「賛否両論あるだろうけれど、人生の黄昏や男の哀愁を描けるジェームズ・マンゴールドがメガホンを取ってくれて良かったとしみじみ思う」インディ・ジョーンズと運命のダイヤル 盟吉津堂さんの映画レビュー(感想・評価)
賛否両論あるだろうけれど、人生の黄昏や男の哀愁を描けるジェームズ・マンゴールドがメガホンを取ってくれて良かったとしみじみ思う
インディ・ジョーンズはもともとスピルバーグとルーカスが007みたいなものを作ろうとして企画された作品である。
007シリーズがジェームズ・ボンド役の俳優を代替わりさせていくことで時代の変化に合わせて新しい007像を作り出していったのに対して、インディ・ジョーンズ・シリーズはハリソン・フォードを起用し続けた。
その理由として、ひとつにはインディ・ジョーンズが現代劇ではないため、社会情勢の変化やテクノロジーの進歩など新しいものを常に取り入れていくという必要がなく、インディ・ジョーンズ像を更新していく必要がなかったということがあるだろう。
しかし仮に、俳優を替えて新たなシリーズを始動させるという企画が以前にあったとしてもハリソン・フォード演じるインディ・ジョーンズがあまりにもハマり過ぎていて、とても他の俳優では代えが効かないと製作陣が判断してボツにしたであろうことは想像に難くない。
そのくらいインディ・ジョーンズというキャラクターの完成度は高い。
アメリカ映画を代表するヒーローの一人と言っていい。
事実、2003年にAFI(アメリカ映画協会)が選んだ「アメリカ映画100年のヒーローベスト100」において堂々2位にランクインしている。
自分は中学生のときに『魔宮の伝説』を劇場で観て、そのとき初めてインディ・ジョーンズに出会った。
あまりの面白さに腰が抜けてしまい映画が終わってもしばらく椅子から立ち上がれなかった。
なにせ中学生だったから(笑)。
『魔宮の伝説』も、大人になって改めて観直すと、インドの宗教や食文化についてメチャクチャな描き方をしていたり、イギリスの植民地政策を肯定するような描写があったりして、今こんなもの作ったらアウトだろうというような作品だったりするのだけど(笑)、中学生のときに腰を抜かすほど面白かったという、あの衝撃は忘れられない。
中学生のときに腰を抜かして以来、ハリソン・フォード演じるインディ・ジョーンズは自分にとってはクリストファー・リーヴ演じるスーパーマンと並んでアメリカ映画の二大ヒーローである(奇しくも、どちらの作品のテーマ曲も名匠ジョン・ウィリアムズによる名曲)。
ただ、ハリソン・フォードがずっーと演じ続けているため、観客たちはインディ・ジョーンズがだんだん年をとっていく様を見せられることになってしまった。
本作撮影時、ハリソン・フォードは79歳。
様々な映画の魔法が駆使されていることを差し引いても、その年齢にしてはかなり若々しく見えることは見える。
でも、どう贔屓目に見ても冒険活劇の主人公としては年を取り過ぎている。
御年79歳のハリソン・フォードを引っ張り出してまで、なぜインディ・ジョーンズを作らなければならなかったのか。
もちろん、人気コンテンツは絶対手放さず、手を替え品を替え新作を作って儲けようとするハリウッドの貪欲さというのはあるだろう。
でも、やっぱり前作『クリスタル・スカルの王国』を観た多くのファンが「これでインディ・ジョーンズって終わっちゃうの?」とモヤモヤしたというのが最大の理由ではないだろうか。
こんな終わり方では納得できないというファンの想いに製作陣が突き動かされたのだと、自分としてはそう思いたい。
戦場では敗走する自軍の最後尾を担当する殿(しんがり)を務めるのが最も難しいと言われている。
人気に翳りが見えた長寿シリーズの締め括りを任されるというのも、なんだかそれに似ている気がする。
何をやっても熱烈なファンからは批判を浴びるに決まっているし、下手をすればキャリアの黒歴史になりかねない、それでも誰かが討ち死にを覚悟で引き受けなければならない損な役回りと言える。
ジェームズ・マンゴールドもよくこんな役目を引き受けてくれたものだと思う。
監督を引き受けるに至った経緯は知らないし、彼には彼なりの打算や計算があった上で引き受けたのかも知れないけれど、それでもジェームズ・マンゴールドの男気を感じずにはいられない。
そして、本作を観終わってしみじみと思ったのは、ジェームズ・マンゴールドがメガホンを取ってくれて良かった、ということだった。
こんなインディ・ジョーンズが見たかったのか、と問われると、誰が監督だろうと老骨に鞭打って頑張るインディの姿なんかそもそもあんまり見たくなかったのである。(笑)。
前作ですらモヤモヤしたのに、今作ではさらにモヤモヤするだろうと分かっていたから、インディ大好きなだけになかなか観る気になれなかったくらいである(笑)。
スピルバーグとマンゴールドの作風の違いというのも歴然としている。
スピルバーグが描くインディ・ジョーンズは軽快な冒険活劇だったが、マンゴールドが描くのは重厚なサスペンスである。
スピルバーグが監督してきたこれまでのシリーズは、結構とんでもない死に方で人がバンバン死んでいくのだけれど、その死はあくまであっけらかんと描かれている。
ある意味スピルバーグの悪趣味な面が炸裂しているとも言えるのであり、自分はそんな脳天気な悪趣味さが大好きだったのである(笑)。
一方、本作は最近のダニエル・クレイグ版の007シリーズのような緊迫感あふれる重厚なサスペンスであり、人の死の描き方も重く殺伐としている。
物語から軽快さが失われてしまったことに幻滅したオールド・ファンも結構いたのではないかと思うけれど、やっぱり79歳のハリソン・フォードではどんな軽快な冒険活劇の脚本を用意できたとしても無理があったと思う。
本来インディ・ジョーンズ・シリーズは古代の遺物に秘められた超自然的パワーが物語の重要な要素であり、歴史ファンタジーとでも言うべきジャンルの作品だった。
それが、前作『クリスタル・スカルの王国』からSF的な色合いが濃くなってしまい、本作においてもそれは受け継がれてしまった。
このSF路線の継続に違和感を感じたオールド・ファンもこれまた多かったのではと思うけれど、これも監督一人に責任を負わせる問題ではないだろう。
なんだかんだで本作はスピルバーグが監督したこれまでのシリーズとは雰囲気が違い過ぎていて、特に旧三部作を愛してきたファンにとっては受け入れにくい作品になってしまったかも知れない。
でも、自分がジェームズ・マンゴールドで良かったと感じたのは、彼が人生の黄昏や男の哀愁を描ける監督だからである。
まさかの年老いたウルヴァリンを描いてみせた『LOGAN/ローガン』(2017)や、単純な勝利の物語ではない『フォードVSフェラーリ』(2019)など、彼のフィルモグラフィーには人生の黄昏や男の哀愁を描いた秀作が目立つ。
本作の製作陣がジェームズ・マンゴールドに白羽の矢を立てたのも、彼であればインディ・ジョーンズの黄昏を描くことができると見込んだからではないかと思う。
社会派の作品も撮っているとは言えスピルバーグの本質は永遠の映画少年であり、人生の黄昏や男の哀愁を描くのはちょっと無理な監督だといったら偏見が過ぎるだろうか(笑)。
ともあれ、ジェームズ・マンゴールドが描いた本作のラスト、暖かく、そして哀切に満ちたラストを観て、自分はもう二度と、少なくともハリソン・フォード演じるインディ・ジョーンズの新たな冒険を観ることはないのだと感じて思わず胸が熱くなった。
色々と賛否両論はあるだろうけれど、こういうしみじみとした終わり方でとにもかくにもシリーズを締め括ってくれたジェームズ・マンゴールドに自分は敬意を表したい。
宮崎駿の『紅の豚』とも通じるけれど、年を取れば取るほど主人公の気持ちに共感できて好きになっていく気がする。自分にとってそんな作品だった。
ただ貪欲なハリウッドがインディ・ジョーンズという人気コンテンツを手放すとはとても思えない。
いつかまた予想もしないような形で我々は新しいインディ・ジョーンズと出会うことになるのかも知れないけれど、それはまた別の話。
