「「手話」の捉え方が変わる映画」コーダ あいのうた もりもりもりさんの映画レビュー(感想・評価)
「手話」の捉え方が変わる映画
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言葉は、原体験の2次表現である。
まず、何も名前が付けられていない、そのままの状態の「何か」があって、それを表す手段として言葉を用いる。
手話は、言葉の代替品。つまり、3次表現として捉えていたが、コーダをみて、その考えが変わった。
ルビーは、V先生に、胸の内を表してみろ、と言われた際に、手話という言語を用いた。その手話には、字幕が付け加えれていなかったが、伝わる
「何か」があった。
さらに、音楽大学の入試の場面。ろう者である家族が2階から見守るその場面で、ルビーは声だけでなく手話を用いて、歌を表現した。
これは、家族に対して為された「配慮」などではなく、自分の、胸の内を表現する最高の手段として、手話を選んだのだ。
手話には、言葉では伝え切ることのできない、何かを伝える威力があり、「伝える」という人間の根本である行為に説得力を持たせる手段であると実感した。
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