「サディステイック」ブロンド 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
サディステイック
ブロンドはJoyce Carol Oatesの小説にもとづくマリリン・モンローの伝記映画です。じっさいの経歴に準拠した話ですがフィクションになっています。
本質的なものをとらえていると感じましたが、不幸な生い立ちに翻弄され、男にもてあそばれ、マスコミに搾取され・・・ひたすらモンローの不遇が描写され、見ていて疲れました。
海外のクリティカルレスポンスも、すべての批評家がアナ・デ・アルマスの演技を称賛する一方で、悪意のあるフェミニスト映画のように「かわいそうな被害者的モンロー像」が強調されていることで評価を落としていました。
結果、どのメディアの評点でも平均値にとどまりました。可も不可もなく──ではなく、良いところもあったが悪いところもあった──という感じでした。
ただしアナ・デ・アルマスは株をあげました。
本作のWikipediaに──予告編が公開された際、キューバ人であるアルマスの起用が不適切であるというクレームが入ったそうです。が、モンロー財団がアルマスを擁護した──とのエピソードが記載されていました。
今までいくつかモンローの伝記映画を見てきたように思いますが確かにアルマスのモンローは出色でした。ただ前述したようにAndrew Dominik監督の演出はサディスティック(モンローがいじめ抜かれる)で、ラティーナであるアナ・デ・アルマスの本来の持ち味(=明るさ)は殺されていました。じっさいのモンローだってもっと明るい人だったのではないでしょうか。
また画が非常に扇情的でした。VOD(Netflix、Hulu、HBO Maxなど)では裸や性描写によって視聴者が釣れるそうです。統計的に確立されているようで、VOD公開の新作は劇場公開の新作よりも描写が過剰化傾向にあるそうです。
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マリリン・モンローという人は、演技ができるセクシー女優でした。これはこんにちまでさんざん言われているモンロー評だと思います。でも実際に演技ができるセクシー女優というものが、どれだけ希少なのか考えると、愕然とします。
戦略としてセクシーの路線から芸能へ入ってくる──これはエンタメにおける女の世界共通の経路です。かのじょらはみんな手始めに身体で売って段階的に登っていくことを思い描いています。しかしいったい何人がその路線を脱却できるでしょう。
その希少性を考えながらビリー・ワイルダー監督のお熱いのがお好きやジョン・ヒューストン監督の荒馬と女を見るのは興味深いものです。
お熱いのがお好きのシュガー・ケーン・コワルチェック(マリリン・モンロー)は頭のわるい女です。女だけの楽団で歌手とウクレレを兼任しています。思慮に欠けますがカラ元気で底抜けに明るく飛び抜けにセクシーです。
モンローはけれん味(はったり・ごまかし)無しでシュガー・ケーン・コワルチェックでした。男を惑わせる肢体と色香を持ちながら警戒心のまるでない「ソサイエティ・シンコペーターズ」のウクレレ奏者でした。
とうぜんその様子からは当時彼女が抱えていた疾病や苦悩は見えませんが、月日を経た現代ではモンローの演じた尻軽な女性像が、彼女の思慮深さの裏返しであることを知らない人はいません。
おそらく男より同性である女のほうが共感しているのではないでしょうか。
芸能をめざす女たちがマリリン・モンローのようなポジションを目標にするのはもちろん、概して女たちはマリリン・モンローのように(媚びではなく)素で男をひきつけながらある種超然としていられる存在に憧れを抱いているに違いありません。
しかしスクリーンのモンローは演技だったとはいえ、あの魅力です。
牽強付会ではありますが、ざっくりと現代の女優やYouTuberやTikTokerと比較してみると再び愕然とします。
媚びも自己顕示もしていないのにみんながモンローに吸い寄せられていったのです。亡くなって60年も経っているのに追憶の伝記映画がつくられるのです。