ナイトメア・アリーのレビュー・感想・評価
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面妖で絢爛、デルトロ印の大人向け寓話
邦題のカタカナタイトルだけ見て、アリーという魔性の女が出てくるんだと漠然と思っていたアホな私ですが、alleyなんですね。原作の日本語タイトルは「悪夢小路」。確かにこれは、主人公のスタンが欲と悪事の危険な小路に迷い込んでいく話。
第二次大戦が始まった1939年、人権的にアウトな獣人(ギーク)の見せ物をやる怪しげなカーニバル一座にもぐりこんだスタンは、そこで出会った老人と彼の持つ一冊の本から、読心術とそのからくりを知る。恋人モリーと独立してオカルティックなショーで売れるが、心理学博士のリリスとの出会いから、一線を超えた霊媒師詐欺に手を染める。
デルトロ監督らしい、暗く怪しい華やかさに満ちた映像に終始圧倒される。序盤のギークと鶏のシーンは、世界観の宣言であり、とびきり辛いスパイスだ。「シェイプ・オブ・ウォーター」で半魚人が猫を食べたシーンを思い出した。鶏さんには申し訳ないが(というかもちろん本物ではないが)、こういう容赦ないアクセントは、本来のグリム童話のように人間の本質に蓋をしてない感じがあって結構好みだ。
(あのカーニバルは昔縁日で見た見世物小屋を思い出した。ダミ声のおじさんがさあさあ怖いよ怖いよと呼び込みをやってて、蛇女や火のついた蝋燭の束を飲み込む芸を見せる。氷点下の世界とかいう、中が冷凍庫状態の小屋もあった。平成の話です)
中盤から出てくるリリスの執務室兼カウンセリングルームの豪華すぎるしつらえ。アールデコで隙がなくかっこいいが、彼女の金銭欲の象徴のようにも見える。とはいえ、その舞台に負けないケイト・ブランシェットのこの世ならぬ美しさに目が眩んで、これはもうスタンと組めば面白い、いや組んだらやばい、とアンビバレントな気持ちになった。
疑い深いグリンドルとのやり取りは、終始緊迫感があった。見破られるかとはらはらさせてからの全幅の信頼関係、でもやっぱモリーを幽霊がわりに立たせて(これがまた絵になる)ってのは案の定無理があった。バレるや否や殴り殺す……あーあやっちゃったよ。人生がまさに暗転する。
配役は全員適材適所だが、個人的にはウィレム・デフォーのハマり具合が好きだ。悪い生業に就く小汚い脇役でものすごく光る、というと失礼な響きだが、本当に上手いなあ、こなれているなあと思う。
酒は、身を滅ぼす欲と悪意の象徴なのだろうか。断片的に描写されたスタンの父親への憎しみが飲酒に絡むものなのかははっきり分からないが、当初の彼は憎んだはずの父の形見の腕時計を身に着け、頑なに飲酒を拒んでいた。その頃の彼は、野心はあるがギークにかすかな優しさを見せる一面も持っていた。クレムからギークの”作り方”を聞いた時も、こちらが共感できる範囲の嫌悪感を見せた。
そんな彼が、リリスの持つ情報を利用することで、同じ手練手管で金持ちから桁違いの利益を得られることを知った頃から酒を拒まなくなり、人の孤独や悲しみに深く立ち入り、付け入ることをいとわなくなる。悪事の泥沼にはまるにつれ進んで酒を口にするようになり、最後は酒を求めて腕時計を差し出し、ギークへいざなう酒も飲み干した。
スタンがギークへの道をたどることはラスト手前からうっすら見えてくるのだが、”一時的な仕事”への誘いと酒で暗示してストンと切る終わり方がいさぎよく、美しい。彼の未来の姿が、序盤に出てきたギークへループする。ありきたりというマイナスイメージではなく、昔話の因果応報エンドのような様式美を感じた。彼が踏み込んだ悪の道は、ギーク候補が拾われる悪夢小路にそのまま繋がっていたのだ。
そしてブラッドリー・クーパーの、さまざまな解釈を喚起する最後の笑い。私的オスカー候補に推したい。
余談だが、パンフレットに坂本眞一とヒグチユウコの書き下ろしイラストが掲載されている。まさにこの二人しかいないだろうという絶妙なチョイス。
映像の素晴らしさと安定のタイプキャスト。
ギレルモ・デル・トロが描くサーカスや読心術ショーのいかがわしくて禍々しい世界観は、かつてティム・バートンに期待されていたがもはや観られなくなった(もしくはセルフパロディぽく見えてしまう)ものを正面から引き受けてくれていて、目のご馳走だと思う。古い映画のリメイクというより原作小説に忠実という触れ込みだが、ギークの看板なのは旧作のものをほぼそのまま再現していたし、冒頭のシーンはアンドリュー・ワイエスの印象であるし、たぶん自分なんかでは気づけないほどオマージュが詰まっていそう。全部わかる必要もないと思うが、豊潤な映画や文化や芸術をふまえて出来上がったリッチが映像が美しい(個人的には『パンズ・ラビリンス』のゴシック感の方が好みではあるが)。
物足りないと思うのは、もうこの顔を出しておけば間違いなしくらいの、鉄板のくせ者たちが揃っていて、ロン・パールマンやウィレム・デフォーやケイト・ブランシェットは笑うくらいパールマンでありデフォーでありブランシェットだし、デヴィッド・ストラザーンとリチャード・ジェンキンスはお互いの役を入れ替えても気づかないかもと思うくらいポジションが似ている。キャスティングがイメージそのままの安心感が、いささか物足りなさにつながっている部分はある。あと情念みたいなものが、あまり迫ってこないのはデル・トロの作家性なのかも知れないなと思うようになってきたが、今度はいかに?
巨匠デル・トロが描く心の闇と運命の螺旋
人間の心というものを実に艶かしく幻想的に描いた作品だ。秘密を抱えた男が怪しげなカーニバルの一団に身を隠す。このマトリョーシカのような二重構造によって、主人公は一方で俗世から守られつつも、他方では抜け出すことのできない迷宮に囚われていくかのよう。かと思えば、本作は醜く禍々しい存在であるほど親しみと安らぎをもたらし、ノーマルに見えるものほど異常性をむき出しにするという、極めてデル・トロらしいモチーフも見え隠れする。そこでフィーチャーされる”読心術”という要素がまた面白い。誰もが人の心を知りたい、読み解きたいと願うもの。でもひとたびその安易な麻薬を手に入れると、うっかり人生を転がり落ちてしまいかねない。さらにそこへケイト・ブランシェット演じるファムファタールの司る精神分析という闇までもが口を開けて待つ。この心をめぐる攻防のなんとも魅惑的なこと。いつも以上にデル・トロの語り口と人間描写を堪能した。
ブラッドリー・クーパーのラストショットは強烈過ぎる
流れ者のスタンは獣人や芸人たちによる怪しげなショーを売り物にしている見せ物小屋に潜り込み、そこで読心術を学んで、感電ショーの人気者、モリーと2人で一座を抜け出し、都会で一旗上げようとする。時代は大恐慌時代のアメリカ。人々の顔には覇気がなく、彼らが一瞬の驚きを求めて集まってくる見せ物小屋はまるで、そんな時代の縮図のようだ。絶望感。それは映画全体に充満していて、明るい兆しがないことは最初から分かっている。ブラッドリー・クーパーがどれだけ足掻いても救われない運命にある主人公の、訳も分からず破滅に向かって突き進む道程を演じて、物凄い説得力がある。
なぜ、スタンは端から救われない運命を背負っているのか?そして、彼が悪事の限りを尽くした挙句、人生の墓場に辿り着いた時に見せる、奇妙な笑顔が意味するものは何なのか?物語の鍵になる?が、クーパーの端正な表情と熱演によって具現化されるラストショットは強烈過ぎて、しばらく席から立てなくなった。人には決して侵してはならない境界線があり、それを超えると人間ですらなくなるという恐怖が背筋を凍り付かせるのだ。
今回も凝ったセットデザインを作り上げ、俳優たちから最高の演技を引き出しているギレルモ・デル・トロだが、人間の本質を見据える鋭い観察眼は、本作でさらに磨きがかかった気がする。
ギレルモ・デル・トロ監督らしさ満載だがダーク・ファンタジーではない、運命と人間性を軸に描いたダークなサスペンス・スリラー映画。
「シェイプ・オブ・ウォーター」が第90回アカデミー賞で作品賞、監督賞、作曲賞、美術賞と最多4冠に輝いたギレルモ・デル・トロ監督の最新作。
本作でも第94回アカデミー賞で作品賞に加え撮影賞、美術賞、衣装デザイン賞の計4部門にノミネートされています。
本作は「パンズ・ラビリンス」や「シェイプ・オブ・ウォーター」のような❝ファンタジー要素❞を出来るだけ排して、1940年前後の現実世界を舞台に、運命と人間性を軸に描いているデル・トロ監督の新境地的な作品となっていました。
そして、その難しい世界観を映像化すべくブラッドリー・クーパー、ケイト・ブランシェット、ルーニー・マーラなどの演技派俳優陣が脇を固めていて彼らの演技力にも引き付けられます。
物語自体は良くも悪くもデル・トロ監督風味が満載の「ダークさ」が根底にありながら、淡々と進んでいきます。
とは言え、華やかなショービズ界が舞台になっているため、トリックの心理戦やウラ話などがあり、興味を引き続ける手法は流石でした。
映画の完成度は高いものの題材等も含め、割と好みが分かれる作品でしょう。
デル・トロ監督の新境地として見ておきたい作品だと思います。
権力を争奪する大人だらけのダークが1番怖い。
本作は、あまり情報を調べずに鑑賞するほうがいいと思える作品の部類。
ショービジネスに魅せられた野望ある青年の物語と思って見ていくと、どんどん先が気になって仕方ない。
鬼才ギレルモ・デル・トロ監督と豪華な俳優陣のセッションで、読み聞かせてはいけない「大人向けの童話」が立体的に色を放ったような不思議な感覚に陥った。
ストーリーは日本昔話に似た説得力があるが、仕事に没頭していくスタン(ブラッドリー・クーパー)の姿は見ていられなくなる。
美しくて豪華なホテル暮らしが幸せそうに見えなかったところは監督の思惑通りなのだろう。
予想外の展開にドキドキさせられたが、華やかな悪夢に酔いしれるよりも、教訓という意味合いもあり、何とも複雑な気持ちになってしまう「大人向けの童話」だった。
清々しいほどスタンの転落ぶりがエゲツない
2時間30分あっという間だった。全く苦じゃない。もっとこの世界に浸ってたかった。サーカスの雰囲気と、スタンの転落ぶりが面白い。
ちょっぴりダークなサーカスの雰囲気が好き。見せ物、読心術という馴染みのない要素が刺激的で、冒頭から引き込まれた。
子供の頃、遊園地の見せ物ショーで蛇を食いちぎる女を見て楽しんだ記憶が蘇る。
清々しいほどスタンの転落ぶりがエゲツない。分かりやすい成功からの失敗ぶり。いるよね、天狗になって調子乗って破綻する奴。スタンは典型的なそれだから反面教師として見習いたい。
まあでもイケメンで人の心読めてモテモテだったら、天狗になっちゃうのは分からなくもない。
やってることは悪人なんだけど、なぜだが応援しちゃうのはスタンのカリスマ性ゆえか。あそこまでやったら、最後は逃げ切って欲しかったかも。
最後自分が獣人になっちゃうエンドはキツかった...笑ってるのか泣いてるのか、分からない笑い声が切ない。「一時的に」と言われ、全てを悟った時の心境はどんな感じなんだろ。
電気女
2024年10月10日
映画 #ナイトメア・アリー (2021年)鑑賞
カーニバルの一座で読心術を学び、電流ショーをしていた女性と独立し2人で金持ち相手に読心術のショーを披露し成功する
そこで心理学者の美女と出会ったところから野心が止まらなくなり・・・
#ヘビ女 とか放生会に来てたな
凄い時代だったな
歌舞伎の四谷怪談如きなり♥
ポール・バーホーベン監督と思って見ていた。
『ブラックブック』ぽく感じる。
話のベースは『グレート・ショーマン』とか、フリークが出てくるファンタジーとしては『鵞鳥湖の夜』とかなんか臭う。
だだ、当該演出家の作風であるのかなぁ。
『親の因果が子に祟り』なんか日本の裏社会見たいな感じ。カトリック教徒の考える話なのかなぁ。親殺しってカラマーゾフの兄弟じゃないか。それもカラマーゾフの兄弟のウマシカ親父とは違う弱々しい親父。しかも、なんで?殺されたの?
さぁ~僕は問題作に感じるが。素直には喜べない作品。勿論、駄作じゃない。
大人のおとぎ話を期待していたが…
ギレルモ・デル・トロ監督の「シェイプ・オブ・ウォーター」が個人的にはどストライクだったため、本作も期待満々で鑑賞。
途中までは期待通りおとぎ話感もしっかりありワクワクモードで観ていたが、中盤以降はクライム要素がかなり強まり、ガラッと雰囲気が変わってしまう。
そして、ストーリーが結構難解であることと、暗い映像が多いのも相まって、気付けば睡魔との戦いになっていた…。ラストシーンへの運び方等々、全体を通してじゅうぶん練られた作品だと思うが、色々ともったいない印象。
良い作品のはずだが、ちょっと不完全燃焼だったため、もう一度観返してみようかな。
タイトルなし
飲んべえピートが主人公の過去を読み解くシーン、何か良からぬ物が視えてしまい怖じけてやめる姿が、ピートは本当に過去の視える人で、冒頭の放火シーンを視てしまったのかと勘ぐってしまった。観終わってみればファンタジー要素は無かったと思うが、ギレルモ作品らしく何かとファンタジー要素を思わせる独特の雰囲気は漂っていた。
中盤以降は殺された飲んべえピートの敵討ち映画だと勝手に予想してしまったものだから、心理学者リッターの復讐対象者は主人公だと思って観ていた。予想は間違っていたが彼女の罠にはまって主人公が落ちていく展開に変わりなく命を落とす事なく逃亡生活に移っていった辺りで獣人の話に繋がっていくのだなと感心した。
人生における気づきとは
主人公のクーパーは類稀な奇術の才能を持ち容姿淡麗、美人で気立ての良いモリーと順風満帆に見える生活を送っているが彼の心は常に苛ついている。金に執着してるように見えるが散財するわけではなく、本人も薄々気づいているのかいないのか心の乾きは金ではどうすることもできない。がしかし目の前の金の魅力に抗することができず周りの人々の忠告にも耳を傾けずどんどん道を踏み外してゆくクーパー。ラスト新しい劇団で得意の読心術で起死回生を狙うクーパー、だが団長に提案されたのは獣人間。ここでやっと真に気づくことができます。全て終わってしまったことに。何故か安堵しているようにも見える彼の表情が印象的でした。
なかなか深すぎて難しく見応え十分な作品 謎の人物リリスの考察に駆られてしまう…
1940年頃のアメリカでおきた出来事を描いた作品。
カーニバルと呼ばれている、遊園地や見世物小屋などを集めた場所が舞台。
※主人公であるスタンに、この物語の様々なものが仕掛けられている。
作品をさり気なく見ていて判る部分とわかりにくさも手伝って、何度か見たくなるような魅惑的なものに仕上がっていると思う。
視聴者は主人公と一緒になることで、主人公と同じように見落としてしまう箇所がいくつかあることも面白さなのかもしれない。
冒頭に主人公の秘密が垣間見える。死者を家ごと燃やすのだ。
たまたま立ち寄ったカーニバルで雇われると、すぐにその仕事に馴染み、読心術のピートと仲良くなる。
やがて彼がカーニバルから独立して始めたのが、顧客を富裕層に絞り込んだかつての読心術だったが、それが次第に降霊術へと変化する。
これは至極一般的で、スタンがのし上がっていく過程でもあり、同時に妻モリーとの間隙も生まれるが、モリーの心境の中心が主人公同様に読みにくい。スタンに対する苦悩なのか、思った生活ではないという感覚の… 望郷のようなものなのか…
読心術というカテゴリであれば、それはショーでありマジックだ。この範囲は人を傷つけるものではなく、あくまでショーを楽しみにする人を喜ばせる。
しかし降霊術になれば、嘘と同じになり、時に人を大きく傷つける結果となる。
このモリーの心境がスタンの行動を追いかけることで見えにくくなり、同時に登場したリリス博士の怪しさに、そんな些細なことはどうでも良くなってその先を見たくなるのだ。
リリスの囁きに同意したスタンは、大金持ちの秘密をリリスから頂き、詐欺の降霊術で人を騙す仕事を開始する。
このリリスによって、スタンの過去が少しだけ明らかになるが、リリス本人が一体何を目的としているのかつかめない。しかし視聴者の興味は大金持ちのエズラの要望をどうやって満足させるのかというスリリングな場面へと誘われる。
結果はスタンの思ったものではなく、殺人まで犯してすべてを妻の所為にしてリリスのもとに転がり込む。
リリスはもらったお金全部上げるから逃げろと言うが、お札はすべてすり替えられた1ドル札だった。リリスに撃たれ、リリスに反撃しようとするがすぐ警備員がやってくる。
スタンは列車に飛び乗って何とか逃げ切る。
どれだけ逃げていたのか、それは彼の髪と髭が教えているが、彼はとあるカーニバルで雇ってくれと申し出る。これが物語の「オチ」になる。タイトルの「ナイトメア・アリー」は、かっては獣人を作るためにアル中の狩りをする場所だったが、今それは彼自身の人生を現実化するものとなったのだ。
さて、リリス博士は一体何者だろう? ここが問題だ。
彼女の胸の傷とホルマリン漬けのエノクは、映像的に被る。2日間母を苦しめ殺したエノクは、人間の腹黒さの象徴なのだろうか?
彼女はお金が目的ではないとした。同時にスタンに渡したお金をすり替えている。これは彼女の目的が達成された、または彼を見限ったことだと思われる。それは何?
彼女の胸の傷は、何? 彼女のその後は描かれていない…
彼女はスタンと観客という立場の群像では? 騙すものは騙される。でもしっくりこない…
リリスのウィスキーを飲んだことが、すべての転換期だったことはわかった。
大きな胸の傷とそのトラウマを持つ心理学者という金持ち相手のカウンセラーは、スタンの読心術に興味を持った。彼女がまだできないことだったからだ。
やがてリリスはスタンを読心し、I’ll do love you という彼の母の言葉を口にする。このとき彼はリリスに捕まってしまったように感じた。
そしてそこにこそリリスの真の目的、彼の読心術だ。この技術の取得が彼女の真の目的?
なんとも考えさせられる作品だった。面白いし、映画ならではの映像美に惹き込まれた。
そしてずっとどこかで見たなと気になっていたのがモリー役の女優、ルーニー・マーラ。あのドラゴン・タトゥーの女の主人公だ。彼女はどんな作品でも輝いている。
お酒は絶対に飲まない
と。言っていたの…に
一人の男の輝ける時と破滅していく
様が哀れに感じる
見世物小屋で
読心術(心が読める)を知り彼の人生が好転していく
しかし、読心術はペテン師、詐欺師
いつまでも続かない
いつかバレるときがくる
リリス博士と出会って
ある意味この出会いが
破滅に繋がっていく
絶頂の時は
タロット占いや
妻の助言も聞き入れない
やがて妻にも見放され
博士の餌食に。
ラストはまた冒頭のような
見世物小屋で仕事を…
小さな仕事と言いながら
酒を飲むその中にアヘンが入って
いたのか一口飲んだ時は
多分断ろうと思っていたと思うが
二杯目を飲んだ時は
幸せな顔で。
雇われた仕事は”人間か獣か"の
見世物だと思った
彼の辿りつく先は・・
酒は人生を狂わすものだと
本人もどこかで思っていたはず
…酒が
感覚を鈍らせ
博士の思うままに。
ケイトブランシェットの存在で
危うさ華やかさが作品を輝かせる
一番の悪を演じていた
カーニバル一座見世物小屋が
興味あってそそられたし
読心術にもオモシロさを感じた
堕ちていく主人公にも。
人間の本質について問う作品だが、一般受けするにはやや難しいかもしれない。
なかなかよかった。
ギレルモ・デル・トロ監督作品だが超常現象やクリーチャーが登場しない。
ジャンルとしてはネオ・ノワール映画になるそうだ。
1945年~1960年ごろに流行したフィルム・ノワールの復興を目指したものだという。
物語としては、
流れ者のスタン・カーライルが、場末の見世物小屋に転がり込む。
獣人と呼ばれる人間のなれの果てのような人物が鶏を食べるのを見せたりするような場所だ。そんな場所だが、スタンは仕事を得て、ピートという男からコールド・リーディングを習ったりしていた。そのとき、コールドリーディングを使い続けると、正常な判断力を失い、自分が失敗していることもわからなくなるから、使ってはいけないと釘を刺される。
やがて、見世物小屋で働いていたモリーという若い女性とともに旅立つ。
高級ホテルでショウをするようになったものの、成り行きでコールドリーディングを使用して、霊と話をするふりをすることになる。それが真に迫っていたため、富裕層相手の個人的なセッションを依頼されるようになる。
しかし、それは破滅のはじまりだった。
といったもの。
ある意味「ゆきてかえりし物語」のプロットを使っている。
前半で手品のやりかたを学んで、後半ではそれを使って人をだます。
自分が望んでいた華やかな生活を手に入れる。
しかし、逆にそのネタを次々にバラされていき、最後は自分の本質に向き合うことになる。
この流れがうまい。
また、フィルムノワール的な雰囲気というのもよく出ている。
とくに主演のブラッドリー・クーパーと、精神科医役のケイト・ブランシェットなどは本当にハンフリー・ボガードの映画に出てきそうな演技をしている。
製作費は90億円
興行収入は59億円。
ちなみにアカデミー賞で作品賞等を受賞した「シェイプ・オブ・ウォーター」は20億円ほどの製作費だった。
本作のほうが製作費が高いわけだが、興行収入も含めて、やや地味な印象だ。
それはネオ・ノワールというジャンルが華やかなものではないし、ストーリー的にも暗いからかもしれない。
それでも、映像を含めてとてもよくできた映画だと思うし、クリーチャーなしのデル・トロ作品というのもいいものだなと思った。
デル・トロ監督の見せ物小屋的作品‼️
物語としては、野心に満ちた男の栄光と挫折と転落を描くフィルム・ノワール‼️でも監督はギレルモ・デル・トロ監督なんですよね‼️主人公が潜り込む "獣人" ギークを目玉とするカーニバルの、怪奇的なサーカス描写や、独立した主人公が読心術や霊媒師で稼ぐ設定に、ミステリー描写や霊的描写が加わって、いかにもデル・トロ監督らしい作風になってます‼️主人公のラストの転落も皮肉が効いてて戦慄‼️そしてケイト・ブランシェット‼️凄まじい演技力で魅せるその悪女ぶり‼️濃ゆすぎる赤の口紅がホントにホラー‼️
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