「「退屈な」映画だが得られるものは多い。内容考察を含むのでネタバレ扱い」太陽と桃の歌 yukispicaさんの映画レビュー(感想・評価)
「退屈な」映画だが得られるものは多い。内容考察を含むのでネタバレ扱い
今年436本目(合計1,527本目/今月(2024年12月度)15本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
「はたらく細胞」と35分違いでこちらの作品。こちらは東京テアトル配給とまぁ映画館が違うのにバラバラですね(「はたらく細胞」は木下グループ扱い。大阪市ではつい先日、旧シネマートの跡地にできたキノシネマ心斎橋が「取り扱いうる」映画館にあたる)。
ほぼストーリーはあってもないような映画で、要はソーラーパネルを付けたいから桃の収穫ができたら出て行ってくれという話でモメはじめて、結局はあきらめて1年後か桃の収穫をしてその後出ていく(直前まで)が描かれる、ただそれだけのストーリーです。
ただ、それだけの理解だと、この映画が金熊賞を受賞した理由等一切わからないし、この映画が何を述べたいのかも一度見ただけでは理解ができず(せいぜい、農家の今後はいかにすべきか、という問題提起しかわからない)、以下は海外公式や海外レビューサイト等もかなり調べた内容になります。ほぼ答え合わせに近い形ですね。
なお、当方は行政書士の資格持ちレベルの知識です(よって、映画の述べる趣旨の裏にある事情等は知っているか、調べればわかる程度の知識)。
どうにも私の書く文章は長文になることが多いので、どうでもよい内容等は最初に完結に述べて本質論は後に回します。
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(減点0.7/以下のような事情があることにたどりつくのが日本の視聴者には困難)
正直、かなりの理解力を要するし、この映画が述べたいことは「独立して」2つあるのですが、そのいずれもがかなりの前提知識を要するのでかなりの理解力を要します。
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(減点なし/参考/謎のうっすらモザイクシーン)
この映画の主人公を誰に取るかは色々ありましょうし、家族を描く映画なので「全員」ともいいうるし、だからこそ「誰でもない」ともいえますが、登場人物のイリスちゃんがお風呂から出て「着替えることなく」リビングでテレビを見るシーン、その後で「お行儀がよくないですよ」とお母さんに抱っこされて台所まで連れていかれるシーン、そこまでの部分の、イリスちゃんの胸の部分にうっすらモザイク(ぼかし)がかかっています。
ただ、イリスちゃんはどうみても5~6歳、あって7歳か8歳かという子であり、その上半身が仮にちょっと映っていてもどうでもいい話で(下半身まで映っているとさすがにアウトだし、それだとPG12以上になってしまう)、まぁ本国側の規制なんだろうと思います。
※ 「イリス」はIris。スペインではこの読み方ですが、他国では「アイリス」(花の名前、あるいは、虹の女神から)。
(減点なし/参考/この映画が金熊賞を取った背景ほかについて)
以下は、海外評価サイト等を参考に解釈しなおした内容になります。
まず、この映画はスペイン映画ですが、日本では1年に2~3本くらいかなというスペイン映画を漏れなく見ても「これってスペイン映画?」と思えるほど聞き取りが難しい部分があります。実はこの映画はカタルーニャ地方を描いた映画で(公式参考)、この地方は「カタルーニャ方言」になります(フランス語との混合言語に近い)。この映画はその撮影や主要主人公ほかを全て当地の出身者、在住者から選んだことが一つ評価されています。
※ 聞き取りはかなり難しいですが、ラスト近くの抗議ストライキシーンで Volem.... ! という部分から明確にわかります。スペイン語をある程度知っていれば、volemの原形(辞書形)がvolerになることは推測がつきますが、標準スペイン語にはそのような単語は「なく」、かつ仮にあるとしても volemos になるため(ごく初級の範囲)、この部分で明確に「ある国の地方の言語、文化を丁寧に扱っている映画だ」ということがわかります(volerはカタルーニャ方言としては「欲する」の意味。フランス語では「空を飛ぶ」で全く意味が異なる)。
※ 標準スペイン語とはかなり異なる言語で、日本映画でいえば、純粋たる日本映画でアイヌの歴史や沖縄戦を扱う等、「聞き取り」にある程度の知識が求められるような映画(最近は補助字幕を付けられる当事者が減ったので、最初から標準日本語で作られることも多いですが)がおよそ相当します。
2つ目の論点は、「スペインの電力事情」について肯定的にも否定的にも描いていない部分です。
最初に「この土地の所有権を証明する権利書がない」等というシーンがありますが、スペイン民法では不動産の所有権の主張(得喪の主張)には、「契約書の締結と、不動産登記」という2段階を要求します(この点で、ドイツ系(韓国)ともフランス系(日本)とも違う)。そして「この権利書がない」等というシーンは、海外の説明ではその「存在しない」という理由として映画として本質的ではないので述べていないとするものの「スペイン内戦で失われた」とされるものが一般的です。確かにそういわれれば納得できます。
さて、映画内では「この農園にソーラーパネルを設置したいから出ていけ」という展開になりますが、この展開はスペインにありがちな展開です。スペインを含め多くのヨーロッパの諸国では原子力や火力発電所等に極力頼らず「自然にやさしい」発電を目指す傾向があります。スペインも例外ではありません。
このとき、諸外国においては各国の取り組みはそれぞれ違っても有事の際に備えて電力のお互いの供給ができるようにしていることが普通ですが、スペインは3方向を海に囲まれフランスとはピレネー山脈で接する形になるので、他国と同様というわけにはいきません。そして、スペインではスペイン内戦やスペインかぜなどを経た経緯、あるいは2020年以降はウクライナ戦争等もニュース報道された経験があるため、「自国の電力は自国で作る」ことが国策であり、「風力発電、太陽光発電」に対しては国が力を入れて取り組んでいる事情です。特に後者の太陽光発電はスペインが「太陽の国」というように非常に有利な地であることから日本と同程度に盛んで(スペインの面積は日本の1.2倍ほど)、実際に「農産物などは最悪輸入すればよいが、電力はそうはいかない」事情があるので、映画のような展開はしばしば問題になっており(農地の極端な安価な買いたたきや、農産物の値段を極端に安くするように要求して廃業に追い込む等)、映画の述べる第二の趣旨はそこになります。
とはいえ、第二の趣旨は「ある程度」推測はついても第一の趣旨(カタルーニャ地方出身者を多く起用した点)はほぼわからない点で、何らかの説明が欲しかったところです。
(※) ソーラーパネルの設置数「それだけ」を考えれば、統計にもよりますが、第一位は日本であったりドイツであったりします(ドイツも比較的ソーラーパネルの先進国)。ただし、日本においては設置例は多いものの、日本では梅雨があったり冬にあたる11~2月ごろにはせいぜい補助電力程度にしか頼りにならないなど、スペイン・ドイツ等とはそもそも論で扱いが違います。