ファイナル アカウント 第三帝国最後の証言のレビュー・感想・評価
全15件を表示
ごめんなさいは?
途中までは今まで何度も聞いてきたような証言ばかりだったし、ナチスに加担したことを後悔するような内容だし、丸く収まるんだろうな~などと感じた。時代の流れで、ナチ党に入党せざるを得ない状況もよくわかる。
そういえば、日本に原爆投下したアメリカ軍関係者の中でも開き直って「正しかった」と発言する元軍人も多かったなぁなどと思い出す。それと同じように、未だにヒトラーを崇拝していたりする元エリート士官も登場するという、ある意味ショッキングなインタビューだった。その言葉の後に「ユダヤ人虐殺に関しては支持しない」などと言い訳がましい、白々しい言葉も飛び出すのです。
どこの国でもこんなものか。敵対する兵士(ここではソ連兵)は捕虜にするのに、自国の罪もないユダヤ人は虐殺ですよ?戦争の最大の被害者は民間人なんだと叫びたくなった。
彼らをカメラの前に立たせたことだけでも有意義
ナチスドイツ時代のユダヤ人虐殺の当事者またはニアリー当事者たちの生の声、生の思想が聴ける快作です。
そう、歴史上悪名高いユダヤ人の大虐殺の舞台に立っていた、舞台を見ていた方々、、それも加害側の貴重な声。それだけですごく価値あるって思います。
映画として放映されるという前提でインタビューを受けている彼らのうち、どのくらい本音を言っているのかなぁ?って思いますが、少なくとも後悔の念がある方と、なんら後ろめたいことを感じていない人の雰囲気は区別できるかなぁって思いました。もちろん、全員本音の50%も語っていないのでしょうが(あくまで個人的な感想ですが)。
それを踏まえて、このさまざまな生き証人たちの声を聞いていると、「悲しい歴史」は人々の記憶から「忘れられる」から繰り返されるんじゃないと痛感しました。もちろん、忘れることはあってはならないと思いますが、それが主要因ではないのだと。
自らを正しく振り返られない。認めない。思想が変わらない。または、悪行を認めてしまってる人がいる限り繰り返されるのだと思います。何%かいるであろう同じ考え方、価値観の人がいるのである。その彼らが色々と教えたであろう子孫がたくさんいるのである。
「殺すのは良くなかった、他の土地へ追い出せばよかった」
この言葉を聞いた時、「あぁ、人間は変わらないんだ、粗相は残るんだ」と映画館の椅子に座りながら膝の力が抜けました、恐ろしいほどの無力感に襲われました。
そう悲しい歴史は「忘れられるから」じゃなくて、「人間がいる限り」繰り返されるんだと思ってしまったのです。そして、今2022年。今作られている悲しい歴史が世界を駆け巡ってます。なんともやるせなくなります。
人間って馬鹿ですよね。
戦争の最終決算。
実は直近で一番興味があった映画、ようやく見れた。
大戦ドイツ加害者側からの証言記録で、日本も大戦では似た立場にあり比較目的の興味である。
1945に終わって77年、当時子供で戦争に巻き込まれた人ももう老人で直接話を聞く事はもうできなくなる、つまりそういう戦争の最終決算だ。
ナチスに感化され親の反対を押し切って入隊した少年少女達達の理由が制服がカッコよかったから、皆んなでスポーツやキャンプ、イベントが楽しそうだったから、、、実にナチスの全体設計や魅せ方の上手さがわかる。
そして戦争は激しくなり、いつしか彼らはさまざまな形で戦争に参加していく、、まあ、ホロコーストを知らなかった、、という人はほとんど居なく噂でみんな知ってたようだ。SSトーテンコップスのエリートだった兵士はそんな事するはず無いという。自分や仲間を否定する事になるからだ。こんな気持ちが歴史修正主義者を産むのだと思う。気持ちはわかる、、、しかし実際に起きた事だ。軍の公式命令なのか?現場判断なのか?知っていたのか?知らなかったのか?知っていたけど知らないふりをしたのか? 追い詰められた人間は何でもする。そんな風には戦争は様々な階層が存在する。何をもって戦争犯罪なのか簡単には決めづらいが「それが戦争」であると私は認識している。
ドイツが凄いのはヒトラーを悪役にはしたが、ドイツ人自体が戦争に加担した事、ホロコーストに間接的にでも関わった事を認めている事だ。
罪を背負って生きるのは辛い。
「ナチスは東欧を共産主義から解放したのだ」日本も同じような事を言ってる人がいる。確かにインフラや教育など良くなった面もあるだろうが、侵略国家の言い訳でしかない。
追記:当時ドイツには正規のドイツ軍と、ヒトラーの親衛隊通称SSと呼ばれる二つの軍隊がありました。
SSの装備は大変充実していて、士気も高くエリート達なのですが、反面戦争犯罪に加担した疑いも多いとされています。
当時のドイツ国内では 日常生活の一部の中にナチが存在していて 一般...
当時のドイツ国内では
日常生活の一部の中にナチが存在していて
一般の人の毎日の暮らしとさえも
切り離すことのできなかったもだったんだと
実感できた。
ナチスドイツに関係した人々の証言録をまとめたドキュメンタリー映画で...
ナチスドイツに関係した人々の証言録をまとめたドキュメンタリー映画でした。
特に印象的だったのは、
「私は知らなかった。」
「私は関わっていなかった。」
「非を認めると、私は自分を汚してしまう。それは嫌だ。私はヒトラーをとがめない。」
と言った元親衛隊員達の言葉でしたが、今まさに統一協会との関係が問題になっている自民党のお歴々が、似たらしき言い訳をしていることを見るにつけ、国や時代が変わっても、人間の本質的な負の要素は変わらないんだと実感したところです。
映画としては、かつてナチスに関係した人々へのインタビューと、ホロコーストが行われた強制収容所の映像を繋いだものでしたが、今ひとつまとまりが感じられず、その点ちょっと残念でした。ただ彼らの言葉は過去の歴史ではあるものの、現在、そして未来への教訓として、脳裏に刻むべきものであると思ったところです。
外国人だからこそ撮れた記録映画
ユダヤ人難民だった母を持つイギリス人監督が、当時親衛隊の一員だった人や収容所のあった地域に住んでいた人達にインタビューをしたドキュメンタリー。それ以上でもそれ以下でもない。当事者達が既に高齢なので、こういったインタビューを撮ることは難しくなるのでは。意図せず、今ウクライナで一般人が無差別に殺されている現状が映画を見ながら頭を過る。どういう立場でもやはり大量虐殺は行われてはならない。そういうメッセージを感じるには十分だった。
当時親衛隊だった人の中には、今でも見方を変える事が出来ず当時の自分の立場を正当化するような発言をしている人が何人かいて、少し驚いた。何であれ、語られる事が重要なのだ。実際ドイツではナチスの話は一般的には話したがらない。黒歴史であり、誰もが後ろめたさを感じる強すぎる過去で簡単に語れる事ではないからではないか。この年になったから話せるようになった、そういう事かもしれない。記録として見るには十分な作品であり、それ以上を求める気持ちは、個人的にはなかったし、インタビューに応えている人達を責める気持ちはない。同じような経験をする人が世界中で増えないようにと祈るばかりだ。
生きているうちに。
監督の祖父母が虐殺収容所の被害者という点で、エモーショナル的には、当時十代だったドイツ人へのインタビュー映画のアングルは推して知るべし。抒情的風景が挿し込まれたりと、映像クリエイターである僕には、あざとすぎて作れないタイプの作品だ。
80年前後の時間は証言者を加害も被害も、時の彼方へ送る。日本で言えば、被爆者の皆さんだろう。
ナチスの残骸
ナチス時代、それなりの身分にあったナチスの生き残り中心に、インタビュー。
まがまがしい当時のナチスの映像が出てきます。
言い訳をする人、ドイツ人である事に後ろめたさを感じる人、ユダヤ人の虐殺は間違っていたけどヒトラーは支持する人…
色んな人が出てきます。
自虐史観はイヤなのですが、どうも我が国とカブる部分を感じ、心が痛かったです。
プロパガンダの可能性もあるので鵜呑みに信じる事は危険、疑る気持ちも大切だと思いますけどね。
何はともあれ貴重な記録だと思います。
当事者のインタビューではあるけれど…
ここに登場する世代の人々だとどうしても指令されて動かされた、戦時下の集団意識でそうなった、と言わざるを得ないのが事実と思う。反旗を翻す意志と力があればまた時代は変わっていたかも、しれないのだから。そうは言っても、貴重なドキュメンタリーに仕上がってるんじゃないかなー。
わざわざ映画館で観なくても、そのうちBSでやるのを待って観てもいいんじゃないかと個人的には思う。
「ゲッベルスと私」「ユダヤ人の私」そして本作、すべてホロコースト関係者へのインタビューで成り立っている。
だが、どの作品もその言葉から、その人の本音が、真意が、私には伝わってこない。
歴史的な側面から、このような作品は後世にアーカイブとして残す意義はあろうかと思うが別に映画館でわざわざ見るべきであるかと問われれば、個人的には甚だ懐疑的である。
凄く良い記録映像が残ったものだ。
ナチスに関与したドイツ人の残虐さ、
米軍の人類に原爆投下した人達の軽い言い訳、
大東亜戦争に駆り立てた狂人達などは、
皆んな同じことを繰り返すことを暗示していることがよく分かる。
言えることは、
制服は怖い、
バッチ、勲章🎖は危険だ。
これが増えると危険が近づいている。
この映画はナチス政権下に幼少期を過ごし、ナチスの精神を植えつけられて育った。
長きにわたって沈黙を続けてきた彼らが語ったのは、ナチスへの加担や受容したことを悔いる言葉だけではなく、自己弁護や言い逃れ、さらにはヒトラーを支持するという赤裸々な本音まで、驚くべき証言の数々だった。
期待したほどの衝撃はない。
以前、NHKBS放映された「映像の世紀」でヒトラーユーゲントを取り扱つかったのを見た。あの少年、少女達はどうなっているのか、興味を持ち鑑賞してみた。
監督はユダヤ系みたいだ。そのためか主にユダヤ人虐殺やユダヤ人強制収容所を今どう思っているか問うドキュメンタリーとなっている。結果はドイツ人の恥だと言う人もいれば、ナチス親衛隊は全く関与していないと言う人もいる。ひと様々である。
私はドイツ人、日本人、アメリカ人、ユダヤ人等の人種・国籍は関係なく、個人の良心だと考える方だ。ユダヤ人虐殺を見て見ぬふりをする一般ドイツ国民を断罪する勇気はない。
もっと突っ込んだドキュメンタリー映画をみたかった。
モンスターとは作られるもの
何らかの形でホロコーストに触れてきた者たちの証言集。今は老人となった彼らがナチスを、ヒトラーを、そしてユダヤ人迫害について語るが、それは後悔だけではない。「私は人を殺める行為はしていないから無実」として、自己弁護や言い訳をする者もいる。中には、ナチ党員だった事を今でも誇りに思うなどの衝撃発言が飛び出す。でも、果たして我々はそんな彼らを非難できる立場にいられるのだろうか?
「モンスターは初めから存在するのではなく、作られるものだ」という1人の証言者の言葉。人は誰しもモンスターになり得る要素を持っている。モンスターを作ったのは誰か?そしてその構造は、絶滅することなく現代社会にも根付いている。
全15件を表示