「人類はよほど早く絶滅したいようだ」アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場 オリジナル・ディレクターズ・カット版 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
人類はよほど早く絶滅したいようだ
とてつもなく重い作品だった。180分という長さもさることながら、登場する兵士たちが命の危険にさらされながら、常に最前線で戦い続ける緊張感に、観ているこちらまで疲れ果ててしまう。
国内外の戦争の記録を分析している作家の保阪正康さんによると、戦場に行ったことのある軍人は、なるべく戦争を避ける傾向にあるそうだ。そういう軍人にとって軍事力はどこまでも抑止力でなければならない。実際に戦争に向かおうとするのは戦争体験のない人間ばかりだ。
役所広司が主演した映画「山本五十六」では、日露戦争の日本海海戦に参加した経歴のある山本五十六は、戦勝よりも講和第一を何度も口にしていた。ヒロシマ・ナガサキの被爆者や沖縄戦で生き残った人々は、言うまでもなくみんな戦争反対である。
そして本作品に登場する兵士の多くも、やはり戦争反対である。兵士は殺人マニアでもシリアルキラーでもない。ソ連の国民を憎んでいる訳でもヒトラーと同盟したい訳でもなく、人を殺したい訳でもない。ただ命令された場所に行く。そして戦闘になる。殺されたくないから敵を殺す。
兵士にとっても民間人にとっても戦争は理不尽だ。国際紛争を解決するために戦争という手段を取ることそのものが理不尽なのである。
家族間で揉めたら殺し合うだろうか。もちろんそういう事件もある。しかし大抵は互いに相手の権利を認め、話し合って妥協点を探す。国際紛争でもおなじだ。相手国の権利を認めて話し合う。
話し合いができない暴力的な国がいたらどうする?というのが国家主義者たちの論理だ。しかし国の構成員は個人である。大抵の個人は殺し合いより話し合いを選ぶ。それが国家になるといきなり戦争に飛躍するのはおかしい。戦争したい人間が政治を決めているからに違いない。
戦争したくない人間を政治家に選べば、当然ながら戦争は減る。この自明の理がわからない人が世界中にたくさんいる。他国が攻めてくると考えるのは、現代ではほぼ被害妄想である。
戦争は、頭の悪いヤクザみたいな政治家が、国民に被害妄想を植え付けることからはじまる。自分の権力維持のためである。外敵を想定すれば国民は一致団結すると思っているのだ。人間は弱いから、被害妄想に抵抗できない。そして国には軍事力が必要だと考える。軍事力のエスカレーションは戦争への一本道だ。
しかし話し合いに軍事力はいらないという当然のことに世界中の人間が気づけば、戦争でたくさんの人が死なずにすむ。非軍事化の道にこそ人類の未来はあるのだが、現実はその逆の道に進んでいる。人類はよほど早く絶滅したいようだ。