーンを見せつけられて鳥肌立ちまくりでした。
最後はなんやかんやあったけど0号と元に戻れたのか…と安心して気を抜いていたところにどう考えても0号ではないのに0号の見た目をした0号がいて、これお母さんじゃん…ととてつもないバッドエンドをお見舞いされてこの作品スゲェ…と圧倒されっぱなしでした。
声優陣は皆々様本職なのもあって圧倒的な演技合戦が繰り広げられます。
種崎さんは一人二役、0号の天真爛漫な様子にはとてつもないヒーリング効果がありましたし、自分が作られた存在と知ってから狂気に満ちていく様子まで最高すぎてゾゾっとしましたし、母を演じる時の危うい感じもお見事ですし、最初から最後まで種崎さんの声に支配されていたなと思いました。
改めてアーニャの声はどこから出てるの…?となってしまったり。
アニメーションはとんでもないクオリティで個人スタジオで作り上げていて凄かったです。
キャラも基本的に違和感なく動いていますし、アクションシーンは躍動感満載で良かったですし、キャラクターの表情は豊かで0号の愛嬌の良さや茜さんのツンデレっぷり、モブキャラまでこだわられていて良かったです。
前半、中盤、後半とガラッとジャンルが変わるのでそこに困惑する人は間違いなくいると思いますし、あれだけ研究に悩んでいたのに0号をサクッと生み出したのはなんでだ?となるのも致し方ないのかなと思います。
ただ作家性がここまで強烈に出たアニメ映画をリアルタイムで観れることは幸せですし、何より最初から最後まで釘付けにさせられたのでこの作品の虜なのは間違いなしです。
続編か新作は2027年ということで首を長くして待ちたいと思いますし、是非とも安田監督の違う作品やアニメシリーズなんかも観てみたいなと思いました。
鑑賞日 2/1
鑑賞時間 19:25〜21:10
座席 D-14
ジャンル通りの内容でSF
驚くほどサイコスリラーだった。
主人公の馴染めない性格設定も恋愛に至る唐突さも全てが母親の掌の上での事であると言う結末は中々に恐怖を感じた。
恐らくは主人公が研究者を目指した事も研究内容がチグハグであった事も0号を作った事も母親に仕組まれたプログラムである。何故ならそれが全て物語上上手く噛み合いすぎていたからである。
なので主人公は最初から最後までプログラム通りに動くロボットでしかなかったという訳だ。
実際、最終的に母親の復活まで果たしているからである。
対して0号はイレギュラーで家族ではなく彼女として作られた結果、自らの恋と心は作り物ではないかと疑問を持ち始める。
それ故に最期に自らの恋と心の存在を証明する為に主人公の殺害を実行するのだが、一歩及ばずに果ててしまうことになる。
そして物語ラストで起き上がった0号は恐らく母親のデータがインストールされた状態である。
その根拠はエンドロール時のファミレスバイトで0号が軽々こなせるようになった業務全てを失敗している描写である。人は経験のない事や苦手な事に関しては最初から上手く出来ないからである、例えそれが「怪物」と呼ばれる天才であっても。
はっきり言ってバッドエンドなのだが、0号はそのプログラムから解放される最期に人間になり得たと思う。結果として敗れたが創造主に対しての反抗を実行し、自らの存在証明を立てたからである。
そう考えなければあまりにも0号が可哀想で浮かばれないからだ。
考察しがいがあり、絵的にも文句のない本作だが星一つ下げた理由は上記の内容に対する描写が薄すぎる事である。
ちゃんと見ていていないとこの辺りの話を理解する事が出来ずに物語自体が滅茶苦茶にしか見えないからだ。
この作品の評価が下がっているのも恐らく理解してもらえて居ないからだと思う。
2027年にも新たな挑戦をする予定のようだが、それも期待して待ちたいと思う。
やりすぎた感
ジャンル的にこの作品なんなのかと聞かれたらてんこもりファンタジー?と言うかも
はっきり言ってバイオレンスとホラーが大嫌いなので、最後のメッタ刺しシーンはいらんやろって思った。
主人公が研究に取り憑かれて人間性がないのも愛せない、ただこのズレた性格がストーリーを動かしてるのが残念
意味わからん
序盤はアンドロイドである0号が周りの人との関わりを通して、人の心や主人公である明への気持ちを知っていく話でけっこう楽しめた。
しかし、二人がすれ違ってからの話が全く理解不能。頭を抱えてしまったぐらい。
なんでその行動をとるんだ、というようなものが多すぎる。キャラクターにまったく共感できないし、理解もできない。だから、行動ひとつひとつが全然響かない。感動シーンみたいな演出をされてもちっとも感動できない。
映像はすごく綺麗で、キャラクターの可愛さや良さが出ており、動きのあるシーンは見応えがあった。
でも母と銀杏並木を歩くところは、唐突に入ってきて時系列がわかりにくい。
結局どうなったの?というところがまったくわからない。次回作で全部綺麗に回収できるのか不安になるぐらい気になるシーンが多い。
この作品を見るなら後味が悪いことを覚悟して見て欲しい。
【追記】Febriの記事を読んで
舞台挨拶中継付きの回を見てきました。
花澤さんは絵里さんのことを物腰柔らかで面倒みよさそうなどと仰っていましたが、流石にざーさんの役が裏切るのは最初からわかってしまっていました…
(明るい顔して、表情とは裏腹な感情を心に潜めている2面性キャラの役が多いため、声を聞いて声優さんを連想して裏切るな…となってしまう こればかりは仕方がない)
少し甘いのかなと感じつつもこれが本命ではないこともなんとなく分かってはいたので、終盤、期待通りに予想外の展開をしてくれて良かったです。最後は次回作を期待させる見事な引きだったと思います。
この作品は作家さんが楽しんでいる作品で、自主制作から生まれた映画だなと感じられる箇所がいくつもあり、とても楽しめました。
(特に疾走感のあるシーンは良かったです
ソルトのフワッと高速で走るシーン
開発者の少年のために各地に導入された“複数の”ソルトたちが駆けつけるというのも斬新で、とても夢のある展開です)
𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄
【追記 2025.2.8.】
追記の前に…
新作映画の予告が公開後すぐに発表され、
SNSでの宣伝リールの選曲は流行りの曲
シナリオは御本人の要望(?)とはいえ全任せ
この映画のPはどうしたんだ…と思ってしまった
予告に関しては、続編でないなら上映後すぐに出すべきでは無いと思うし、仮に出すとしたら全く違うシーンにするべきだったと思う
私は正直それを先に見てしまったので続編ありきで映画に臨み、レビュー↑していた節があった。
ただ、どうやらあれは続編では無いらしい。
本作を綺麗に着地したという人もいるが、
私にはどうしても
『最後0号が病み0号になって、
次回作で明たちを襲いに来る』
と見えてしまった。
それと0号が生体だということに関しても
確かにそう言われればそうだと納得したが
一方で、エリさんはそっちの研究もしていたのだろうかという疑問は浮かぶ。
(作中ではソルト型の研究作業のみが映されたため)
Febriのインタビュー記事を読んで、ようやく思惑やギミックが理解でき、ならもうちょい説明欲しかったかなぁ…と思ったたため、(表面的にドラマが展開していき終わるが、実は全く描かれない裏設定にはホラー要素やえげつない事情など…作中のあれこれが含蓄のある表現だったというタイプの作品はあるが、たとえそうであっても説明は確かに足りていなかった。そのため)再度レビューをし直した。(3.8→3.1)
とはいえ、中盤〜終盤にかけてはやっぱ良いし、他作品には見ない癖強な感じも珍しく、突き抜けた疾走感はやはり見ていて気持ちいいものだった。
確かにほしのこえとどこか共通したものを感じる。
エロゲ世代では無いのでそれがなんなのか説明することは出来ないが…
序盤☆3.5
中盤〜終盤☆4.5
その他 ☆ 2.1
総合☆3.36(四捨五入→3.0)
全29件中、1~20件目を表示