そばかすのレビュー・感想・評価
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恋愛至上主義の社会の中で
他者に恋愛感情を抱かない女性の葛藤を描く作品。社会はなぜか恋愛至上主義的にできている。社会を構成する上で結婚制度は大きな柱となっていると言えるが、結婚とは愛を持ってなすことだというのが、なぜか大前提となっている。「恋愛」という日本語は明治期に成立したと言われるが、それ以前の時代では結婚は個人のものというより、家と家のためのもので経済的事情によるものだった。明治になって西洋化の一貫で、愛の結婚という概念に置き換わっていったに過ぎない。つまり、愛の結婚は、別に絶対の真理でもなんでもないわけだ。
江戸時代の家のための結婚が良いというわけではないが、現代社会にもふさわしい社会の在り方や結婚制度があってしかるべきではないか。必ずしも性愛によって結びつくものじゃなくてもいいのではないか。むしろ、そろそろそういう新しい制度や習慣のあり方を模索した方がいいのではないか。
この映画はそういうことを考えさせてくれる。近代の社会を支えた制度自体がもう合わなくなってきているんだと思う。そういう意味で、本作の主人公は全く珍しい存在じゃないし、多くの人の共感を呼ぶはずだ。
そんなに他人の恋愛って気になる?
三浦透子は「そばかす」の主題歌も歌っている。 「天気の子」の主題歌も歌っている。 他にも三浦透子は映画の主題歌をいくつも歌っている。 演技も歌も上手いなんて器用な人だ。
動画配信で映画「そばかす」を見た。
2022年製作/104分/G/日本
配給:ラビットハウス
劇場公開日:2022年12月16日
三浦透子(蘇畑佳純)26才
前田敦子(世永真帆)31才
伊藤万理華(篠原睦美)
伊島空(⽊暮翔)
田島令子(蘇畑宮⼦)
坂井真紀(蘇畑菜摘)52才
三宅弘城(蘇畑純⼀)
玉田真也という監督は知らない。
2025年7月4日に「夏の砂の上」という映画が公開されるようだ。
出演者は、オダギリジョー、松たか子、満島ひかり、光石研など。
豪華キャストだ。
三浦透子をはじめて見たのは2020年の「ロマンスドールだった」
高橋一生と一緒にカラオケに行く女子大生役だったと思う。
やたらと歌が上手い。「歌、上手いなあ」と驚いた。
三浦透子は「そばかす」の主題歌も歌っている。
「天気の子」の主題歌も歌っている。
他にも三浦透子は映画の主題歌をいくつも歌っている。
演技も歌も上手いなんて器用な人だ。
そばたかすみは30才。
物⼼ついた頃から「恋愛が何なのかわからないし、いつまで経ってもそんな感情が湧いてこない」
そんな女だった。
母親に無理やりお見合いをさせられた。
その男とちょっと付き合ってみたが、
友達としてのつもりだった。
しかし、相手のほうに恋愛感情が芽生えてしまった。
そして、ホテルの部屋でキスを迫られる。
オレ的にはここがこの映画のハイライトだった。
ここのやりとりが自然で、実際にこういうことがありそうで腑に落ちた。
後日、かすみは小学校時代の同級生の男と偶然再会した。
その男と同じ保育園で働き始めた。
男に実は自分はゲイだとうちあけられたが、かすみは「へー」と思うだけで
驚きもしなかった
また、かすみは別の日に、中学時代の同級生である、まほと再会した。
意気投合し、キャンプに一緒に行く。
後日かすみは、まほが元AV女優だと知ったが、特に驚かなかった。
かすみは保育園で、シンデレラのデジタル紙芝居を作るように言われた。
まほがシンデレラは男性目線で描かれていると怒り出し、
それを聞いて納得したかすみは、
王子と結婚しない選択をする斬新なシンデレラの物語を作った。
上演の日、子どもたちは楽しんでくれていたが、
保護者たちが騒ぎ始め、紙芝居は中断されてしまった。
この映画はオーディエンススコアがやたらと高いが、
多くの人が共感できたのだろうか?
オレの
満足度は5点満点で3点☆☆☆です。
生きてる以上は、逃れられんが
大雑把な分類だが、地球上には性別が2つしかなくて、異性同士がお互いを好む事が、オーソドックスな恋愛……?、とのるのかな?
ソコに多様性を持ち込む事で、性別も細分化していくだろうし、恋愛対象も多岐に渡る……人物でない物にまで対象が拡がる。
人生の醍醐味の一つでは有り得る、とは思うものの、そんな恋愛を全く不要とする人生もまた有り得るものなのか?……。
人それぞれだから、否定はしないが…。
否定はしないが、なんだな損な氣もする…、当人が望んでるのなら、イイのだろう。
先人達の生き方からの洗脳が解かれ始めてイイ頃なのかもしれないな……と感じさせらた。
いろんな人達のちょっとした我慢で固められた既知の概念が窮屈ならば、崩れてもいいのかもしれない。
うーん
もっと共感できるかと思ったけど、そんなに共感できなかった。。
あと全然関係ないけど保育士資格なくてもあんな風に働けるんだっけ??
どこのシーンか分からないけど、結婚しないことに理由なんて必要ないって思ってたけど、周りの人にとってはそうじゃないんだなと。変な例えだけど、進学校に行ったのに大学行かないみたいな感じだなぁってぼんやり思った。
別に大学行かないのも、結婚しないのも悪いことじゃないし、本人がそれでいいなら何だっていいはずだけど、親とか身近な人にとってはメジャーな道から外れるわけだから何か納得できる理由が欲しいのかなと。本人からしたらほっといてって感じなのはもっともなんだけど、1人で生きてるわけじゃないしなぁって。
恋愛しなくてもいいと思うわ
恋愛も結婚も考えてないけど…
男性に対して恋愛感情をもてない
蘇畑佳純(そばたかすみ)
一見不器用な人と思ったりするけど
結婚がしあわせという価値観に
自分は当てはまらないと思っている
その結婚に興味もないし
…恋愛にも消極的
そんな佳純の生き方
一見不器用にも思えるが
周りと合わせながらも
芯の部分(本質)を変えない
…価値観
屋上でタバコを吸う(一人時間)
海の砂浜で波を眺めながら寝転んで
"無"(ほっとする)の時間
佳純にとってのリセットになる場所
無理して周りに合わせなくても
いいんだよ
…その人の個性だから
ラストに北村匠海が出て
おもしろい展開だった
もう少し先が見たかった
(シンデレラの所は笑った)
価値観の違いに気づく
おもしろい作品です
主人公に共感が多かった
映画離れしてたのだけれど、これは三浦透子さんが主演とあって、久々に観てみたい!となり、すごく良かった。
この映画の主人公の心持ちが、学生期の自分と重なる部分があって、あぁ自分もこういう時があった、って自分ごとのように見入ってしまった。男の子として好きとかどうだとか、そういうのめんどくさいし違うんだよなーって思ってたし、自分の気持ちを言葉にするのが苦手とか、共感部分が多かった。チェロの音が人間の言葉に近いっていう台詞があり、だから私も好きだったんだなって思った。妙に心が落ち着くというか。
案外、この主人公のように、サバサバしている女の子のほうが本質を突いた会話が出来るから逆に男の子にモテたりする。最後の最後も、良い台詞で終わって清々しい気持ちになった。前田のあっちゃんも、毎度のことながらすごく良い。ドラマより、こういう映画が合う。
自分らしくいることで
恋をするのが普通と思っている人たちは決まって、「好きなタイプは?」「彼氏いる?ほしくないの?」などと聞いてくる。少数派のひとたちは、大多数派のひとたちに”普通の人たちにとっての前提”で聞かれてしまい、その場の取り繕いで嘘をついてしまう。変な人とみなされてしまったり、本心を言っても信用してもらえないことが多いから
そんな普通な人たちに囲まれながら生活している佳純はとても生きづらそう。
ひとりひとり人間は違う、ゲイだからって一括にまとめるが、少しずつみんな違う。
カテゴライズ、枠にとらわれないふうに言うと、陽キャ陰キャ、いじられキャラ、真面目キャラ、多面性があってこそ人間なので、ひとつのカテゴリーで括れるものではないと思う。
だがカテゴライズが悪いばかりではなくいいように作用することもあると思う。
アセクシャルとかゲイとかいう固有名詞もそういうひとが声を上げたことで生まれたもの。自分と似た人や同じ人がいるっていうだけで心強かったり安心できたりする。
自分らしくいるということで他人に勇気を与えることに繋がることもあるんじゃないか?と思わせてくれる映画。
多様性を叫ぶ
見えない境界線
この映画で表現する、普通を定義をしておく。女性は「年頃になると結婚し子供を産むことが幸せ」ということを普通と定義する。ヒロイン佳純の妹、睦美はこの普通どおりに生き今身籠である。佳純は三十歳を超えても付き合っている男性もいないことから、普通の概念に支配されている母親から強引に見合いの場を設定されてしまう。
佳純は、普通ではない「恋愛感情、性欲」を持てない女性だ。佳純役の三浦透子が男性からアプローチをかけられると戸惑った無機質な表情が彼女の普通とは異質な特性を表現している。家族にも社会にも男友達にも誰も佳純の異質性を理解されない。佳純は砂浜に座り海を見つめているシーンが何度も描出される。佳純の諦観に似た表情の哀切さがたまらない。
佳純が砂浜で寝転んでいる時、偶然中学の同級生真帆と出会う。二人は、キャンプに行き意気投合し友達付き合いを始める。真帆もまた元AV女優という普通とはかけ離れた異質な世界を生きてきた女性だ。しかし佳純は真帆の生き方を無条件に肯定する。異質な人間は異質な人を理解できるのだ。二人が親友のごとく付き合う姿が微笑ましい。
佳純が勤める保育園でのデジタル紙芝居の発表で佳純と真帆が考えた「シンデレラ」の挿話でのトラブルは、異質さを普通の人間が安易に認めない証左だ。この時佳純が「すみません」と言って頭を下げるのは自己否定だ。普通の力に屈した佳純が切ない。
佳純は「宇宙戦争」のトム・クルーズが逃げて走るシーンが好きだと言う。その走り方は佳純自身だからだ。ただ保育園の同僚が佳純と同じ異質で「同じ人がいるのなら俺もこのままでいい」と言われる。自分と同質の仲間を知り「私は異質のままでいいんだ」と気付いたとき、佳純は、逃げるような走り方ではなく普通という強固な境界線をようやく超え初めてどこかに向かう力強い走り方とあふれる笑顔を見せ本当の自分を自己肯定できたアサダアツシの脚本と玉田真也の演出による秀逸なエンディングに救われた思いがした。
それでいいんだよ
これを見る直前に「正欲」を観たのだが、正欲での神戸八重子を重ねてしまった。八重子と佳純は真逆の性格だけど、他者(男性)に恋愛感情を抱かないという点で共通がある。
八重子はそもそも男性が苦手で近くにいるだけで発作を起こしてしまうような体質だが、佳純はそのようなナイーブさは持ち合わせておらず「自分は自分だ」という芯が通った性格。三浦透子さんのあのずっしりとした構えと貫禄のあるお芝居にはなんだか安心した。(ドライブマイカーでは虚無感が漂っていたが、本作では色んな感情が表れていてとても良いです。)
目の前に男と女がいたら、何らかの関係性を見い出したくなってしまうのが人間の性のように思える。恋人?夫婦?それ未満の関係性?…そのほかにも兄弟とか友達とか、友達じゃなくてもただの同級生とか、男女関係以外の関係性ってあるはずなのにね。あってもいいのにね。なぜ私たちは枠に当てはめたがるのだろうか。
佳澄を見ていると、「それでいいんだよ」と声をかけたくなる。家族に色々言われてもそれでいいんだよ、チェロを辞めてその後にまた弾いてもいいんだよ、自分の感情と無理に向き合わなくてもいいんだよ。 そう思えたのは、うつ病の父が佳澄に向ける眼差しや慰めの言葉があったからかもしれない。自分のことで精一杯なはずなのにさ、娘のためにチェロ手入れして…。父娘の何ともない短い会話が温かみに溢れていてとっても素敵だった。だから途中から、あの父のような目線で佳澄を見ていたのだなぁ。
あと、前田敦子さん演じる世永が実の父親に向かって激昂する場面があるのだが、あの迫真の主張も素晴らしかった。耳を本当に真っ赤にしながら、心臓から拳が出てきそうなくらいの演技…胸を打たれました。
多様性を考える1作
ただ正しいことを正しく語る当たり前の一本。
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