「「ジブリもどき」と切り捨てるには惜しい」屋根裏のラジャー tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
「ジブリもどき」と切り捨てるには惜しい
子供の時は一緒に遊んだのに、大人になると忘れ去られてしまうという点で、本作のイマジナリは、「トイ・ストーリー」のおもちゃ達と相通ずるものがある。
ただし、イマジナリはおもちゃほど身近に感じられないし、子供の想像の産物であるイマジナリが、その子供から独立して存在し、別個の人格を持っているという設定には違和感を覚えざるを得ない。
その他にも、図書館にあるイマジナリの街の設定や、基本的には1日だけの友達だが、子供に気に入られると永続的な友達になれるというイマジナリの仕事の設定なども、どこか取って付けたようで、普遍性が感じられない。
何よりも、イマジナリを食べるバンティングにラスボス感がなく、彼と彼のイマジナリがどうしてあのような怪物になったのかの説明や、彼がイマジナリを食べることによって子供たちの想像力を奪うといった描写がないのは、物足りないとしか言いようがない。
バンティングが食べるイマジナリに賞味期限があるというのもご都合主義的だし、クライマックスであるはずの彼とアマンダの想像力の戦いも今一つ盛り上がらない。
さらに、生身の人間なのに煙のように消えてしまう彼の最期にも、どこか釈然としないものが残る。
ラストで、ラジャーとアマンダは最後の冒険に出発するが、アマンダにとって、ラジャーと別れることは、父親を失った悲しみを克服することにもなるはずで、そこのところもしっかりと描いてほしかったと思う。
ただ、そうした残念なところを補って余りあるほど、アマンダに対するラジャーの想いと2人の友情は心に響いてくる。
特に、自分が消え去ることをいとわずアマンダを助けに病院に向かおうとするラジャーの姿には、アンディの下に帰ろうと奮闘するウッディやバズの姿がオーバーラップして胸が熱くなった。
また、アマンダの母親が、自分のイマジナリである「冷蔵庫」を思い出し、彼がアマンダたちを助けに駆けつける場面では、思わず目頭が熱くなってしまった。
興行面での苦戦が伝えられているが、全体としては、単なる「ジブリもどき」として切り捨てるには惜しい良品であると思う。