「寄り掛かっていたのは…」マイ・ブロークン・マリコ つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
寄り掛かっていたのは…
マリコの境遇は幼い頃から悲劇的なものであるが、おそらく主人公シイちゃんもまた恵まれた境遇ではなかったのだろうと推測できる。
つまり、マリコとシイちゃんは似ていたといえる。
しかし肝心なところ、大丈夫か大丈夫じゃないかのところで二人は違っていた。
ところどころでシイちゃんを頼るマリコはとても弱い存在に見えるが、自分で違う道も模索できる力は持っている(彼氏をつくるとか)
シイちゃんに依存しているかに見えて、実はそんなに依存していないのだ。
しかし、その道でもマリコはひどい目に合うわけで「大丈夫じゃない」状態が限界を突破し、自ら命を断つこととなる。
一方のシイちゃんは、マリコほどではないにしろ良好とはいえない環境の中で生きてきた。
作中で更に悲劇的なことが起こっても、どこまでいっても「大丈夫に見える」
それはシイちゃんの中にある闘う意志が大丈夫に見せているように感じる。
彼女の闘う意志とは、一番に「マリコを守る」ことにあったように思える。
つまり、本当に支えられていたのはマリコではなくシイちゃんの方だったともいえる。
シイちゃんがマリコに依存していた。
この作品はマリコのためにシイちゃんが闘う最後の物語で、シイちゃんがマリコへの依存から抜け出す物語。
法も犯し危険なこともして、最後の闘いらしく無茶をしまくるシイちゃん。
しかし、何もかも捨てたつもりでいても、意外と何事もなかったかのように元の生活に戻っていく。
どこまでいっても「大丈夫に見える」
シイちゃんの一番の望みであった「マリコを守る」ことはできなかったけれど、マリコがシイちゃんの中に浸透したように思えるエンディングのシイちゃんは「大丈夫に見えた」
主演の永野芽郁はほわほわしたイメージがあって、そんな役しかできないように見えるけれど、彼女は中々の演技派で、荒ぶったシイちゃんをうまく演じていたと思う。
「地獄の花園」でもうまく演じ分けていた。
むしろ、海辺で倒れていても大丈夫に見えてしまうというのは、イメージ以上に強そうに見える人なのかもしれない。