「誰にとっての幸せなのか」ドント・ウォーリー・ダーリン Fさんの映画レビュー(感想・評価)
誰にとっての幸せなのか
期待値高く待っていました。とても、とても観てよかったと心から思います。ステップフォードワイフの現代版。
社会で働いて稼いでいると、親族や周囲が「女なら〇〇だったのに」という過去形の理想を押し付けられることが多々あり、辟易する日々。
ただそれを全否定するほど、ずっと自分が働いて稼がなければならないことは楽ではない。
男が稼いで女が家庭を守る、男にとってはそれこそが理想で自らやりたいと言っているのだから、働いて稼ぐのは男にやらせておけばいい、家庭を守るというのもそれはそれで幸せだ、そういう感覚もわからなくはない。
ただ、ただひたすらに、私は後悔はない人生を歩み続けているとしか言いようがなく。
自分のお金がないこと、独りでは生きられないこと、自分には家庭の母親という生き方しかないこと、それらを悔いて、娘に独り立ちできる力を与えようとしてくれた自らの母を思うたび、なぜ自分が今こうして生きているのかを思い出せるのだから。
理想や「昔は良かった」というノスタルジー、男女がそれぞれ囚われがちな価値観は、国や時代が違えど、大きな差はなく。
そしてアメリカに根強く残る黄金時代へのノスタルジーを「この形を選びたい者もいる」という優しい視点を合わせ持ちながら真っ向から否定する。
素晴らしい映画だと思います。結局、"古い"と言われるその構造を支持して積極的に支えたい人もいる。ただ全員に押し付けることは難しい。"普通は"で他人をコントロールできる時代は終わってしまった。
目の前の人を大切にしたいなら、まず自分が相手にとって何ができるのか、相手にとっての幸せとは何なのか考えられないことには、「幸せ」の押し付けは独りよがりな支配欲と成り果てる。
自分もまた、気をつけて生きていきたいと思います。