「ジェンダーというより「人間の業」をエグる作品」TAR ター スキピオさんの映画レビュー(感想・評価)
ジェンダーというより「人間の業」をエグる作品
今年のアカデミー賞作品ノミネートで気になっていた作品。権力・クリエイターって何?と考えさせられるテーマ。
ベルリン・フィルの主席指揮者で女性のリディア・ターが主人公。マーラーの全交響曲をベルリンで振ってCDにするぐらいの第一人者。そのリディアが欲しいままにした権力と、指揮者としての才能が徐々に崩壊していく様を描くヒューマンドラマ。
映画的には、まずは音でしょうね〜。クラシックをテーマにしているので、当然に演奏シーンの迫力があるのですが、リディアがだんだんと堕ちていき、精神が蝕まれていくのを、色々な「雑音」で表現している。隣人の呼び鈴、人の叫び声、メトロノーム、冷蔵庫の音(お〜、ハチクロじゃん!)、様々な雑音が彼女を追い込んでいく。もうドラマではなく、ホラーですわ。
で、主演のケイト・ブランシェットは凄いの一言です。ピアノでバッハを弾くは、マーラーを振るは、ドイツ語とアメリカ英語(確か彼女はオーストラリア人)はペラペラだわ。何よりも、この主席指揮者様の不遜で堂々とした態度を強烈に示しています。
物語的な妙も素晴らしいですね。これ、高名な指揮者がセクハラとパワハラしまくる話で、実際のカラヤンやバーンスタインの逸話が元ネタ。でも、それに1つ決定的な嘘を入れるだけで、そんなゲスな話が深い話になる。それは「高名な指揮者」を女性にしたこと、です。
ただその1つの嘘で価値観がひっくり返るんです。指揮者とコンマスが付き合って、エコ贔屓でソリストを決めるなんて、男性の指揮者を主役にしたら、いまのポリコレ世界では作品になりませんよね?でも女性なら、立派なジェンダーもの、になる。これも痛烈な皮肉ですよね〜。
やりたい事を成し遂げるためには、名前すら偽り(リンダ→リディア)、あるべき姿を演じて嘘を重ねる。そうして築きあげた権力の前には男も女もない。何かを得るためには、何か失わねばならない。で、全てを失っても、フィリピンでモンハンのゲーム音楽の指揮をしてでも、クリエイターはやめられない。
決して面白い作品でも分かりやすい作品でもないので、おすすめはしませんね。
ただ、恐ろしい人間の業を描いた傑作なのは間違えないです。