ワザリング・ハイツ 嵐が丘のレビュー・感想・評価
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到底理解も共感もできない恋人たちの原点に思わず納得
『嵐が丘』という小説は、読めば読むほど、そして知れば知るほどに古典という枠からはみ出した怪作であることに悄然とする。その中核にはヒースクリフとキャサリンという主人公カップルがいて、お互いを運命の相手だと確信し、その想いは揺らぐことがないにも関わらず、強烈に愚かでエゴイスティックであることから(また社会制度の限界から)自分たちだけでなく周囲のあらゆる人を不幸にしていく。その強烈な負のオーラがときに理解不能で、ときに可笑しく、そして異様な迫力につい呑まれてしまうのだ。
アンドレア・アーノルドによるこの映画版は、ヒースクリフとキャサリンの幼い時代により力点を置いていて、荒涼とした厳しい自然の中で完全に野生児として描くことで、ふたりの結びつきを視覚的に描き出し、なんかわからんけどわかった、もうお前らは一心同体でしょうがないです!とねじ伏せられる気持ちになる。
原作に比べると、二人が育つ環境ははるかに劣悪で不潔なのだが、だからこそ二人が自分たちの間の境界を失っていたかがわかる仕組み。まったくいいことが起こらない映画だけど、それも彼らの必然だったのだろう思わされる。実にパワフル。
思い通りにいかない運命への人間の弱さ、屈折した意地悪さの物語
嵐が丘のビジュアルに目を見張る。ワイラー監督のモノクロ版と比較すると、やはりカラー映像は強い。大概はどんよりして雲が垂れ込め、時に雨や雪景色に。まさに荒涼という形容詞がピッタリの土地。
でも二人が初めて馬で相乗りするシーンは少し違った。珍しく淡い陽光が差す中、風が吹き、草木を揺らす音。幸せに満ちた時間。キャシーの髪が微かにそよぎ、ヒースクリフの頬にふれる。自制したヒースクリフは、もどかしくて思わず馬の肌を撫でてしまう。この描写は本作のベストショット。
このイメージが後半に繋がる。結局死後にしか抱擁し口づけ出来なかった喪失感が、ヒースクリフの怒りと狂気じみた暴力を引き起こす。
それでも子犬の絞首刑はさすがにいただけない。
キャシー役のカヤ・スコデラーリオの登場シーンでは、その美しさにハッとさせられたが、少女時代の「野生児」が成長した美しさとは少し違うと感じてしまった。
女々しくて
田舎の屋敷に拾われ使用人となった男の子と屋敷の娘の恋のお話。
黒人の使用人ヒースクリフにも優しいキャシーに恋をして、そしてキャシーも恋している感じではあるけれど、誰にでも優しいのか、誰にでも色目を使っているのか。
なんて思っていたら、本心はしっかり身分の差を…。
時間経過が急過ぎる上に大胆なクソ野郎になってるし、何があったか話さないから何で?なヒースクリフに、今更何言ってんだな感じな上にすっかりクソ女になったキャシーに、もらい事故みたいなイザベラに、すっかり貧弱エドガーに、兎に角ドロドロドロドロ。
悲劇という感じでもなく誰にも共感出来ないし、何よりメインの2人の人間性が…結局ただただ陰鬱な恋愛映画だしで自分にはハマらなかった。
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