ロスト・ドーターのレビュー・感想・評価
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エーゲ海でも癒されないその本性
穏やかな保養地で ちょっとついていないような 日から始まる主人公の目線、心模様、発展していく事象が興味深く否が応でも そのパーソナルが作り出す世界はただ傍観することしかできない。
繊細に紡いだ結果
母性のない母親を演ずるオリビアコールマン
もうずっと観てられる。
最初の、なんかこの人やべえ…ってところから
しっかり感情を表現するところまで
すべてを全身で表現してましたな
なんか気まずい、
せっかくの休暇なのに嫌な目に合う
で、自分も意地悪しちゃう、
と私的には共感度が高かったです
しかもこれ、
繊細に物語が進んでいくのに、
あまり答えというものは出ないし、
彼女自身大きな変化は果たさない
ただ、母性無くとも、
考えてしまうのはずっと娘たちのことで…
その娘たちに愛情を持てない自分のことで…
っていう。
ああいう所に行ったとて癒されない想いはあるんですよね
ただ、ちょっとミスリード多くて
どきどきしちゃうので
やめてほしい、、、、
あー
オリビアコールマンありがとう
本当に彼女の演技が好きだ
気持ち悪い。そこが良い。
支持。 母性本能なる非科学的なマスコミの造語から女達を引き摺り離すには、 この気持ち悪さと向き合わねば、 という撮る動機と覚悟が滲み出る。 サスペンスフルで尚も情緒的なエンタメとしても成立。 こんなに居心地が悪い映画を他に知らぬかも。 劇場で見たかった。
どの選択肢をとって生きるか
母性とはなにか。そもそも存在するのか。 自分の人生を謳歌する前に誰かの人生の責任を負う立場になったら。 子どもに何度も呼ばれたり、傷にキスしてと泣いてせがまれたり、くだらないケンカの仲裁、ものを大事にしない、何度も叩いてくる。 観るものが自分が経験したことばかりで、母親である彼女の反応も同じようで、胸がギュッとなった。 私も自分の幼少期に大切にしていた絵本を子どもに渡したら破かれて発狂したことを思い出した。。小さい子に渡した自分が悪かった。 小さいうちだから仕方ない、そのうち収まると言われたらそうなんだろうけど、いま対面してる当事者は関係ない。 今がつらいんだよな。 終始不穏で、不良たちや他人の目線がきつくて、誰かが彼女に接近する度、冒頭のシーンを繋ぎ合わせては不安でドキドキした。 ラストで彼女の過去のトラウマが少しでも成仏できていたらいい。 本気で「死ぬかも」と思った経験があれば、吹っ切れるのかな。 彼女は素直で大胆だから、離れる行動ができたけど、大多数はそんなこと考えても実行できない。 どっちの道を選んでも苦しいとは、詰むなあ。 特に印象的なシーンは夫が泣きついてきたところだった。 苦しいときに苦しさをわかりあって、楽しさを共有して、助け合える身近な存在を大切にしたい。 辛いときこそ癒しあって支え合いたい。 若い母親、自分の欲求を忘れてあんなに怒れるなら子供を愛せてる。大丈夫だよニーナ。
母親が完璧である必要はない
母親である前に一人の女であることを優先するレダ(オリヴィア・コールマン・ジェシー・バックリー)の葛藤が弱いように感じるが、そもそも葛藤という概念ではなく「なぜわたしだけ?」という意識なのかもしれない。 女性の教育向上と社会進出に対して男性の古い考え方が現状のままであれば、こういった母親がますます顕在化するだろう。そもそも母親が完璧である必要はないというのだが。 ところでダコタ・ジョンソンの瞳の色はホンモノか?
癖になる女優
『The clown 』と『ファザー』で釘付けになったオリヴィア・コールマン 『ロブスター』であっ!と気がついて その後際立ったのが『女王陛下のお気に入り』あれはすごかった… ということですっかり癖になってしまって、この人の顔を(怖いもの見たさ)な自分が悪趣味なのか この『ロスト・ドーター』の内容もかなりな悪趣味で嫌な気持ちしかしない あたしは子育て期が遅く、いい中年になってからだったので落ち着いていたし、不妊治療の賜物だったので幸せな子育てだったけど(一男一女) 同級生に「子供が可愛いと思えない」(男子二人)という深刻な悩みを聞いたことがあったので こういう気の毒な不穏を抱える女性を否定せず思う事もできる そこを良く演じているな、と二人の女優に対して敬服する
監督もいけちゃう
この映画が何を言っているのか、わたしなりの感想を書いておきたい。
海辺の町にバカンスにやってきたレダ。48歳女性。比較文学教授。知的労働者の休暇らしい、なごやかなふんいきではじまる。
が、静かなビーチを満喫できると思いきや大家族の団体がやってくる。派手で堅気らしくない。そのなかに幼娘をあやす美しく若い母親ニーナがいた。
最初のうちは明かされないが、レダはかつて育児放棄をしたことがある。じぶんを認めてくれた教授と情人の仲になり、ふたりの娘を夫にあずけたまま、性欲と向学へ奔走する。
利かん気な娘をあやすニーナを見ているうちに、かつてのじぶんが重なり、はげしい悔悟の情がフラッシュバックとなって繰り返しレダの脳裏をよぎる。
──との構図はよくわかる。が、①トラウマが激しいこと、②子供が暴君すぎることの2点が過剰に描かれる。
①レダは四六時中過去のフラッシュバック=トラウマにさいなまれている。結果バカンスになっていないばかりか、慚愧に支配された彼女は情緒不安定。一種のメンヘラ。対人バランスが常におかしい。
②子育ては大変なこと。異論ありません。ただし、映画内の子供たちは、つねに駄々をこねて母親を困らせている。その強調表現によって、レダの浮気からの奔走に、正当性とまではいかないが、一定の妥当性を与えようとしている。
映画はすこしづつ、やがてはげしく、違和感に呑まれていく。
さいしょのビーチでのできごと。ニーナたちの団体の妊婦が、かぞくでまとまるため、場所(ビーチチェア)を移動してほしいとレダにたのむ。が、レダは動きたくないと言ってことわる。映画内の人も映画外のわたしもびっくり。以降、レダはawkward=気まずさ・ぎこちなさの発生装置のような人になり、トラウマも肥大していく。
ビーチでのできごと2。ニーナのむすめエレーナが一時行方知れずになったのを、レダが見つけ引き渡す。──それがきっかけで、ややニーナとお近づきになる。が、そのあと(なぜか)レダはエレーナのお気に入りの人形を盗む。
人様の娘が大切にしている人形を盗んだことに対して、レダ自身としても、他者に対しても納得がいく理由はない。彼女にしてみれば、トラウマにゆえんする、たわいない出来心だった。
この映画は一見、かつて娘を捨て、心に傷/慚愧をかかえたレダが、バカンスでの出来事をつうじて再生と快復する映画──のように見える。
が、ちがう。
原作は知らないが、映画The Lost Daughterは、世間知らずな教授のメンヘラな窃盗に対して、いわゆるDQN女がキレるという話。
ニーナたちの団体はギリシャの与太者一家。観光業で生計をたてて、わりと裕福な暮らしをしている。
ビーチボーイのウィルがレダに(ビーチチェア移動をことわった一件を)「あなたは勇気がある」と言い、つづけて「でも次は従って、かれらは悪いひとたちだから」と忠告する。
すなわち人を見る目がない知的労働者レダは、じぶんの若い頃と重なるニーナならば、人形を盗んだことを正直に白状すれば、察してもらえると踏んだわけ。
ところがニーナは夫におびえながら浮気を愉しむチョリースな女。あんたのトラウマなんか知るもんかFuckin' Bad Bitch!ブスッとひと刺ししか返ってこなかった。そりゃそうだ。だいたい何にも知らん人だし。
で、映画が言っているのは、わたし/あなたが、なにか悲しい過去の体験にゆらいする強迫観念/不安/トラウマに囚われているからといって、世間としちゃ、だからなんなの──にしかなんないよ、ってこと。
なんか犯罪やらかしたひとが、つい出来心でとかストレス貯まってとか言うのよく聞くけど、わたしたちの内的感情は、現実世界でエクスキューズにはなりませんよ──と映画は言っている。
エクスキューズ(弁解がましさ・弱者/被害者の泣訴)やかわいそうを多用する日本映画の極北(正反対)。監督マギージレンホール!!!。現実を見据えた厳しい映画だったと思う。
『本作は第78回ヴェネツィア国際映画祭でプレミア上映され、4分間のスタンディングオベーションを受けた。』(ウィキペディア、ロスト・ドーターより)
話はすごく複層的で、主演女優もチャーミングだった。娘がまとわりつい...
話はすごく複層的で、主演女優もチャーミングだった。娘がまとわりついてくる感じがニーナと重なり、ニーナとの微妙な関係がよかった。言葉に対する彼女の関心と、人への人なつっこい関係のとり方が隣接している気がする。人形は、彼女にとっては、自分が与えられなかった母からの愛の代理物でもあるのか。
新年早々退屈な時間を過ごした!!
最後の展開が映画の中盤位だったら、まだ良かったのではないでしょうか。延々と尺稼ぎが続き、何か浮ついた48歳で共感できません。ヒロインも特に美人では無いので退屈でした。
スリラーを予感させるが
オリヴィア・コールマンとジェシー・バックリーが出演しているので鑑賞したが、ずっと重苦しいストーリーで、鑑賞を継続するのに根気がいる。 周りから押しつけられる母性神話への葛藤が作品のテーマになっているが、あわせて女性の奔放さも描かれている。男の立場では、本能的に嫌悪感を抱いてしまう。そこを考えて欲しいという監督のメッセージではないか。 登場人物の性別を入れ替えてみれば、男にとって都合が良い話になる。でも、この作品の設定に戻ると女性が非難されてしまう。 オリヴィア・コールマンとジェシー・バックリーの演技は素晴らしいが、スリラーのようでそうではないストーリーだったので、ちょっと期待はずれでもあった。
ヘビみたいにむいていく曖昧なドラマ
母になることを期待されたけどなれなかったあの日の自分へ --- 自らを仮託することと、かつて自らが捨てたものを拾い上げるという行為。役者マギー・ギレンホール脚本監督デビュー作 × "せいぜい40歳くらいに見える"名優オリヴィア・コールマン主演作品 = 興味深いキャラクタースタディ& 魅惑的に神経逆撫でしてくる心理サスペンス。一人で過ごすためにやって来た主人公レダのキャラクターが結構際立っていて共通性も見出だせた、人間らしい。怒ってる?娘は二人、25歳と23歳。レダの宿泊する施設の管理人は人種超えて祖父顔エド・ハリス。 人形という小物使い。静かなヴァカンスを過ごしに来たつもりが、そこに見るからにオリヴァー・ジャクソン=コーエンはじめイカついヤクザ者みたいな大家族が来たことから、静寂と平穏は破られる。騒がしくなってしまう。"彼らは悪人"。ニーナ役ダコタ・ジョンソン(濃いメイクのせいか彼女だと気づかなかった)、若い母娘・親子を見ているうちに若かりし頃、昔の自分(これまた素晴らしい!ジェシー・バックリー)を重ねていく。レダの過去が交錯していく、現在と過去が入り交じる。とりわけレダがある行為をしてから…。果物の皮をヘビみたいに長くむく。育児放棄、子供たちを投げ出し家を出て溺れる相手は熊髭ピーター・サースガード。 今年(2021年)はレベッカ・ホール監督デビュー作『PASSING ー白い黒人ー』もあり、本国Netflixの自由さと攻めた姿勢、そして新たな才能の発掘と投資という映画・映像表現界全体の発展につながる社会意義に共感。そして双方どちらも初監督作品っぽくない題材と語り口にすっかり魅了されてしまった。日本Netflixには無いもの。関係ないけど、作中のオリヴィア・コールマンとジェシー・バックリーももちろん、オリヴィア・コールマンとレベッカ・ホールも結構似ている気がした。 P.S. あと本作を見ているとき昔に自分の子供殺したのかとか、ヤバい家族に狙われるのかとか変な想像膨らませてしまった。
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