「トモヨとマリコの関係性が素敵な一本」マイ・ブロークン・マリコ talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
トモヨとマリコの関係性が素敵な一本
<映画のことば>
「何かがあって、この町に来たのかも知れませんが、ヤケになってはダメですよ。風呂に入って、よーく寝て、ちゃんとメシを食わないと。人間、ろくなことが考えられなくなります。」
「そりゃあ、そうかもね。」
「ご自分のこと、大事になさって下さい。」
<映画のことば>
考えたんですけど。
もういない人に会うには、自分が生きてるしかないんじゃないでしょうか。
あなたの想い出の中の大事な人と、あなた自身とを、大事にしてください。
父親の再婚相手が届けてくれたのは、トモヨに宛てたマリコからの最後の手紙だったのでしょうか。普段はチャット並みの早さで既読になるはずのLINEは未読のままだったことと思いますけれども。思わぬところから「返信」があったということのようです。
遺書にも代わるようなその手紙を読んで、その内容に笑むことができるほど、トモヨとマリコとは親(ちかし)いというか、気のおけない、ざっくばらんな付き合いだったことが、偲ばれました。評論子には。
その関係性に、胸が熱くなるのを禁じ得ません。
トモヨは、きっと、その思いを胸に、したたかにマリコの分まで生きていくことでしょう。今も。これからも。
そんなことにまで思いを致してくれた本作には、評論子には、充分に秀作としての評価が当てはまりました。本作は。
(追記)
もちろん、本作のモチーフはマリコという女性とトモヨという女性…二人の女性の関係性にあることは疑いがないのですけれども。
しかし、マキオは、意外と重要な役割を果たしているのかも知れないと思いました。本作の中で。評論子は。
(評論子が本作の中から拾うことのできた「映画のことば」は、奇しくも、どちらもマキオのセリフでした。)
つかぬことを言いますが、本作のマキオは、実在したのでしょうか。
人物としては、一応は描写されてはいるのですけれども。映画作品としての本作の中で。
しかし、案外にマキオは、トモヨの自問の(架空の)相手だったと、もし仮定したら…。
トモヨ自身の思考の反芻として、自然に、これらの「映画のことば」が拾えたように、評論子には、思えてなりません。
そんな点も、観終わって、評論子には印象的な一本になりました。