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見放題やレンタルなどサブスクで「その瞳に映るのは」を楽しむ方法をまとめて紹介します!
「その瞳に映るのは」の配信サービス一覧
配信サービス | 配信状況 | 料金 | |
---|---|---|---|
| 見放題 | 月額890円~ | 今すぐ見る |
「その瞳に映るのは」の配信サービス詳細
おすすめポイント
Netflix (ネットフリックス) で映画やドラマをオンラインでストリーム再生! スマートテレビ、ゲーム機、PC、Mac、モバイル機器、タブレットなどでお楽しみいただけます。
配信形態
見放題
無料期間
なし
月額料金
広告つきスタンダード890円/スタンダード1,590円/プレミアム2,290円
ダウンロード可否
可能
複数端末同時視聴
可能
※広告つきスタンダード・スタンダードは同時に2台、プレミアムは同時に4台の対応デバイスで視聴可能
支払い方法
クレジットカードとデビットカード(Visa/MasterCard/American Express/ダイナース/JCB)、バーチャルカード、プリペイドカード(Visa/MasterCard/American Express/JCB)、Netflixプリペイド・ギフトカード、 モバイルウォレット(PayPay)、パートナー経由
映画作品数
3,100本以上
ドラマ作品数
1,900本以上
アニメ作品数
400本以上
※2025年5月時点の情報です。最新情報は各社サイトにてご確認ください。
作品紹介

解説・あらすじ
Netflixで2022年3月9日から配信。
レビュー

津次郎さん
投稿日:2022-03-21
1945年、英空軍によって実際におこなわれた作戦を描いています。想像を上回る悲惨な話でした。この惨禍の認知度がひくいのは西側の過失だからだと思います。被害者の子供らはナチスの教化下にありました。戦後、枢軸が悪と定義され、連合側の失策が積極的に語られない──そのような東西バランスがこの悲劇を隠していたのかもしれません。
『デンマークで活動しているレジスタンスの救出(最悪でもイギリス空軍の爆弾によって殺されることを望んでいたと言われている)を目的とし、イギリス第140航空団のモスキートにより、コペンハーゲンのシェルハウスにあったゲシュタポ司令部を攻撃。18名のレジスタンスがこれによって脱出したものの8名のレジスタンスと55名のゲシュタポ職員・47名のデンマーク人雇員、更に誤爆によって近所の寄宿学校の生徒86名を含む125名の民間人が犠牲となった。』
(ウィキペディア「カルタゴ作戦」より)
デンマークの映画で、第二次世界大戦の映画としては、かなり異質なポジション(視点)を持っている──と感じました。
まずイギリス空軍がかなりまぬけに描かれます。
冒頭、結婚式へ向かう町娘が乗ったタクシーを誤射し、その惨劇を目撃した少年が言葉を失う(声を出せなくなる)ところから映画は始まります。
また低空飛行の作戦中、木製の爆撃機モスキートのテールを電柱にもがれて、街中に墜落します。
他の機は恐慌状態に陥ったあげく学校を誤爆します。
映画中の英軍および操縦士らは、やたらばかでした。その──西側を悪く描く描写ポジションはとても新鮮でした。
大戦中デンマークは特異なポジションにありました。
『デンマークは、ユダヤ人市民を移送しようとするナチス政権に積極的に抵抗した唯一の被占領国でした。』
(ホロコースト百科事典「デンマークでの救出活動」より)
その一方で同じデンマーク人がゲシュタポの下位組織HIPO隊を構成してユダヤ人狩りをしていました。もちろんナチスに脅されてやったことですが、映画にはその苦悩も描かれています。
複数の主役格がありますが個人的に印象的だったのは信仰に懐疑をいだく尼僧のテレサでした。ユダヤ人が迫害をうけたり罪も無いものがころされる状況に神の不在をかんじるのは無理からぬことです。
でも映画でもっともこたえるのは石膏まみれになった子供の顔でした。
「攻撃は正午前、忙しい時間帯なので殺傷数が上がる、使用するのは着弾から30秒後に作動する時限爆弾だ」
(映画中の台詞より)
砲弾は自重で建造物の壁を抜けてどんと落ち、やや静寂ののちに爆発します。そこにいるのはこどもたちです。石造の建物が瓦解し、舞い上がった粉末によって子供らの顔が真っ白に変貌します。言葉を失った少年が声をしぼりだして子供を探すのです。やりきれない画でした。
さいごの長回しから(おとうさんに怒られたから)家でスープを飲んでいるエヴァはちょっとだけ救われました。
枢軸でも連合でもなかったデンマークの戦争映画。あたかもどんな国であれ独特のポジションだと言っているかのようでした。
まさに今、世界に反グローバリズムが顕現しています。
映画は1945年の話ですが、同じことが今ウクライナでおこっているからです。
ロシアのウクライナ侵攻(2022/02/24~)によって、国々はこのデンマークのようにどっちの側でもなくて結局じぶんで守っていかなきゃならない──との覚醒を迫られています。
侵攻がはじまって以来、わが国でも国防論が紛糾しています。日本も核を持とう──という意見が飛び交っています。
わたしは国をまもるということはわたし/あなたが戦うことに他ならない。と感じています。核や自衛隊がわたし/あなたの代わりに戦ってくれると解釈しているなら、それは幻影だと思います。
この構造で思い出す光景があります。
むかし玄倉川水難事故(1999)というのがありました。通称DQNの川流れ。
あたまのくるった家族らが河川の中洲でキャンプをしていました。天候が変わり増水の警報が出ます。直截の警告もされました。が、再三の退避勧告にもかかわらず、かれらはそこに居続けました。案の定川は増水して荒れ一家は刻一刻狭くなっていく中州で身動きがとれなくなったのです。
家長が、中洲から、河岸で救出しようとする消防隊に向かってわめいていました。
「はやく助けろよ」とか「ヘリコプター使えよ」とか、です。そのおっさんも流されてしにました。
中継を見ていたわたしはくるったひとたちがしんでほっとしました。残酷?とんでもない。心底嫌悪をもよおす連中でした。(子供以外)しんで当然です。だからDQNの川流れ。
国防論が紛糾し核を持てとわめいているコメ等を見ると「はやく助けろよ」とわめいていたおっさんを思い出してしまいます。
まず核をもつことには大賛成です。だけれどじぶんが戦ってまもるという(国民一人一人の)気概がないと国はまもれない──気がするのです。必死で救出しようとしている人たちに「はやく助けろよ」なんて言うやつはしんだほうがいいのです。
わたしたちは国の恩恵に浴してきた。と思います。
そんなことないって?
わたしはさほど苦労していませんが裕福ではなく楽しい人生でもなかったです。が、それでも日本の恩恵にあずかってきたと思います。地球全体で対比的に見てどう考えても(かなり)ましな生活環境でした。だからわたしたちは国の恩恵に浴してきた。と言えるのです。
それなら「はやく助けろよ」なんて守られることがとうぜんのサービスであるかのような発言はしたくありません。じぶんのことはじぶんでやって、国をまもるために戦いたい。それがせめてふつうだと思うのです。しぬにしたって最低でもDQNじゃないポジションでしにたい。──という話です。
『デンマークで活動しているレジスタンスの救出(最悪でもイギリス空軍の爆弾によって殺されることを望んでいたと言われている)を目的とし、イギリス第140航空団のモスキートにより、コペンハーゲンのシェルハウスにあったゲシュタポ司令部を攻撃。18名のレジスタンスがこれによって脱出したものの8名のレジスタンスと55名のゲシュタポ職員・47名のデンマーク人雇員、更に誤爆によって近所の寄宿学校の生徒86名を含む125名の民間人が犠牲となった。』
(ウィキペディア「カルタゴ作戦」より)
デンマークの映画で、第二次世界大戦の映画としては、かなり異質なポジション(視点)を持っている──と感じました。
まずイギリス空軍がかなりまぬけに描かれます。
冒頭、結婚式へ向かう町娘が乗ったタクシーを誤射し、その惨劇を目撃した少年が言葉を失う(声を出せなくなる)ところから映画は始まります。
また低空飛行の作戦中、木製の爆撃機モスキートのテールを電柱にもがれて、街中に墜落します。
他の機は恐慌状態に陥ったあげく学校を誤爆します。
映画中の英軍および操縦士らは、やたらばかでした。その──西側を悪く描く描写ポジションはとても新鮮でした。
大戦中デンマークは特異なポジションにありました。
『デンマークは、ユダヤ人市民を移送しようとするナチス政権に積極的に抵抗した唯一の被占領国でした。』
(ホロコースト百科事典「デンマークでの救出活動」より)
その一方で同じデンマーク人がゲシュタポの下位組織HIPO隊を構成してユダヤ人狩りをしていました。もちろんナチスに脅されてやったことですが、映画にはその苦悩も描かれています。
複数の主役格がありますが個人的に印象的だったのは信仰に懐疑をいだく尼僧のテレサでした。ユダヤ人が迫害をうけたり罪も無いものがころされる状況に神の不在をかんじるのは無理からぬことです。
でも映画でもっともこたえるのは石膏まみれになった子供の顔でした。
「攻撃は正午前、忙しい時間帯なので殺傷数が上がる、使用するのは着弾から30秒後に作動する時限爆弾だ」
(映画中の台詞より)
砲弾は自重で建造物の壁を抜けてどんと落ち、やや静寂ののちに爆発します。そこにいるのはこどもたちです。石造の建物が瓦解し、舞い上がった粉末によって子供らの顔が真っ白に変貌します。言葉を失った少年が声をしぼりだして子供を探すのです。やりきれない画でした。
さいごの長回しから(おとうさんに怒られたから)家でスープを飲んでいるエヴァはちょっとだけ救われました。
枢軸でも連合でもなかったデンマークの戦争映画。あたかもどんな国であれ独特のポジションだと言っているかのようでした。
まさに今、世界に反グローバリズムが顕現しています。
映画は1945年の話ですが、同じことが今ウクライナでおこっているからです。
ロシアのウクライナ侵攻(2022/02/24~)によって、国々はこのデンマークのようにどっちの側でもなくて結局じぶんで守っていかなきゃならない──との覚醒を迫られています。
侵攻がはじまって以来、わが国でも国防論が紛糾しています。日本も核を持とう──という意見が飛び交っています。
わたしは国をまもるということはわたし/あなたが戦うことに他ならない。と感じています。核や自衛隊がわたし/あなたの代わりに戦ってくれると解釈しているなら、それは幻影だと思います。
この構造で思い出す光景があります。
むかし玄倉川水難事故(1999)というのがありました。通称DQNの川流れ。
あたまのくるった家族らが河川の中洲でキャンプをしていました。天候が変わり増水の警報が出ます。直截の警告もされました。が、再三の退避勧告にもかかわらず、かれらはそこに居続けました。案の定川は増水して荒れ一家は刻一刻狭くなっていく中州で身動きがとれなくなったのです。
家長が、中洲から、河岸で救出しようとする消防隊に向かってわめいていました。
「はやく助けろよ」とか「ヘリコプター使えよ」とか、です。そのおっさんも流されてしにました。
中継を見ていたわたしはくるったひとたちがしんでほっとしました。残酷?とんでもない。心底嫌悪をもよおす連中でした。(子供以外)しんで当然です。だからDQNの川流れ。
国防論が紛糾し核を持てとわめいているコメ等を見ると「はやく助けろよ」とわめいていたおっさんを思い出してしまいます。
まず核をもつことには大賛成です。だけれどじぶんが戦ってまもるという(国民一人一人の)気概がないと国はまもれない──気がするのです。必死で救出しようとしている人たちに「はやく助けろよ」なんて言うやつはしんだほうがいいのです。
わたしたちは国の恩恵に浴してきた。と思います。
そんなことないって?
わたしはさほど苦労していませんが裕福ではなく楽しい人生でもなかったです。が、それでも日本の恩恵にあずかってきたと思います。地球全体で対比的に見てどう考えても(かなり)ましな生活環境でした。だからわたしたちは国の恩恵に浴してきた。と言えるのです。
それなら「はやく助けろよ」なんて守られることがとうぜんのサービスであるかのような発言はしたくありません。じぶんのことはじぶんでやって、国をまもるために戦いたい。それがせめてふつうだと思うのです。しぬにしたって最低でもDQNじゃないポジションでしにたい。──という話です。
鑑賞日:2022年3月21日 で鑑賞
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