「不寛容な社会で不器用に生きる若者」冬薔薇(ふゆそうび) みかずきさんの映画レビュー(感想・評価)
不寛容な社会で不器用に生きる若者
不寛容な社会で、居場所を探して苦悩しながら不器用に生きていく若者の姿を泥臭く丁寧に描いた作品である。不寛容な社会の構成員である我々の心に深く刺さる秀作である。
本作の主人公はある港町で暮らす渡口淳(伊藤健太郎)。彼は、デザイン関連の仕事をしたくて専門学校に入るが、学校には行かず、不良仲間とつるんで、友人や女性から金をせびり、自堕落な日々を過ごしていた。両親の義一(小林薫)と道子(余貴美子)は、埋め立て用の土砂を船で運ぶ仕事をしていたが、年々売り上げは減り、ギリギリの生活をしていた。親子に会話は殆どなく、埋められない深い溝ができ、もどかしい関係が続いていた。ある日、淳の仲間が襲われ、意外な犯人像が浮かび上がってくる・・・。
主人公は、自分の人生に対して最初から最後まで何も自分から主体的に行動しない。否、できない。彼は、人と繋がることを強く望む。自分を必要としてくれる人を渇望する。過去を断ち切って未来に進んでいくために。しかし、彼の素行を知っている者は彼と繋がることを拒む。彼から離れていく。残るのは、彼が断ち切りたい不良グループだけ。だから、彼はいつまでも不良グループから離れられない悪循環に苦悩する。そこにしか彼の居場所はない。
唯一、彼を温かく見守っているのは、父親の船で働く乗組員達だけである。彼らは、過去を抱えて生きてきた。だから、主人公の苦悩が理解できる。芸達者な個性派俳優陣のなかで、機関長役・石橋蓮司が過去を抱えて生きる孤独を語るシーンには説得力があり、過去を抱えて生きる者の過酷さが胸を打つ。
傍観者として本作を鑑賞することはできない。本作の背景である不寛容な社会を構成しているのは我々である。不寛容な社会の構成員という自覚を持って観るべき作品である。
ラストはハッピーとは言えないが、本作の題名が本作のメッセージである。不寛容な社会という厳冬のような過酷な環境にあっても、人との繋がりを求めて粘り強く生きていけば、花咲く時は必ず来る。
みかずき様
コメントありがとうございます。
レビュー読ませていただいて
冬薔薇の意味が
極寒の厳しい環境でも花が咲くと言う意味。
この映画の言いたい事がそれだと、また思いも変わりました。
私が思いもしなかった先を書いていらっしゃったので、共感させていただいたのですが
コメントまでいただき感謝いたします。レビューが身に沁みました
こんにちは。
コメント、ありがとうございます。 又、レビューも拝読しました。
”本作の背景である不寛容な社会を構成しているのは我々である。”
同感です。
只、私がこの作品にのめり込めなかったのは、阪本監督の伊藤健太郎に対する”この作品を背負い、事故の事はずっと忘れずにいて欲しい”と言うコメントと、ラストの淳の今後、決して明るい世界を歩む可能性が少なそうな点に違和感を感じたからです。出来れば、伊藤健太郎の再出発の作品なのだから、ラストは冬でも花を付ける冬薔薇のように、不寛容な世の中でも伊藤健太郎演じた淳に対し、仄かな希望を持たせるようにして欲しかったのです。
更に言えば、淳を支えなければいけない両親や、船の伯父さん達が淳と最後までキチンと向き合わなかった点です。(キャラ立ちしていない。折角、名優達が集まっているのに。)
後、私は監督のキャリアによって、評点を変えるという癖があります。今日観た映画でも、初長編監督作品には、我ながら甘ーい点を付けています。(それは、初監督作品は多くの人に観て貰いたいから。けれども、”難解だよ・・”と言うコメントもさり気無く入れたりします。)
長くなりました。では。