劇場公開日 2024年12月13日

「地の糧、歌う人々」太陽と桃の歌 あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5地の糧、歌う人々

2024年12月20日
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鑑賞方法:映画館

高橋久美子さんのルポ「その農地、私が買います」(ミシマ社刊)を思い出した。高橋さんの本は愛媛のミカン農家(高橋さんの実家)が農地を太陽光パネル設置場所に転用することを食い止めようとする話だった。
地主のピニョールにしても、そしておそらく農家自身、この映画で言えばソレ家の人々も、作物を植え収穫することと、太陽光パネルでエネルギーを集めることの本質的な違いに気づいていない。地から糧を得るためには、地面にコストをかけなくはならない。それは種子であったり肥料であったりするし、もちろん人的資本であったりする。一方、太陽光パネルは、地面に届く直前の太陽エネルギーを収奪する。エネルギー供給を遮られ、手をかけてもらえなくなったパネルの下の土地はやがて痩せてパワーを失っていく。
太陽光パネル事業が一方的に悪と言っているわけではない。ただその土地のことを長期的に考えていくにあたって、一方の当事者である農家は経済的に追い詰められていたり後継者難であったりすることが多く、一方の当事者である太陽光パネル業者は末端の開発担当やオペレーション担当に過ぎず事業全般を見渡せる情報や戦略を持ち合わせていないことが多い。だからこの映画の様に二世代をかけて育てた立派な桃の木を斬り倒しどの様な採算や効率が得られるか誰も承知していないパネルの設置が、十分かつ慎重な検討なしで進むこととなる。
おそらく、愛媛やカタルーニャだけではなく、世界中で再生可能エネルギーへの転換の大義名分のもと、この様なことが進んでいる。
この映画は告発しているのである。
映画の中で繰り返し人々に歌われているように「歌うのは土地のため」なのである。

あんちゃん
ひろちゃんのカレシさんのコメント
2025年1月2日

コメント返信恐れ入ります。
どちらかというと「月と太陽」派です。

ひろちゃんのカレシ
ひろちゃんのカレシさんのコメント
2025年1月2日

こんばんは。
ご指摘の「本質的な違い」に唸ってしまいました。ありがとうございます。

ひろちゃんのカレシ