「絶頂のその先」TAR ター 平野レミゼラブルさんの映画レビュー(感想・評価)
絶頂のその先
栄光を手にした指揮者が狂気の果てに得るものとは……という予告や、絶頂極まった瞬間を映しつつもどこか不穏な闇が目立つポスタービジュアルからして、私のオールタイムベストである『セッション』みたいなのを期待していたんですが、だい~~~~~~~~~ぶ変な映画だったな………!!
上映時間158分の長尺のうち、2時間は溜めに要したように恐ろしくスローペース、かつ現実か幻想なのか見紛う描写がちらほら見られ、解釈に異常に困る怪作と言えます。
僕が『セッション』大好きなのは、あのパワハラファッキンクソハゲが絶頂に至ったその瞬間に潔くエンドロールに入るという引き算を極めた構成にあります。
あのハゲも教え子のニーマンも、ぶっちゃけクズなままだし、正直あの後に2人とも大成するとも思えないんだけど、それでもあの最高の瞬間≪セッション≫を演奏できたんだ…!って部分に物凄いカタルシスを得てそのまま終わることができたわけです。
ところが本作に関しては敢えてその絶頂の続きを描いている。
暗転&スタッフロールに響き渡る民族歌……といきなりエンドロールを意識した画面から始まる辺りそれは顕著です。
その後も専門的な話が組み込まれた音楽の講演や授業を何の面白みもなく長回しで流し続けるなど、かなり挑戦的な作り。
これは本作が絶頂に至った主人公の女性指揮者ターの転落劇であるが故でしょうか。エンドロールを迎え、完成された理論を並べ立て、そしてそこから突き落ちていくだけ……という。
それにしても、その後も話の全容が見えないまま、多忙なマエストロの日々が描かれるのですから困惑しちゃうんですよね……
基本長回しだし、説明も少ないし、合間に本当にちょっとした奇怪な事や音が起きるといった調子なので、話の骨子を掴むのにも苦労しました。2時間かかってやっと「転落劇」だって理解しましたからね。疲れる……
アパートに響き渡る異音の正体など、物語が進むことで明らかになる「奇怪」もありますが、謎のまま終わってるものも多いので気にかかるところ。
本の送り主や深夜遅くにひとりでに動き出すメトロノーム、ランニング中に聴こえた悲鳴、オルガは何故あんな廃墟に住んでいるのか(もしくは最初からいないのか)、消えたスコアの行方……真相・暗喩諸々が画面のあちこちに仕掛けられており、悉くを見落としている感じなので焦ってしまうんだぜ……
だからといってこれもう1回観たいか?って言われたら、そこまでではないってのが正直なところなんだよなァ……本作は凄くスローペースかつ長尺だから単純に観返すのも苦労しますからね。あと、音楽の知識が必要とされる場面とかになると完全にお手上げ状態だし。
音の拘りに関しては滅茶苦茶感じられましたが、まさかオーケストラ以上に生活音とか雑音に力入れてるとは思いませんでしたね。
その中にターの精神異常を反映させた幻聴紛いのものまで混ぜるから余計に混乱させられます。要は突き詰めれば、究極「クラシックも所詮雑音に過ぎない」ってことなんでしょうけど。
その雑“音”をも“楽”しむ、言葉通りの「音楽」こそが真髄ですが、一度頂点に立ったターはそういう権威にまみれて本質を見失っています。
劇中で描かれる彼女の中にかいま見える選民意識や傲慢さ、そしてちょっとずつ明かされる女性関係のだらしなさやハラスメント疑惑ってのは、その副産物に過ぎないのかもしれません。
ただ、ターがクリスタという自殺した女性と関係を持っていたってことは事実っぽいんですが、微妙にその加害性の有無に関してはボカされているんですよね……
劇中でリークされた映像ってのは、冒頭の長回しに付き合った観客ならわかるように、かなり恣意的に編集されたものだったので。その辺のハッキリしなさがこの映画の骨子の見えづらさに繋がっていた気がします。
僕としてはあれだけ多くの奏者を束ねて、理想的な音のために引っ張っていく指揮者ってのはエゴイストであるべきと思っているんですよ。いや、もちろん『セッション』のハゲみたいなのは論外ですよ?
ただ、ハッキリ指揮者の人間性がクソって断言してる『セッション』と違って、本作はそのハッキリしない描写のまま「ターは傲慢である」って断罪しているようでこの演出はあまり好きじゃないんですよね……
こういう展開にする以上は、少なくとも「クリスタの自殺の遠因はターの加害性にあった」って部分はちゃんと突きつけないとフェアではないと思うんですよ。
あと、世界的権威だろうとなんだろうと、アパートでピアノを弾いたらそれは騒音だ……って隣人に突きつけられるのはかなり露悪的というか、夢がないなって。
ピアノの音がしたら、あまりに素晴らしい演奏だったんでアパートの皆が逆に窓を開ける『マイ・バッハ 不屈のピアニスト』みたいな展開のが僕は好きなんですよね。それくらいには音楽に理想を抱いているんです。
そういう意味では本作のターが落ち切った先……の描写は個人的には希望と取れましたかね。
東南アジアのだいぶ田舎で、そして音楽的権威とは無縁そうなイベント(モンハンの劇判演奏なのかな?)で指揮を振るうという、これまで積み重ねてきたキャリアからしたら明らかに不釣り合いだけど、それでも純粋に音楽に向き合える場所は手に入れられたんですから。なんせ音に貴賤はないのだから、奏でられるだけで幸せとも思うのです。