メイクアガールのレビュー・感想・評価
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0号ちゃんは可愛い
気になるタイトル名だったため、公式画や予告も見ずに鑑賞しました。
想像しながら見続ける事は出来ましたので、これも一つの女の子を作り出したお話なのかと思いながら鑑賞できました。
一番の感想としては、0号ちゃんは可愛いと思います。
序盤・中盤、そして終盤で色々と変わっていく部分がとても良かったです。
キャラクター紹介通りに葛藤していく部分として考えると、そのような考えに辿り着いたのかと思いながら見ていました。
お話の展開としても序盤に問題を提起し、挟まってくるフラグも回収して終わったと思えました。
その上でスタッフロールの所も成る程といった感想になっていました。
終盤の内容も考えようによっては…と、色々と考えてさせられてしまうと思いました。
個人的にですが『映画のタイトル・副題で釣れた人に向けた映画』とも思えました。
端折っている部分が多く、頭の中で人物関係や心情も想像しながら話を観ていく様なアニメでした。
見終わってノベライズを読んで世界感を堪能して欲しいという雰囲気も少し感じてしまう部分もあります。
色々と自分を納得させながら見ていかないと厳しい部分もあり、
主人公に感情移入出来ない・都合良すぎる展開が都合良すぎる等の部分を妥協出来ない場合は鑑賞が厳しい作品と思います。
人によっては散々やった物語がそうなってしまうのかと冷めてしまう様な気もします。
ポップコーンは初見であればSサイズで丁度となりました。
上映時間は短い方ですが、感情移入出来なかった場合や二週目の場合はMサイズでも食べながら観れてしまうと思います。
人造美少女より頭のおかしい天才少年、さらにぶっ飛んだ発明家ママのイヤ~な三つ巴戦。
びっくりするくらい、
感情移入のしにくいアニメだったなあ(笑)。
そろそろ上映が終わりそうなので、レイトショーで鑑賞。
(客は5人でした)
この手のポンコツ(非人間&人型)美少女は、それこそ『電影少女』のあいや『東鳩』のマルチのころから大好物だった人間なので、とても素直に期待しながら観に行ったのだが、『アイの歌声を聴かせて』のようなタイプの映画かと思い込んでいたら、ふと気づくと『School Days』みたいなことになってるわ、挙句にラストは『ゲゲゲの謎』か楳図かずおの『洗礼』みたいなことになってるわ(笑)、なかなかえらいものを観てしまった。
最初にいっておくと、この手の「個人で頑張ってつくってきた」出自のクリエイターのことは、新海誠から堀貴秀にいたるまで、僕は誰でも心から尊敬するし、心から応援する。
なので、基本的にはこういう映画には頑張ってほしいし、なんとしても成功してほしい。
ただ、率直な感想としていろいろ文句をいいたくもなったので、観て面白かった人は不快な気分がするかもしれません。読まずにスキップしていただけると幸いです。
なんにせよ脚本には、明らかに難がある。
端的にいうと、ナラティヴの技術が拙い。
用意されているパーツの大きさや形がちぐはぐなうえに、出して並べていく順序がへたくそ過ぎて、話に入り込めないといった感じか。
そもそも、人造人間がヒロインの場合、通常「まわりはふつう」で「ヒロインはポンコツ」という「対比」と「ツッコミ」を通じて観客を慣らしてから、徐々に物語に引き込んでいくものだと思うのだが、この話の場合、つくった天才少年のほうがよほど異常でバランスが悪いので、なかなかお話の「足元」が固まらない。
人造人間を作ろうとするきっかけが、最近研究に行き詰まって悩んでいたのだが、友人に恋人が出来て「パワーアップした」ときいたので、仕事効率を高めるために制作することにしました、で、やってみたらさくっと出来ました、というのも、さすがに事の軽重のバランスが悪すぎる。
あるいは、シリアスそうな内容のわりに、設定がばかばかしすぎる。
だいたい、家事ロボットの制御に四苦八苦している研究者が、生体人造人間をいきなり組成するとか、ありえないほどの快挙なのに、完全にスルーされたうえにしれっと学校に連れてきている始末。たしかにそれはある種のテンプレなのかもしれないが、『Dr.スランプ』のようなギャグ漫画や、『ちょびっツ』のような「最初からアンドロイドが存在する世界観」だからこそ許されているのであって、本作においては、この大発明が「彼に出来た」理由も「それが世間に流される」理由も、まるでピンとこない。
てゆーか、生体人造人間をつくったおかげで、家事ロボットの制御ができるようになりましたとか、不死のクラゲが作れましたとか、それこそ本末転倒もいいところだし、これだけ頭の良い少年が、「カノジョを作っただけで研究が進むようになる」と思い込む幼稚さも、「研究が進まないなら捨てる」選択をとる恥知らずな非人間性も、通常の観客からはとても共感を得られるとは思えない。
主人公の属性をドアスペに設定すること自体は、別に構わないのだ。
(僕に言わせれば『Z』のカミーユも、『劣等生』のお兄様もバリバリのアスペである。)
だが、それをどれくらい主人公が認識しているかとか、彼の行動を見守っている人たちがどれだけ客体化してそれを作中で表現するかとか、主人公の心のない行動がどれだけ回りとの軋轢を生むかとか、そういった「キャラクターづけ」の作業をこまやかな手つきでやっていくからこそ、「おかしな主人公」を客に「納得させることが出来る」わけだ(同じ声優のやっている『僕の心のヤバイやつ』とかは、まさにその好例だろう)。
だが、このお話ではそういった「キャラづけ」の作業がまったく行われないまま、天才少年に感情移入させようとしている気配があって、そういう作り手の「感覚の鈍さ」によって、見ている観客の「ヘイト」はむしろどんどんたまっていく。
いやもしかすると、『School Days』の伊藤誠のように、「ラブコメ主人公かと思って観ていたらどんどん異常性を増していって、やがて天罰が下ってざまあみろ」的な展開で客の溜飲を下げさせる目論見だったのかもしれないが……あれは、作り手が「敢えてそうしようと仕掛けている」のがちゃんと伝わったから傑作になったのであって、『メイクアガール』の場合はそういった「客との駆け引き」が出来ていないぶん、単純に観ていて不快である(笑)。
ツンデレ世話焼き二番手ヒロインが、なんでこんな得体の知れない天才少年に惹かれているのかも皆目わからないし、もう一人の男友達との関係性も含めて、学校内での立ち位置がイマイチ理解できない。町じゅうで使用されてるロボット&システムの構築者みたいなすごいVIPが、ひとりでぶらぶら巨大ラボとアパートと学校を行き来して生活してるのも解せない。どなたかが「主人公の訓練用に設定されたバーチャル空間のNPCかと思った」とおっしゃってて、まさに的を射た意見かと。
要するに、それなりにシリアスな設定のわりに、安易に「グーパン幼馴染」とか「屋上とバイト先でだけ会う男友達」とか「めちゃくちゃやってもハブられない学校」みたいな、ゆるい系ラノベのお約束をそのままつぎはぎするから、違和感ばかりが募る前半戦になってしまうのだ。
前半でさんざん「こりゃダメだ」と思わされたのち、まず主人公がバグって、それから信頼していた某人物がバグって、そのあとヒロインがバグる。
共感を集めきれていないキャラクターに壊れられても、観客としては途方にくれるばかりだ。
特に、主人公の頭がおかしいうえに価値判断のバランスが致命的にくるっているのはよくわかったけど、普通のドラマだと少なくとも「捨てられた側のヒロインの懊悩」くらいはきちんと描かれるものだと思うし、そこから段階を追って「執着」の度合いを深めていき、「ロボットが創造主によるコントロール(三原則)から外れることの意義」を強調していかないと、ヒロインのあの選択はとても腑に落ちるものではない。
それなのに本作では、0号ちゃんは追い出されてからほとんど出てこなくなるし、彼女との再会後にああいう展開になったら、今度は誘拐犯の気配が消えてしまう。
結局、やりたいシーンをつなぎ合わせているうちに、キャラが「あぶれちゃうから」しれっと退場させているようにしか思えない。
例の誘拐犯にしても、あれだけ最初から食い込んでるんだから、もっとやりようはいくらでもあるだろう。余裕で連れ出せる関係性をわざわざ築いているのに、なんで強襲かけて誘拐なんかしなきゃならんのだ?(笑)
終盤でヒロインの0号ちゃんが取る選択にも納得がいかない。なぜかというと、自分の気持ちが本物だと相手に証明することがいかに大事だったとしても、通常の思考回路でいえば「自分が好きな人を傷つけるのはイヤ」なことに変わりはないはずで、「愛を証明するために傷つける」ということを肯定した時点で、本当にただのストーカーやDV女と変わらない狂人に成り下がってしまっているからだ。
「好きな人にイヤな想いはさせたくない」
「好きな人が痛い目にあうのなんかイヤだ」
この当たり前の大前提を完全に無視して、相手に自分の愛情をわからせるといいながら、実質は「自らのアイデンティティの確立」のためだけに動く0号と、それをなんとなく肯定する主人公および作り手の感性は、やはり一般とはかなりズレているとしかいいようがない。
まあ、ありていにいうと、作り手自身もまたかなり強烈なASD傾向の持ち主であって、自分の行動によって相手に生じる感情の機微に対して、きわめて鈍感なタイプなのではないかと感じざるを得ないわけだ。
ラストの母親の大ボス感も、一般の人は猛烈にイヤ~な気分にしかならないんじゃないかなあ。
結局は、人造人間も十分にポンコツで暴力的だったけど、よほど、それをつくったフランケンシュタイン少年のほうが本気で頭がおかしくて、さらにそれをつくったお母ちゃんのほうが最高級にぶっ飛んでて、くるっているという構図で、ラブコメをやるふりをして呼びつけた観客に、後半は延々とマザコン話を観させて悦に入るという、何だかおそろしいことになっている。
作り手のなかでは、上記の「観客にとってはストレスにしか感じられない展開」について、意外と辻褄が合っているように認識している可能性もあると思う。
たとえば、主人公の天才少年の思考回路が素でおかしいのは、彼が●●●●だからだし(終盤の夢のシーンとラスト近くの目の描写でほぼ間違いない)、周りがやたら生ぬるい目で彼を見ているのも「実はみんなそのことを知っている」からかもしれない(そう考えると友人の妙に達観した姿勢も理解できるし、ラストでケガをした主人公がどう処置されたかについても悩まないでよくなる)。
彼の発明に妙な凸凹があるのも、母親がそうなるように「すべて最初から仕組んでいた」からかもしれないし、0号ちゃんが暴走するところまですべてアプリオリに予定通りだったのかもしれない。
だから、作り手やシンパは「最後までちゃんと観れば、わかる人にはわかります」と思っているかもしれない。でも僕は結局のところ、この話は「結論を最初から知っていて、どういう話かわかりすぎている人が、前から後ろに話をうまく通せなかった」典型例だと思う。
本格ミステリでよくあるんだよね。最後のトリックと犯人がわかってから読み直したら、何をやりたかったかよくわかるんだけど、初読の際にやたらと読みにくい小説って。今回のもまさにそういうケースではないか。
ここで思い出すのは、やはりずっとひとりでアニメを作ってきた塚原重義の初の商業作品『クラユカバ』の出来の悪さと、同時上映された『クラメルカガリ』の完成度の高さのことだ。前者は塚原自身の脚本。後者の脚本も塚原だが、「原案」でラノベ作家の成田良悟が参加している。
やっぱりね、「餅は餅屋」ってのはホントなんですよ。
必ずしも優れたアニメーターだからといって、優れた脚本が描けるとは限らない。
とくにスクリプトチェックは、第三者の「それが得意な人」の手を借りないと、どうしようもないような気がする。
パンフを読んでみると、本作の監督、安田現象氏は脚本の完成稿までになんと31稿も重ねられたとのこと。すごい努力だとは思うけれど、プロデューサーは一切お話の内容には関わらせてもらえなかったらしい(「安田監督からは最初に、初作品だけは脚本に一切口を出さないでほしいという割と無茶な要望があり…(中略)…ストーリーは全て任せることにしました」)。
一方で、安田氏は3Dアニメ制作と並行してラノベ作家も目指していたという話だが、「ライトノベルの新人賞は最終選考一歩手前まで残って、あと少し頑張れば受賞できるぞというところまで進んでいました」とおっしゃっている。
失礼を承知でいえば、「受賞する域にまでは達しなかった」作家さんともいえるわけだ。
僕は、たとえ専門の脚本家もしくは作家さんが絡んでも、監督の想いが伝わらないということはないと思う。むしろ、映画は総合娯楽芸術であるわけで、脚本家が我を張って作品を台無しにするようなことは(少なくともアニメでは)あまりないのではないか。
やはり、次回作ではプロのライター(たとえば大河内一楼みたいな人)を入れたほうが、格段にいい映画になると思うんですが、どうでしょうかね。
最後に、3Dに関して。
「顔」は思っていたより2Dに寄せていて、とても見やすく撮れていたと思う。3Dが苦手すぎて『バンドリ』や『シャニマス』すら中途脱落してしまった僕から見ても、顔回りの表現は悪くなかった。
ただ、歩き方や走り方は、かなりおかしかった気がするなあ。
挙動全般もやはり「3Dくさい」としかいいようのない部分が多く、このへんはどうしてもリミテッド感がぬぐえなかったかも。
でも、この90分のアニメが、6人くらいで作られていると考えると、やはり凄いことだとは思う。
小説版を読むと理解しやすかった
映画→小説→映画の順で2回鑑賞しました。
1回目は何の知識も無く鑑賞したので、よく分からず0号がかわいいという感想しか残りませんでした。
それから小説版を読みましたが、こちらでは明と0号の心情や舞台の設定等が分かりやすく描かれておりました。
0号の変化や稲葉がやったこと等、映画のみの鑑賞だと説明不足な部分が多々あると思います。
小説版読了後の2回目の鑑賞では、各シーンはこういうことだったのかと理解が深まりしっかり楽しむことが出来ました。
この作品が好きと感じた方は、小説版を読まれることを強くオススメします。
新種のサイコホラー映画
何と孫六!この映画、脚本の決定稿が出来るまでに31稿も書き直しているのだ!
パンフレットのプロデューサーのインタビューを読むと監督が、
脚本については自分で書きたい!他人に書き直ししてほしく無い!
と、言う事を聞かなかった為に、脚本には一切、口出しは出来なかったそうだ。
まぁ、クラウドファンディングで自力で制作費をかき集めた努力は買うが、31回も書き直した脚本がこの程度の出来だという事を突っ込むのが、プロデューサーの仕事じゃないのかい?
だってさー?社会のインフラを変えてしまうくらい凄いお手伝いロボットを作る右腕が義手の天才高校生が、学校でやる事といえば、
カップ麺を自動で作る装置を作るとか、反省文を代筆してくれるロボットを作るとか、何で、あえて低いレベルの発明をしているのかが分からないし、
あれだけ、生活の役に立っているロボットに自我を持たせる為に苦労していたくせに、同級生が彼女が出来たらポテンシャルが上がったと聞くや、
あんな、チンケな施設で人造人間の女の子を作って、その女の子を同じ学校のクラスに入学させたりする。
綾波レイですら、成長に何十年もかかっていたのに、高校生のおにゃのこのカタチで自我もあるというのは何故だ?袋入りのうまかっちゃんラーメンを作るみたいに簡単に人造人間を作りすぎ。
で、あっさり人造人間に飽きて、捨ててしまう。おい、おにゃのこと付き合ってポテンシャルを上げる目的はどうした?
それから、人造人間がさらわれたから追いかける時にお手伝いロボットが自走して追いかけるんだけど、一輪車なのに、結構、早いのだが、何故か、分解して、キックボードのカタチに高速変形するのだが、変形する必要性は無い。
追い詰める時に、都市の道路通行止めの機械をハッキングするのだが、別にハッキングしなくても高速キックボードで走っているから、規制する必要が無い。
人造人間を拉致った犯人に意外性を持たしたかったのかもしれんが、そもそも登場人物が少なすぎるので、アイツが犯人かな?という予想は見事的中する。
ようやく、助け出した人造人間に駆け寄ると、全く意味の分からない理由で主人公は鉄パイプで殴られて、残った生身の左腕も切り落とされて、サバイバルナイフで滅多刺しにする。え?何で?
途中、死んでしまった母親の夢を見た主人公は、自分も人造人間かもしれないという展開を匂わせるも、尺が無いのでカット。
おにゃのこの人造人間も実は死んじゃった母親が息子の為に用意したという台詞があったが、おにゃのこの人造人間は主人公が1から作っていたじゃん?どこに、母親が手をかけた描写があったのだ?
そして、主人公をなます斬りにして半殺しにした人造人間のおにゃのこは眠りにつく。
ある日、主人公が家に帰ると人造人間がいない。ようやく、探し当てた人造人間が主人公に向かって、
おかえり、✖️✖️ちゃん!
と、言う。死んだお母さんの魂が人造人間の身体を支配したかのようなカンジで映画終了。
何じゃ、こりゃ?EDロール終了後、パーサーカーの如く、長いヤッパを振り回す人造人間のおにゃのこのカットで2027年公開の字幕。
この監督は何だ?人とのコミュニケーションがうまくいかなくなったら、暴力か武器で解決する人なのか?まぁ、これだけ文句を言っても続編は見るが、
↑ 見るんかい!
脚本は他の人にお願いした方がいいぜ?
映像の映画冒頭の彼女が出来た友達との会話シーンはカクカクして気持ち悪かったけど、それ以外はサクサク動いていたしねー?
と、いうワケで萌え豚と、事故としか思えない最低レベルの脚本が劇場公開されているのを見たい物好きと、未完成で劇場公開したアニメ、ガンドレスを覚えている人にお勧めの映画だ!
アニメファンなら、話しのネタに見ようぜ?!中々、こんな体験は出来ないぜ?突っ込みドコロが多すぎて、このアニメを見た後のファミレストークは盛り上がる事、間違い無しだ!
お前も、この映画を見て、俺のように苦しむのだぁぁ!!
↑ おい
90分のカップ麺
ロズと迷ってこっちを見に来たが、自身がユアストーリーと二ノ国どちらを見るか迷って後者にした人間だということを改めて思い知らされた。
結果、大変楽しく鑑賞することができた。
本作は人造人間の明くんが、人造人間の女の子0号ちゃんを制作するところから始まるボーイミーツガールに見せかけた、ヤバい女性の狂気が主題の硬派SF作品である。
ボーイミーツガールを求めて鑑賞しに行くと、終盤で0号ちゃんが「明くんを傷つけることで自身がプログラムにとらわれない行動ができるのを証明する」という名目で本気バイオレンスを行うため、非常につらい体験をすることになる。
あと稲葉さんが0号ちゃんに成り代わったりする。そうして永遠の輪廻を獲得するための途中経過を見ることができる。
本作において主人公である明くん、ヒロインの0号ちゃん、明くんを制作した研究者の稲葉さん以外は全員舞台装置だ。
特に友人2人は気持ちが悪いくらい都合の良い動き方をするが、展開のためにそういうキャラ付けがされているだけなのでむしろ進行を妨げない自然な動きをしているということになる。
にもかかわらずどこか気に障るのは、そうした装置やモブにかなりの労力や情報を割いているからだろう。
例えば、幸村茜が明くんに対する好意を持っていることを執拗に描写するが、明くんがそれに足る人物であることの描写はほとんどない。なんか手はあったかいらしいが、それくらいだ。明くんは作中の大半で上手くいかないことに腹を立てたり稲葉さんと会話したりしている。加えてソルトを2体も使ったLUUPは惜しまず乗り捨てる。もっと気張って足で走れば追いつきそうなスピード感を演出されているのにも関わらずだ。
もしかすると0号ちゃんがそれを学習したという設定なのかもしれないが、「そういうふうにプログラムされたものである」という旨のセリフが存在する以上、幸村茜の必要以上の描写はノイズに感じた。
特に大林邦人はなんのためにいたのだろうか。彼女でパワーアップという衝動は彼からじゃなくても拾えたのではないだろうか。
そうした画面のディティールに対するあまりの情報量の少なさに、中盤あたりから恐怖を覚え始めた。
確かに、キャラは美しく豊かな表情に輝くような瞳は3DCGに思えないほど繊細で、学校机や自販機といった物でさえたっぷりの光とテクスチャを注がれてリッチな画面作りに貢献している。だからなんだ?
それらが美しく見える説得がされない。ただ理由なく、あたかも美しいみたいに演出される。都会の空を鳥が駆け、色づいたイチョウが舞う、それが次第に苦しくなる。キャラでさえこれはなんだと繰り返し問う。
物語は主要3人の内面で繰り広げられるのに語られない。キメのシーンこそ手厚いが、それに至る思考を追うような描写は薄味だ。
白々しい日常に時間が割かれ、セリフは表面をなぞる。そしてなんかカッコいい言い回しでまとまらない。
映画は冒頭でこう語る。これは5分かかるがカップ麺を自動で作る装置だ、人力の方が早いけど、と。
それがそのままこの映画のすべてだ。本作を90分流されるより、観た人から映画評を聞いた方が話も理解も早い。
しかし90分かけて作られる美しいカップ麺を味わいたいのであればこれほどおすすめできる作品もそうないだろう。
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追記
こんな評価にしているが心の底から楽しんだのは事実で、次回作を鑑賞しに行くことのは確実だ。
鑑賞を終えて帰宅した後、AIに強い口調でメイクアガールの批判をするよう頼み、それに対して私が擁護をするという形のセルフカウンセリングを行った。
それから、AIがあれば何かが変わると語る父の顔を思い出し、じゃあアンタはAIで何したいのよ浮かばないでしょと糾弾した母の顔を思い出した。
自分でも何を言っているのかわからないが、星5の作品が心を動かすのだとしたら、1.5の作品は心の座標をずらすような感覚にさせられる。
その晩、日本にいながらブラジルの朝日を望んでいるような気持ちだった。
何を言っているのかわからないと思うが、この作品を見れば実際このような気分になる。観てほしい。そしてネットでメイクアガールの話をしてほしい。頼むから。
最後は結構集中してしまいました!
公開中のアニメーション映画ということで、確認するとCGだけどキャラデザが結構好みだった本作。映画好きの同僚N君に本作のことを尋ねると、監督さんはショート動画をXに挙げていて結構尖った作品だったけれど長編はどうだろうってことだったので観てきましたよ、N君。クライマックスはかなりデンジャラスで痛そうでした。
天才発明家の明君は自分の製作したお手伝いロボットがいろんなところで働いている。でも本人曰く、それはお母さんの遺産で自分のオリジナルは失敗ばかりで本人はかなり悩んでいらっしゃる。
親友の邦人君がバイトの先輩が彼女になってくれて仕事がパワーアップしたと明君に話すと明君は人造人間の彼女を造っちゃった。←そうじゃないだろっと突っ込みを入れたくなる。
0号ちゃん、学校に通って明君の隣の席って???
人造人間に対して同級生も先生も普通に受け入れてるし、明君の腕からリモコンスイッチって一体何なんだ!
序盤は本作の世界観が全く受け入れられず、中々物語に気持ちが入っていけない。
その内、0号ちゃんは同級生から色々教わって、明君に対する自分の思いに対して悩むけれど、明君は元々プログラムされたものとして0号ちゃんの思いにまともに答えない。
自分の研究が相変わらずスランプで恋人が出来てもパワーアップ出来ないどころか、生活面で自分より進化する0号ちゃんに対して明君は突き放し距離を置こうとする。
自分の造った0号ちゃんと自分のお母さんを重ねていく辺りから、もしかして明君もお母さんが作った人造人間なんじゃなかろうか??
と思い始めた頃からすっかり物語に集中してました。(本編ではそういうことは一切語られてませんのであくまで自分の感想です)
0号ちゃんの思いに結論が出せた明君は誘拐された0号ちゃんを必死に追いかけます。
絵里さん初めから怪しかったけど、やっぱりラスボスですか。
と思ったらラスボスはまさかの0号ちゃん。最後はかなり集中してました。
最後まで話が分かればもう一回初めから見直したいと思う本作。
上映ラストの週末ですが座席は5割埋まってました。リピータの方も結構多いのでは...
パンフはもちろん売り切れでした..残念。
エンドロールで声優の花澤さん、雨宮さんはすぐわかったけれど0号ちゃんが種﨑さんだったんだっと思ったら、お母さんも種﨑さん!とは驚きました。
エンドロール後の2027ってやつは続編を制作中ってことですかね。
ゲーム的な世界
途中までの展開から、主人公が作られた人造人間みたいな存在で、その教育を行うために、仮想空間で学校生活を送らせているのか、とか思っていた。倫理観の破綻した世界で、人を作った、すごい、とかあっさり受け入れるクラスメートとか、ゲームのNPCだろうと思っていた。というか、そう思いたかったが。
セルルックCGはだいぶ一般的になってきたか。どの3DCGアニメでもいつも思うのだが、街を歩く人々がみな同じような重い足取りのモーションというのは、何か制約があるのだろうか。
ゲーム慣れした世代だったら気にならないストーリーなんだろうか。私には、ちょっと無理なお話だった。
長編デビューおめでとうございます。
安田監督、長編作品デビューおめでとうございます!
安田現象さんの短編作品の大ファンとして、映画の告知を見た瞬間に上映館を探しました。今回の作品でも、可憐なキャラクターやCGを意識させない味わい深い映像、逆にCGならではの緻密な背景描写、想像力を刺激する細かな心理描写、キャラクターの細やかな動きが存分に発揮されていました。
特に、短編作品でもよく登場するあのキモかわいいロボット、ソルトが大活躍していたのは嬉しいポイントでした。
一方で、短編では作品の面白さの一因であった高い密度が、長編では重たく感じられる部分もありました。作品中の明や0号の思い、監督の情熱が全編にわたって溢れかえっていました。
天才肌の作家さんは、自分の作りたい作品と視聴者が求める作品とのバランスを取るのに悩まれることが多いように感じます。安田監督もそのような立場にいらっしゃるのかもしれません。将来的には、宮崎駿監督に対する鈴木敏夫プロデューサーのようなリアリストのパートナーが必要になるかもしれませんね。
拘りが強い
SFベースの世界系で、その根本には聖書のエピソードが散りばめられている…という印象かな?
アダムの肋骨から作られたイブとか、禁断の果実とか、兄弟殺しとか。
んで、そこに自分越えが重ねてあるんかねぇ
とても面白いけど、そーゆーのが好きな人にしか刺さらない万人向けしない作品だなーと思った
これで続編?の計画あるのはチャレンジャーだなぁ
ただま、主人公が普通に狂ってるからその部分の共感性は低そうだなぁ…などとも
基礎が緩すぎて共感できる部分があまりない。
ベルばらと封切り日が同じでしたが、イロイロあってようやく鑑賞できました。
満を持して鑑賞したわけですが、イメージしていた内容と全く違い、コリャいかんという思いが冒頭から出てしまいました。こんなにも『生者(なまもの)』をアッサリと製造して良いのか?と言う疑問と、超一流の機械科学の研究が出来る頭脳なのに、ナゼ中学生みたいなロジック?という錯綜が冒頭から中盤までずっと頭の中に居座っていました。
ところが、そこから後のクラスメートとのアレコレや日常シーンを観てると、あ、そう言うことなのか?と気づきました。つまり『頭が良い≠賢い』と言うところから、中二ロジックだからこそ倫理観皆無で女の子造りましたー♪ 的な前半の展開なのかな?と。
あの『0号』ちゃんはロボじゃないですよね? 細胞から造ってるんですよね? そしてその元々はどっから入手? 生物の脳をAIみたくプログラムできるの? みたいな根本的なところが気になってしょうがなくて、そんな0号ちゃんもワリとイタい思考ロジックで‥‥
この辺り、ひょっとすると、何か重大な勘違いしてる? もしそうであればご勘弁を‥‥😂
そんな訳で、中盤以降は生身であるがゆえに当然のごとく自我があり、彼氏という設定の生みの親を束縛したかと思えば、拒否られてヘソを曲げてからの、終いニャ大暴走。そしてロボコップの頃からのお馴染みの展開が‥‥ この辺はイヤに人間っぽい?
ビジュアルも精密で綺麗だし、展開自体は画面を見る限り違和感がないので、何となく観てはいられるものの、後々になってドンドン疑問が湧いてきて、振り返ってみれば結構穴だらけな脚本だったなぁと。説明が足りないと言うか、結論ありきでソコに向かって強引に突っ走る展開が観ていて薄いし浅い。細かーいところにも粗があって、お話の創り方・シーンの設計があまり上手とは言えません。
黒幕の登場にはソコソコ意外性はあったものの、その根拠が科学者としてどうかと思うし、だからと言ってその暴挙に出る意味はあるのかと。そもそも一連の行為というか展開が、何の目的なのかも解らずじまい。ついでに母親との関係も何だか曇って見えにくかったし、義手の理由も不明で、イロイロ勘違いや見落としが懸念される程までに、全てに於いて中途半端な感が否めませんでした。90分という尺の制限があったせいかも知れませんが。
そう言えば、自分は最高のパフォーマンスを発揮した事がなく、せいぜい60点止まりで、平凡とも言えないレベルに小さく纏まってこの年齢に。人生を良くする努力は何もしなかったなぁと反省しても時既に遅しです。
SF中毒者は通っておかなければいけない作品
人間は2種類に分けられます。メイクアガールを好きな人間と嫌いな人間です。
低予算の割に高クオリティではありますが、ヒットさせて儲けようという考えが皆無です。
脚本は話を展開させる手順が無茶苦茶、誰が観てもストーリーに違和感を覚えます。
ただツッコミどころは前半に集中させてたので、「ああ、これはIQの低い作品なんだな」と腹を括れました。そうじゃないと鑑賞に耐えられないでしょう。
観終わった感想ですが、もう一回観に行きたいです。昨日の焼肉屋のミノをまだ噛んでる感じです。
ネタバレですが、エヴァンゲリオン初号機ですね。SF中毒者は通っておかなければいけない作品でしょう。
見所少ない
久々にきつかった
個人創作の延長のような形で商業ベースに乗る劇場長編アニメを作り上げる、それだけで偉業だし、その熱量も凄い、というのが大前提としてあるので、もちろんリスペクト。
しかし映画としては辛かった。ので、以下は観てない人と好きな人は読まないで欲しい。まず、普通に旧来のアニメ的な芝居をする商業アニメとしては、動きがぎこちなく、単純にクオリティが物足りなかった。今は深夜アニメでもCGでかなり奇天烈なことやってたりするので、別のフォーマットや表現でも良かったのでは、と思ったが、動きとかに関してはストーリーに乗っていけば、段々慣れてはくるので、とりあえず置いておく。
なので問題は脚本や設定、キャラクターの造形といった作品の世界観をかたちづくる諸々が、全てにおいて都合が良すぎるというところに尽きる。まず主人公の持っている巨大ラボや潤沢な資金はどこから湧いて出てきているのか不思議なんだが、遺産とか発明の特許の上がりなのだろうかと考えたとしても、そこまで無尽蔵な訳はないし、そもそも莫大な資産持ちだとしたらセキュリティが緩すぎるしで、となると自由に発明に励める高校生というキャラ立てをするための装置として存在しているとしか思えず、ギャグ漫画ならともかく、一応シリアスな展開を用意してある作品としてはそれだけで作品内でのリアリティが感じられなくなってしまった。そしてほぼ人間そのもののロボットを作るのはとんでもない発明の筈だし、物語内でもそんなことを言っている人がいたけど、その成功に対する扱いが軽すぎるのも謎で、物語世界の科学技術が一体どこまで進んでるのか分からないが、人間を創造すれば当然起こり得る周囲からの影響を、作り手側が閉じた物語を展開するために意図的にオミットさせて、物語に都合の良い状況を維持しているのがありありで、しかもそれがあまりに不自然なので鑑賞していて非常にノイズとなった。物語後半では主人公周辺の科学力だけで都市機能をコントロールしちゃうようなこともしちゃうし、この主人公、ブルース・ウェインか、というレベルで、なんでこんな危険人物がのほほんと高校生活を送れているのかも訳がわからない。そんな意味不明な世界観の中でいきなり感情を盛り上げるっぽい展開が来て、劇伴も思いっきり盛り上げに来るから、こっちはシラけて単に音楽うるさい…ってなってしまう。そして凄く気のいい爽やかな級友に幼馴染っぽいツンデレ的級友というとってつけたかのような周辺キャラクターの存在もご都合主義的で、人の感情の機微を理解出来ない欠落したキャラクターの主人公になぜこんな友人がいるのかサッパリ不明だし、ストーリーを作る上で都合がいいというだけで登場しているとしか思えない。環境も人間関係も、主人公と主人公が作る0号という少女型ロボットとの物語を語るためだけの都合の良すぎる要素で溢れているから、もうこれは何か妄想的な、もしくは何者かによって仕組まれた陰謀的な世界設定なのか、いや、そうであってくれ〜、そうでなければ理解出来ねえ〜と願いつつ観ていたが、そんなことも無く作品は終わった。人を創造することへの責任感や敬意が根本的に欠落した主人公と作品の作られた方が見事に同調しちゃっていて、これが単に個人的な作品であるならそれはそれで味だけど商業映画としてはどうなの?と感じた。
あとは親子の関係性とかパートナーに母親を求める幼児性とか、エヴァの気色悪い部分を踏襲している感じがオタクの悪しき側面全開で生理的にイヤだな、というのもあった。とはいえそんな部分もご都合主義も、今後とことん突き詰めて行けば作家性とかに見えてきたりするのかも知れないけど。とりあえず現時点では長編アニメーションを完成させたこと自体が凄いと感嘆しつつ、映画としての評価は別、というところだった。
少し辛口です。すみません。
作品に点をつけるからには基準を明確にしておきたいので言っておくと、
私の採点基準は
映画館に見に行って損したなという感情が湧かなければ★3
個人的な好みが加わって★4
人にも勧められれば★5くらいの基準で付けてます。
本作は★2かなと思います。正直長編映画作品として成り立ってないと感じました。
見に行った理由としては、昔からSF、中でもAI(人工生命)と人との対話、シンギュラリティを題材にした作品が映画、小説、漫画…媒体問わず大好物でたまたま映画館でこちらの作品の宣伝を目にして興味を持ったからです。
安田現象さんという方は存じ上げなかったです。すみません。元はショート動画作家さんなのですね。
この手の題材の焦点は往々にして、AI(人工生命)の成長とそれに関わる人々や社会の成長が物語の核となります。「ロボット」という言葉が世界で初めて生まれた古典戯曲の頃から一貫したそのテーマにもはや目新しさはなく、どのように見る人に届けるか、が作家性の問われるところと思います。
本作品は焦点がばらけすぎていること、人工生命とその開発者の感情がまったく共感できない(できるように描けていない)ことがこの作品のちぐはぐ感だと思いました。
作品内の人物が、脚本の思い描いたストーリーをなぞる様に行動しているようにしか見えず、感情移入を大きく阻害しています。
初めから決まったプロットに向かってキャラに行動を起こさせている状態です。
もちろん傑出した人物(そのように造形したキャラ)は他者の共感を得られない、というのも主張としてあるとは思いますが、それはエンターテイメント作劇としては成り立っていないと思います。お金を払って見にくる人々の大半は私も含め平凡な一市民なわけですから。
見ている人々に対してこのキャラはこれでいいんだという説得力を作品単体で持たせるべきです。少なくともこの作品ではそれに失敗していると感じました。
見る人に補完させる余地を残すのは作劇の手法ではありますが、多くを語らないことと、語るべきことを語らないは別の話です、時間的余裕のある長編であればなおさら。
必要な部分を入れきれないならもっと焦点を絞るべきだったと思います。
ただ、アニメーション作品としてはクオリティ高く出来上がっていたと思います。
0号ちゃんや茜ちゃんはかわいかったですし。
初の長編監督作品がこのレベルで出来上がってくるのは称賛に値すると思います。
これからのステップアップに期待します。
日本アニメらしい
お前がママになるんだよー、な感想でした
ゼロ号ちゃんはなんのために作られたのか、それは主人公の意思ですらなく、その母親の生まれ変わりの母体になるための器だった?散々零号ちゃんは自分の意志が存在していることを証明するために苦しんでプログラムに抗おうとしたけど、結局は創造主たる母親に乗っ取られてますね。事前にSFサイコホラーと言われてた理由がわかったわ。結局零合の意志は上書きされてママに乗っ取られていたっぽいので、一見ハッピーエンドっぽく見えても不気味なエンドだった。レビューだと3.3だけどこの不気味さは良かったし、個人的には面白かった。まあ主人公の馬鹿さ?とか身勝手さとかやや不快な部分は大きいけど、恋愛感動物ではなくSFサイコホラーとしてみるなら面白かった。俺のレビューは星3.7。それにしても主人公はママが生まれ変わって幸せだろうけど、ゼロ号は散々苦しんだ挙げ句乗っ取られてその短い人生は何だったんだろうか、と思うとモヤっとする。生まれさせられて、消されて。あと、主人公も人造人間っぽいんだよねぇ、主人公とゼロ号、新世界のアダムとイブっぽいかも。あと世界観は微妙だった。いきなり人造人間作った挙げ句周りの人間はそっくり受け入れているし、あっさり高校に入学しているし。倫理とか法律とかいいんか?なんか権力でもあるのか?まあそこは無視するとしても、ちょっと強引だな。
この映画のバックグラウンドを知っているかで
個人的には星5を付けたいのですが、
正直、映画として評価すると星3、
気持ちを込めて星4にさせて頂きました・・・
バックグラウンドをわたしなりに要約すると、安田現象氏はYouTubeショートでいつも楽しいループアニメを作られている方で、このメイクアガールはそんな安田氏が、自身の作りたいものを映画にしたいとクラウドファンディングで資金を募り、3000万以下という費用で、ここまでのオリジナルのアニメを作られたという、熱いバックグラウンドのもと製作されています。
それが小さな劇場のリレー放映とかではなく、普通に大きな映画館で、人気新作と並んで放映されている。しかもKADOKAWA配給で。
これってアニメでは凄まじく稀有なことで、アニメ映画の在り方を見直せるレベルのスゴい事だと思います。
見せたいものを表現する手法として、相当なアニメへの熱量を感じながら、見させて頂きました。ありがとうございますと言いたい。
ここからは、単純に映画としての評価・・・
やはりショート動画での魅せ方と、長編映画の魅せ方は、当たり前なんですが、まったく違うなと。
きっと表現したかったのは0号。そこにスコープを当てたところからストーリーを作り込んでいて、そこから主人公の有り様を作っていると邪推しました。
だから主人公の性格設定に無理筋な感情が足し込まれている。
愛情を理解できない主人公という表現を直接的に表現していて、見ている方はイライラが募ってしまう。ここは長編アニメとしては、内面的な表現にしてくれれば、もっと感情移入できたように思う。
あとストーリーが進む中で、押井守氏の映画のような、中繋ぎの表現があり、途中少し眠くなってしまいました。途中ドキドキ・ハラハラというより、街中をじっくり観光するようなイメージ。これをするには、相当な背景の作り込みが欲しくなってしまいます。
そしてストーリーとしては、世界観は現実にかなり近いところの、近未来的な世界なんですが、いきなり0号が受け入れられている。
交通網をブッ壊すレベルのことが起こっているのに、そこまで騒動になっていないとか、ショートレベルのアニメなら気にならないところが、映画になると滅茶苦茶だな・そんなことにならない、みたいなところを見てしまう。
これは完璧にファンタジーな世界観にしておかないと、一定現実感のある世界観のまま実行してしまうと苦しいなと感じました。
しかし!この費用でここまでの長編映画を作り、時折コマ数が足りないと感じるところもありながら、映画館で見れて良かったと思える映画にまでしたのは感銘を受けました!
新海誠氏がXで見られたあとに、"刺激を受けた"とつぶやかれたのも頷けます。
こういう映画の作り方、そして表現したいものを作り込み、この費用で世に出せるんだと。
2027年新たに挑戦される!?ようなので、次はYouTubeショートで作られている世界観の映画が見れることを祈りつつ・・・
是非この映画を見られた方は安田現象氏のYouTubeショートを見て頂きたい!
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