「はみ出し者だからこそ立て直し、立ち上がれる」サンダーボルツ* 神社エールさんの映画レビュー(感想・評価)
はみ出し者だからこそ立て直し、立ち上がれる
マーベルシネマティックユニバース(MCU)は今までの作品ほぼ(『エージェント・オブ・シールド』シーズン5以降、エージェント・カーターシーズン2以降、『インヒューマンズ』、『ランナウェイズ』、『クローク&ダガー』、『ヘルストローム』以外の『サンダーボルツ*』公開までの作品)観賞済。
ジェイク・シュライアー監督作品は初見。
フェーズ3までのMCUが楽しくフェーズ4以降の作品群も楽しめていたものの、デアデビルの合流で『デアデビル: ボーン・アゲイン』までにネットフリックス版だったディフェンダーズサーガを履修するまでMCU最新作を観るのを我慢していた。
そこからようやくディフェンダーズサーガを全て履修し終え、『デアデビル: ボーン・アゲイン』も見終えてこの作品を観ようとするまでにこの作品の公開が終わり、公開数日で”サンダーボルツ*”から”ザ・ニュー・アベンジャーズ”に切り替わったのも知ってしまい、個人的に予告編以上の作品情報を入れたくない自分は一番のネタバレ要素を知ってしまった気分でガックリしてた。
そしてようやく配信でこの作品を観終えた結果思ったことは、ポスターの表記が変わったのを知っていたからこそ、よりこのチーム名は”サンダーボルツ*”なんだと強く思えたことだった。
フェーズ4以降の映画作品では宇宙規模やマルチバース規模の作品が多かった中で、はみ出し者だった彼ら6人がアベンジャーズ無き今、チームアップとは言えないながらもがむしゃらに協力して進む姿は『アベンジャーズ』(一作目)にも通じるアベンジの話だったし、誰一人名誉や潤沢な資金を持っていないからこそ自分達に共感出来る地に足ついた良い作品だったと思う。
しかも今回ヒーローの役目を担っているのが脛に傷を持つチームで、”全てのヴィランに立ち向かう”アベンジャーズでも、”特殊能力を持っている者を利用しようとする”ヴァルでも救えない、”ボブに寄り添いみんなで救う”サンダーボルツだからこそ、この事件を解決出来たのを納得出来る良い構成だった。
しかも、そんなNYの大事件を救ったにも関わらずエンドクレジット内での世論ではその選出に疑問を持たれているのがSNS社会を風刺しているようにも、そして今のMCUに対する一般の印象にも思える演出にもなってた。
今の社会を冷酷に、そして微かな希望を描いた『デアデビル: ボーン・アゲイン』を見た後だからこそ、この作品で今の時代に”ヒーロー”を管理して利用しようとする権力者と市民に求められて現れる”ヒーロー”を描いているのは、今の社会から続く未来の希望を感じるストーリーにも感じられる素晴らしい作品だった。
そんなシリアスな話の中でもギャグ成分が多めだったり、映像演出的にも他のMCU作品や往年の映画作品のパロディ・オマージュを感じられる、目でも楽しめる作品にもなっているのが良かった。
予告編ではヴォイドの一撃に飲まれたら即死亡級なのかと思ってた(オマージュ元がスーパーマンってのを聞いてただけに)けど、MCU版は結果的に市民を傷つけていない(でも軽く使った程度の能力であの範囲に影響を及ぼした能力の底知れなさ、末恐ろしさもある)のも良かった。
全体的には大満足だけど、欲を言うならばサンダーボルツ内で『キャプテン・アメリカ/ザ・ウィンター・ソルジャー』や『ブラック・ウィドウ』でオリジンや人となりが描かれていたバッキーやエレーナ、アレクセイに比べて劇場作品初登場のジョン・ウォーカーが『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』から推しだった自分としてはもっと尺割いて描いて欲しかったな…。
公開直後のポスターで”ザ・ニュー・アベンジャーズ”に切り替わったのを見てネタバレだと思ってしまったけれど本編を観て彼らに対する世論の評価を見ると、彼らを利用しようとするヴァルに付けられた”ザ・ニュー・アベンジャーズ”に書き換えられたポスターよりも、元々の”サンダーボルツ*”の方がいいし、彼らならきっとこれからのMCUを照らす希望の星になる…!と思うと、今回はネタバレを食らってるからこそヒーローに対する敬愛や親しみの感情により深みが出たように感じた。
