シニアイヤーのレビュー・感想・評価
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元気が出る!
アイタタ&ハートフルな青春返り咲きのNetflix独占配信映画
真剣に見ないのが正解、という褒め言葉
ここから先はすべて褒め言葉。皮肉ではない。
ほんとに2022年に作った映画か?というような
定番なベタな展開が笑えてホッとする。
設定も、展開が気になる面白さがある。
2002年って、日本でも平成バリバリの時代で
なんとなくそこらへんのパワーって共感できる。
今と20年前、どっちの時代が良い、悪い、ではなく。
良いも悪いも表裏一体。
どっちの時代も一長一短。
最終的に、どっちの時代のいいところを集結してハッピー感はあった。平和な映画。
そんな難しく考えなくていい。
それで正解。
今の時代だったら世間全体に咎められるような、批判がくるようなことも、「学校」という場所を舞台にしたことで
批判の「トゲ」がちょっと柔らかくなる。
「世間からの批判」ではなく「教師からの注意」という範囲でおさめてるから。
しかもその教師も、元同級生。親友。
昔の時代の良さも、
今の時代の規律も理解しているという完璧な存在。
現代への皮肉さあり、笑
20年前の、ストレートな表現に爽快感を感じる自分もいる。
今の時代、快適になった部分もあれば
窮屈になった部分もあるね〜〜〜
そんなメッセージをラフに明るく感じれる映画。◎
シニアイヤー
好きになる要素が色々ある
失われた20年!! レベル・ウィルソン痩せた…?それでも彼女の暴走は止められない!チアリーダーじゃなくてチアキャプテン。彼女の趣味はマドンナとブリトニー・スピアーズで止まったまま。ティファニーとステファニーの因縁。復学、主将、友達、人気者、そして私の人生/夢はプロムクイーンから始まる…はずだったのに?!
時代の変化、多様性を尊重する現代社会の流れに抗い逆らって。同級生の友達は(優しいし意味のある)"ポリコレ校長"になっていた?新入生は最低!人気者の島はどこ?スマホや、現実は惨めなくせに虚飾の世界を作り上げる場SNSを覚えた主人公は人気集めに奮闘。あんな時代錯誤でルッキズムやスクールカースト、そして性差別を助長するもの誰がしたがる?
"ガチレベチ"のレジェンド = アリシア・シルヴァーストーンもサプライズ出演!ティアラよりもっと大事なものに気付いて、人生で初めてワクワクしている。誰かと競い合う必要なんてないのに!2022年版プロムクイーン = いいねやフォロワー数、人気なんかよりもっと大事なもの…それは自分がどれだけバカやってもいつもそばにいてくれた友達。あの子に愛の受け入れ方を教えて。付き合わないか?
P.S. アンガーリー・ライスかわいい。
勝手に関連作『13 ラブ 30』『ライフ・オブ・ザ・パーティ』『ロミーとミッシェルの場合』『ペギー・スーの結婚』『セブンティーン・アゲイン』『クルーレス』
ぽりこれな現代
ウルフオブ~などに出ているジョナヒルが痩せたことがある。幾つかの映画に出ているが、じぶんはNetFlixのシリーズ「マニアック」で(やせたジョナヒルを)見た。
ふとくてコミカルなキャラクターでならした人が痩せると、かなり印象が変わる。
マネーボールやウルフオブ~やジャンプストリートなどなどの彼に好ましさを感じていた。が「マニアック」の痩せてシリアスなジョナヒルには違和感があった。といってイヤになったわけではないが「ジョナヒルはこれじゃない」感がぬぐえなかった。
おなじNetFlixのドントルックアップ(2021)でジョナヒルを見たとき、体型とキャラクターを元に戻していた。なんとなく自身の中でも「シリアスで痩身の俳優」に変調を感じたのではないか──と思った。のだった。
観衆は勝手なものではある。
だが俳優はイメージが固着してしまうもの──でもある。
(たとえば)ローレル&ハーディのハーディが痩せたら別物になってしまう。わけである。
レベルウィルソンの冠映画として二つ目だけど新体型としては初という感じのコメディ。
毒舌キャラなのでシンパシーを寄せにくい人だがじっさいはものすごい苦労人である。
本作ではいつもの体型をシェイプしている。
そのこと自体には新鮮と畏敬を感じた。
が、やはり「痩せたハーディ」のジンクスを感じた。
映画中は37歳だが実年齢は42歳。
毒舌や表情が、太いときよりも鋭い気配を帯びる。と同時に、42歳相応の分別がかいま見えてしまう。
この映画の主成分はもっとずっとハチャメチャな空気感だと思う。だが(ピッチパーフェクトのときみたいに)無茶ぶりしたセリフが、豊かな贅肉に当たってボヨ~ンと跳ね返ってくるような楽しさがない。
くすくすはさせられても哄笑にはならない。──という感じ。
だが映画は世のポリコレ偏重とSNS偏愛に、痛烈な皮肉をかましていた。
さいきん「ポリコレという怪物」というネットにある有料記事を読んだ。
アメリカでリア・トーマスというトランスジェンダーの元男性競泳選手が、女子の記録をつぎつぎに塗り替えている。この不条理にたいして真っ向から追及する者がいない。なぜならトランスジェンダー差別だと言われてしまうから・・・という話。そのことだけでなく様様な例をあげて、ポリコレは単なる言葉狩りに凋落しており、ゆがんだ社会を形成する──と警笛を発している。
ステファニー(レベルウィルソン)が20年間の昏睡から目覚めたところはポリコレ偏重の現代社会である。
そこでは(最優秀をえらぶプロムキング&クイーンのような)コンテストがなく、(優劣が競われる)チームの長がいない。
差が生じてしまうことを排除する世界&虚飾だらけのSNSが跋扈する世界──そんな現代に古い時代を背負ったままの精神年齢17歳のステファニーが迷い込む。
前述した違和感+ウィルソンのエロいジョークに辟易するところもあったが、風刺は的確だった。
ただ映画の主題はそこより、ステファニーが友人を厚意を裏切ってきたことにある。憧憬に執心するより、いつもあなたの隣にいてあなたのことを親身に思ってくれた友人に感謝をしなさい──からの、競い合うことなんかない、みんなステキだよ──へ落とし込んでまとまる。が、まとまりすぎのエンディングはけっこう恥ずかしかった。
クラスメイトを演じていたAvantikaというインド系の子が(ものすごく)魅力的だった。
また一瞬だけ出てくるアリシアシルバーストーンにときめいた。
ところでポリコレが発達した今、昔よりも差別が減っただろうか?個人的には単に陰湿になっただけだと思う。差別は、表から裏に回って、むしろ昔よりも先鋭化している。
さらに記事「ポリコレという怪物」にあるような差別よりもクリティカルな社会の歪みが生じている。
じぶんはポリコレとは誰かの「ごね得」に向き合うこと──だと思っている。
たとえば競泳選手リア・トーマスの問題だが、もしわたしに男だった過去があるなら女と競技しない。ぜったいに。LGBTQも性差別も関係ない、当人の自尊心の問題だろう。泳ぎたいなら泳げばいい。でもなぜ競技に出るのか?男が女に勝って喜ぶのは「彼」が恥知らずだからに他ならない。
元男の選手が女の競技に出るのは、そいつにスポーツマンシップがない=恥知らずだから。ほかに理由が見つからない。女に暴力ふるってるのと同じことだと思う。
お母さん食堂の件なんかも同様、声をあげたどこかの誰かの「ごね得」に向き合う。それがポリコレ。
シンプルでハッピー
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