「銀河系まで飛んで行け!(嘘)0号ちゃん無双に哭く!そしてサガは伝説のSAGAになった!」ゾンビランドサガ ゆめぎんがパラダイス じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
銀河系まで飛んで行け!(嘘)0号ちゃん無双に哭く!そしてサガは伝説のSAGAになった!
クッソ面白かった!!!これに5点をつけないなら、
いったい何につけるっていう話ですわ。
世紀末アイドルSF(サガ・ファイト)映画としては、
文句なしの最高峰レベル。
『ゾンサガ』かと思って観てたら、
いつのまにか『デデデデデストラクション』になってた!
で、そのまま『マクロス』ばりの「歌バトル」に超★進化するかと思ったら、単なるブラフで、そんなことにはまるでならなかった!!(笑)
どっちかというと出だしは『インデペンデンス・デイ』で後半は『エイリアン2』もしくは『プレデター』のドタバタコメディバージョンといったところか。
でも、『ゾンサガ』をベースに、宇宙×万博×バトルという力業の掛け合わせを無理やり成立させたうえで、誰もが待ち望んでいた「たえちゃん(0号)覚醒」&「アリーナ・リベンジ」という2つの大命題を成し遂げて見せたスタッフの力量は本物だ。
ふと気づくと、『ダンダダン』(キャトルアブダクションからの宇宙侵略者到来!)とか、『シン・ゴジラ』風の国防関連ネタとか、『リコリス・リコイル』っぽい「人懐っこい系」×「黒髪ロングのクーデレ」ノリとか、スーパー戦隊パロとか、ガイ・リッチーばりの巻き戻し演出とか、もう使えるものはなんでも使うとばかりに、あらゆる面白要素を導入したうえ、最後は大満足のスーパーライブ炸裂!!
なんだ、このバカ楽しい映画は!!??
終映前に劇場鑑賞に間に合ってホントに良かった!
― ― ― ―
新宿バルト9では、まさかの22時台しかやっていなくて、ちょうど翌日日帰りで滋賀に仏像の展覧会を観に行くつもりだったこともあって、徹夜覚悟で「ゾンサガ映画」→「国宝」→始発電車→新幹線という強行スケジュールを設定。
で、レイトショーに行ったら、席が2席しか残っていなかった!!
大盛況! 終演24時半なのにみんな大丈夫なんです??
でも、封切りから1ヶ月以上経つ映画を満員にしてくれるとか、本当にあったかい良いファンがついてるよね。これならまだしばらくはロングランできそうだ。
テレビシリーズは1期、2期ともリアタイ視聴で完走。
ただしシリーズ自体にそこまで思い入れがあるかというと、実はたいしてない。
普通に愉快な変化球地方アイドルアニメでしたということで、今回の映画も封切りで駆けつけるほどの興味もロイヤルティもなかった。
だがしかし!!
いざ映画版観たら、マジで超ヤバかった。
冒頭の宇宙科学館(だっけ?)からめちゃ楽しい。
まさにテレビシリーズそのまんまの懐かしいノリ。
各キャラがたっている。それぞれに見せ場がある。
画面の袖でやってる細々としたネタまで充実してる。
しかも、あの苦難の道のりを歩んできたフランシュシュが、地元で受け入れられて、アイドルとしてふつうに活躍している! ああ、なんて多幸感をそそる出だしだろうか。
恒例の巽さんによる監獄朝礼。
マモがしょっぱなからフルスロットルすぎる!!
で、佐賀で宇宙万博とか、またえらい生臭いネタをぶち込んできた。
もとの開催予定地でいろいろあったって、なにがあったんだよ(笑)。
その後、海辺の牧場で、まさかの牛さん&たえちゃんアブダクション事案発生。間を置かず、インデペンデンス・デイばりの「天の雷」案件発生。
『ゾンサガ』なのに、ガチで大殺戮必至展開とかビビるぜ。
(ただ徹底して人の死は見せず、血腥い雰囲気にならないように気を付けて演出されている。)
ギャグアニメでありながら、大量死を背景とした危機の物語をやるのはどうかという声もあるだろう。でも「死」は『ゾンビランドサガ』のそもそもの大命題なのであり、「生死を分けるシチュ」で「命を懸けよう」にも「懸ける命がない」から「命を懸けずにヒーローになれる」という小気味いい逆説は、およそ『ゾンサガ』でしかできない芸当だ。
そのあとも風呂敷を広げて広げて広げまくっているわりに、そこまでお話に破綻がないのは、さすがというか、結構時間をかけてじっくり脚本を練ったんだろうな、と。
「ゾンビは死んでいるから体温がない」(体温や発汗で人間を察知して宇宙人が襲って来るのは『エイリアン』シリーズの定番ネタ)とか、音で存在を察知されないためにフランシュシュのアドトラックを使うとか、『ゾンサガ』ならではの設定を、まあまあうまく組み込んでいるんだよね。あと、有明海の干潟なら空から落ちても軟着陸出来て大丈夫だろうとか(笑)。
― ― ― ―
本作は、「アイドル」が「ヒーロー」になるとはどういうことかを考えるアニメでもある。
前提となるのは、フランシュシュが「佐賀を救う」ために存在するアイドルグループだという事実だ。アイドル活動で佐賀をブームアップすることだって、もちろん「救う」ことには違いないのだが、間接的なお手伝いの域を出ないのもまたたしかだ。
では、佐賀に本当に存亡の危機が訪れた時、彼女たちは「どうやって佐賀を救うのか」。
答えは簡単だ。「勝利の御旗」をひらめかせて、まさに佐賀の街と佐賀県民を守るために、彼女たちは「戦女神」――ワルキューレ(ヴァルキリー)として再誕するのである。そう、あのシーンのように!
この物語において、フランシュシュは「アイドル」としてよりも「戦士」として戦いに身を投じざるをえない。
だから、「正体バレ」とか「万博会場(=ステージ)消滅」とか「解散危機」とか、アイドルアニメとしては大変な危機が矢継ぎ早に出来しているのに、「そもそも地球人が滅亡しかけている」という大きな物語の前で、すべてがうやむやに流されてしまっていて、ちょっと面白かった。
要するに「国家存亡の危機」を前にすれば、とあるアイドルグループの存続なんてしょせん些事に過ぎないわけだし、フランシュシュもまた当然そういうことだ、としてふるまっている。で、アイドルとしての日常をかなぐりすてて、非日常を正常化するために立ち上がる。当たり前のように。
そもそも我々は、ゾンビィたちは「アイドル活動で佐賀を救う」ために生み出されたとばかり思わされてきたが、それは本当だろうか? 実は「佐賀を本当に救うために不死の戦士として生み出されて、仮の姿としてアイドルをやらされてた」、なんてことはないだろうか。0号がかつて何か工作員みたいな特殊任務についていたことや、ゾンビィハウスがもともとその特務機関の本拠地だったらしい話からすると、ゾンビィ開発には「アイドル活動」とは別のロジックがあったと考えるほうが自然なのでは。
一方で、0号が組織の先輩、1号がさくら、2号がサキ、残りの3~6号がいずれも芸能関係者だってことを考えると、フランシュシュは巽が「アイドルに憧れていた」さくらの夢をかなえるために「彼女をアイドルにならせる目的で」わざわざ集められたメンバーだったと考えるのが順当だろう。だからこそ、映画でもネタにされているように、他のメンバーはみんな「伝説」の●●だが、さくらだけは無印なのだ。
アイドルとしての日常と、ヒーローとしての非日常。
それを切り替えたのがフランシュシュの『ゾンサガゆめぎんがパラダイス』であり、なにがなんでも「日常」に執着してみせたのが『デデデデデストラクション』だった、ともいえる。
『デデデデデストラクション』は、たとえ世界が危機に陥っても、当たり前の日常を捨てないことに躍起になるアニメだった。なんなら、親友を救うためなら世界が壊れることすら肯定するようなアニメだった。
一方、『ゾンサガゆめパラ』の登場人物は、世界(≒佐賀)を救うためなら、当たり前のように命を賭する。たえちゃんは当たり前のように単身特攻を主張し、仲間は当たり前のようにたえに寄り添って勢ぞろいで最前線に赴く。巽は当たり前のように死地と化した佐賀にわざわざ舞い戻り、フランシュシュの頼みに対して、市民たちは当たり前のように協力して、一寸先は「死」のミッションに全力で臨む。
この2作では「有事」における二面が端的に描かれている、といってもよい。
「有事」でなお個を貫くこともとても大事だし、
「有事」に弱きものを守るために戦うことも大事だ。
ものすごく有体にいうと、『デデデデ』は有事の銃後で日常を守る物語であり、『ゾンサガゆめパラ』は有事に敢えて前線に赴いて国を守る物語だ。
今回の映画に一定のファンが拒否反応を示しているらしいのは、そういったことも理由にあるかもしれない。なにせ、もともとはアイドルとして圧倒的なマイナス要素だった「実は死んでいる/腐っている」という特性を「逆手」にとって、不死兵としての圧倒的プラス要素を盾に、みずから志願して敵陣に攻め入る軍国アニメだからね、これは(笑)。
その純粋でまっすぐな「国防」への意気込みが、気持ち悪い人がいてもおかしくない。
その点、僕は気持ち悪いとまったく思わなかったので、心から楽しく観られた。
そういうことかもしれない。
― ― ― ―
以下、小ネタ。なおパンフレットが品切れだったので内容は適当です。
●たえちゃんのネタって『アルジャーノン』っぽいと思ったら、他の人も結構同じ指摘をしていて、そりゃそうだよな、と。
「29歳でアイドルなんて」とか、還暦間近の三石琴乃に言わせてて容赦がない(笑)。
●宇宙人からバンで逃げながらの交戦シーンで、サキがいきなり逆向きにぶっ放したのクッソ笑った。
●宇宙空間まで行って帰ってくるアニメを最近『アポカリプスホテル』や『アルマちゃんは家族になりたい』で観たばかり。気球にのって冒険に赴く映画もつい最近『素晴らしい風船旅行』で観たばかり。シンクロニシティだなあ。
●歴代の衣裳の展示の後ろを通って、たえが進んでいくシーンも、超よかった。なるほどこのシーンが撮りたくて、これが用意されていたわけね。
●宇宙人から徹底的に人間くさい属性や知能を感じさせる動きを排除したのは正解だったと思う。『デデデデ』的な「宇宙人の理」が要素にまじると、圧倒的に物語がこむずかしくなるから(笑)。これくらい「純粋悪である敵」として単純化されていたほうが、ヒロインたちの物語に集中できるというものだ。
●アイドルアニメが好物のわりに、アイドル歌謡にはほとんどなんの関心もないが(なぜか昔『IDOLY PRIDE』のOP曲にやたらはまった時期があったけどw)最後の2曲は素晴らしいライブに仕上がっていたと思う。歌唱力だとアイドル設定ではワルキューレ・クラスでハイレベルなのでは?(おお、両者とも宇宙人と戦っている!)
3D要素についても、個人的に『バンドリ』や『アイカツ』『シャイマス』はCGがしんどすぎて観られなかった口だが、今回のは『ウマ娘』同様、まったく気にならなかった。
てか、ぐるぐる回るカメラの動き自体、『ウマ娘』のライブっぽかった。
そういや『ゾンサガ』も企画はCygamesだったか。
●脚を踏み鳴らす四股みたいな振付、フランシュシュ独特だよね。今回は「地鎮」の意味合いもあってピッタリだったのでは。あと、伝説の昭和アイドル役の河瀬茉希のシャウトが、儚げなキャラのわりにえげつない(笑)。これって昭和感なのか?
●ライブの途中でたえちゃんの限界がきそうになる描写、とても良かった。巧い具合にカメラを動かして、たえちゃんの顔だけ映さないんだよね。
こういうの、クラオタなので、オペラのラストでよく観ます。死にかけてるんだけど最後の力を振り絞って、めっちゃ歌いまくるの。
●すでに忘れかけてたけど、そもそも「ゾンビ」×「アイドル」というネタって、あの当時世界的に吹き荒れてた「ゾンビ・ブーム」の流れで出てきた企画だったはず。アメリカだと、2015年あたりからゾンビ・ロマンスの小説・映画が何本も作られてて、「人としてふるまえるゾンビ」という新概念が日本でも定着してきた時期(2018年)に第1期が放映された。で、3年後の2021年に第2期。そのまた4年後に映画版。
マンネリ気味の2期で若干興味が失せていたが、今回の映画が面白かったので、もし続篇があるようならぜひ期待したいところ。
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。
