「理想の父親像」帰れない山 かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)
理想の父親像
「一番高い山を目指す者と8つの山を巡る者では、どちらが多くのことを学べると思う?」古代インドのジャイナ教や仏教の世界観に基づいたこの質問は、監督のフェリックス・ヴァン・ヒュルーニンゲンと脚本を担当したシャルロッテの経歴にそのまま当てはまるらしいのです。一つのことを突き詰めていくタイプと広く浅く色々なことを経験していくタイプ。世界的ベストセラーとなっている原作本を読んだ時には正直、英語原題『THE EIGHT MOUNTAINS』の意味するところが今一ピンとこなかったのですが、映画化された本作品を観てはじめて朧気ながらイメージがわき上がって来たのです。
イタリア人パオロ・コニエッティが書いた原作では、主人公ピエトロの父親ジョヴァンニに対する確執にもっと重きが置かれていたような気がします。北イタリアの別荘で知り合った自然児ブルーノに、父親をとられたジェラシーのような感情を抱いたりするのですが、映画ではそこにあまりふれられてはいません。その映画序盤で亡くなってしまう父親の代わりに、モンテローザの山々が存在感を増すよう、4:3のアスペクト比で撮影されているのです。
死の直前まで仕事に追われていたピエトロの父親、そして出稼ぎに行ったっきり劇中全く姿を現さないブルーノの父親。そうなりたくなかった反面教師としての父親の代わりにピエトロとブルーノは、ジョヴァンニが我が子のように愛した“山”そのものを理想の父親像として愛するようになったのではないでしょうか。定職にもつかず作家の真似事のようなことをしているピエトロは“8つの山”を、山の民が本職だと信じているブルーノは“須弥山”を父性の理想型として、対照的な生き方を選択するのです。
しかし山から一歩も出ようとしないブルーノは、あくまでも生活優先の奥さんと子供に家を出ていかれてしまいます。山の生活は家族を養っていけるほど利益を生まなかったのです。さらに自分の殻に閉じ籠るブルーノをピエトロはなんとか救い出そうとしますが....結局、須弥山を極めようとしたブルーノも、8つの山を探し出そうとしたピエトロも、目的を果たせないまま“山”から退場させられてしまうのです。人生における“帰れない山”とは一体なにを意味していたのでしょう。探しても探しても見つからない人生の“山”。理想的な生き方なんてそもそもどこにも存在しないのかもしれませんね。