「主義主張は素晴らしいが、出来としてはあと一歩」コール・ジェーン 女性たちの秘密の電話 クニオさんの映画レビュー(感想・評価)
主義主張は素晴らしいが、出来としてはあと一歩
シガニー・ウィーバーの名前だけで鑑賞、まさに適役でリブの闘士のような役を颯爽と。妊娠中絶が禁止されていた1968年の実話に基づく当時の「ウーマン・リブ」を描く。そういえばこの言葉、近頃はまるで聞きません、現在はフェミニズム及びジェンダーで括られますが決してリブ即ちliberationが完遂出来たわけではないどころか、米国では最高裁判定が覆され中絶禁止の州が増えている。だから本作が作られたのも意味がある。
主人公の夫と闇医者そしてほんのワンシーンの警察官、この三人だけが本作での男優の仕事(他チョイ役でもおりますが)。監督も脚本(男女の共作)そしてメインの役はもちろん助演も多くが女性の本作、問題点を集約したような布陣です。
新しい命の尊い誕生である妊娠、男性が居て初めてなしうる妊娠が、その瞬間以降、女性にだけ負担が圧し掛かる現実。だから男女の性差による役割があるのよ、などと旧来の保守層の固定概念がある。しかし想像してみてください、男に生まれるか女に生まれるかの確率は50:50、女に生まれてしまったら学者にも経営者にも政治家にも大統領にもなれず、男に服従するのみなんて耐えられます? 自由に性差があっていいはずがない。
その上で、望んだ妊娠ですら女性に命懸けの決意を要求される、ましてや望まない妊娠の場合は女性の将来を絶望に追いやるわけで、その裏には男どもの一瞬の快楽があったはずなのに。本作のクライマックスは主人公ジョイが中絶手術を受けるリアルなシーンに凝縮される。もちろん直接的な描写ではなく、冷たい器具が金属音を立て、色んな痛みが襲い、ジョイの表情のアップが延々と続く。その耐える姿には痛みのみならず、見ることの無い新しい命の喪失、そして後悔と受難と犠牲と開放がないまぜとなって襲う。この片鱗だけでも男に味わってもらいたい、そんな意図がシーンに溢れ、私(男)には相当に痛いシーンでありました。
シカゴの中産階級しかも弁護士一家なのだからもうちょっと上でしょう、豪華なカクテルドレスで遠巻きに見る主人公ジョイにとって、ベトナム反戦デモは正にホテルのガラス戸の向う側の世界。ガラス越しのこの描写は彼女を取り巻く環境を画で表す素晴らしいシーンです。後に状況変わって隣人とおしゃべり時に民主党に投票したの、と言ったら共和党が当たり前の隣人に驚かれるシーンがありました。ブロンドを外側にカールした髪型と上品なスーツを着こなす主人公を典型的アメリカン・ビューティーなエリザベス・バンクスが演ずるのがミソですね。彼女が街のダーティーなエリアに足を踏み入れ、社会の真実に目覚め、次第に傾倒してゆき遂にはムーブメントに入れ込みヒーロー(と言っても裏社会での)にまでなってしまうのですから、映画としては分かり易く楽しめます。エリザベスってこんなに演技が上手だったのね、典型的美女ってのは役者としてチト不利ですからね。
$1が360円の時代に$600を必要とするリスキーな影の組織「ジェーン」の存在是非を観客に突きつける。救済すべき女性達の内実に情状の余地を入れずクールに現実的にリードするシガニー・ウィーバー扮するバージニアが実に頼もしい。病院の評議会で高齢の男どもが母体の危機を顧みず建前論に終始する実態をみれば敵の所在も明らかに。バレたら監獄行きのみならず、万一女性を傷つけたら完全アウトの綱渡り。それでもなお必要とされる世の中の未熟をあからさまに映画は炙り出す。素人の藪医者に頼らざるを得ない、待ったなしなのが妊娠なのである。5年後の1973年に無事中絶が認められるラストまで描かれる。それまでに12000人を救ったとは驚き。
数年前の「17歳の瞳に映る世界」そしてフランス映画「あのこと」と、問題提起の意欲作が続く。しかし、ジョイがムーブメントに惹かれる変節、そして夫はいつのまにか応援する側でそのプロセスはすっ飛ばし、などの肝心の省略は困ったもので。隣人との不倫、娘の成長と、中途半端な描写も多く少々残念。ただ、60年代~70年代のヒット曲が背景に流れ、心地よく、ヒッピー・カルチャーに染まったファッションも巧妙に取り入れ、懐かしさに胸が高揚したのも確かです。