「知と語りの蓄積が、文化と文明の発展を促す」アラビアンナイト 三千年の願い 高森 郁哉さんの映画レビュー(感想・評価)
知と語りの蓄積が、文化と文明の発展を促す
魔術の使い手や奇妙なクリーチャーが存在する物語世界のビジュアルは、確かにスペクタクルに満ち、目を奪われる。だが、物語論の専門家アリシア(ティルダ・スウィントン)と古い小瓶から出現した魔人(イドリス・エルバ)の対話――といっても、大半の時間で魔人が過去の三つの願いをめぐるエピソードを語り聞かせ、アリシアは聞き手に回っている――が私たちに教えてくれるのは、自ら見聞きしたことや体験したこと、空想したことを誰かに伝えたり記録したりすることがストーリーを語るという行為の原点であり、ストーリーを語ったり聞いたりすることはある種人間の根源的な欲求であること。その意味で、見かけによらず本作には極めて知的な寓意が込められている。
魔人が回想する才女ゼフィールのパートでは、映画の原型のようなムービング・ピクチャーズのからくり箱や、レオナルド・ダ・ヴィンチがイラストを残したらせん翼ヘリコプターのミニチュア版が登場する。アラビアンナイトでなぜこんなエピソードが?と最初は唐突に思ったが、科学技術の進歩もまた、過去の知の集積と取捨選択(編集と言い換えてもいい)を経て新たな創意工夫が加わることで成し遂げられるという意味で、ストーリーテリングと親和性があるのだと気づかされた。ストーリーを語る手法を歴史的に振り返るなら、原始人の頃は身振り手振りや絵で、それから共通の言語ができてからは口承や文章で、やがて演劇と小説が確立し、さらに写真技術を応用する形で映画が誕生した。英国人小説家A・S・バイアットの短編をジョージ・ミラー監督が映画化した本作は、そうした人間の根源的な欲求と願望がもたらしたストーリーテリングの三千年の歴史と、その中における映画の位置づけにも目配せをしているように感じられた。