「好きなことのために生きる人の、生きづらさと熱」笑いのカイブツ あんずちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
好きなことのために生きる人の、生きづらさと熱
社会というものは常に人間関係が付きまとっていて、自分の世界でしか生きられない人にとって、それはときにとても苦しいことです。
ツチヤはまさにそんな人間で、自分の世界にこもり、ひたすらネタを書き続けます。けれど、どれだけ自分の世界を守ろうとしても、人は結局、他者との関わりの中でしか生きられません。そのことに彼が気づくのは、物語の最後でした。
自分の書いたネタがウケなくても、クレジットに自分の名前が載ることに何を思うのか。
その表情には、諦めと、なお消えない情熱が混ざっているようで、とても印象的でした。
すべてを失っても、一度死んでもなお、「自分にはこれしかないからまたやる」。その覚悟が胸に刺さります。
ラストで壁を蹴り破ったツチヤが覗き込んだ先にあったのは、洗濯物がぶら下がる見慣れた部屋でした。そこにはただ「生活」があるだけ。
それを見たツチヤは一言、「しょうもな」と笑います。
お笑いも何もかも、その背後には生活があり、生活があれば誰かとの関係が生まれ続ける。
おもしろいことだけではやっていけない。その気づきでツチヤは挫折を経て、少しだけ大人になります。
同じく漫才を題材にした『火花』とは、主人公の性格が違うことにより毛色が異なります。
社会に馴染めず、それでも夢を追い続けて足掻く人にとって、とても共感できる映画です。
序盤ではハガキ職人としてコツコツと積み上げ、嫉妬や冷笑、孤独に耐えながらも東京へ向かうツチヤ。
社会的な光景などどうでもいいほど自分の世界にのめり込みながら、他人と関わり、少しずつ努力していく姿が描かれます。
挨拶もままならなかった彼が、少しずつ変わっていく。けれど、人生はそう簡単にはうまくいきません。
ネタを書く場所を追い出され、チャンスを失い、苛立ちと希死念慮のはざまで生きるツチヤの姿が痛々しくも印象に残ります。
普通なら濡れ場にしてしまうような中盤の、女性の家に行くシーンを一瞬のカットで終わらせる演出も印象的でした。
不必要なものを潔く切り捨てた、そのストイックさが作品全体に通じています。
そして、大阪に帰り、居酒屋で感情を吐露するシーンは本当に泣けました。
好きなことがあって、それでつまずいて、社会が苦手で、死ぬことを考えたことがあるような人には、きっと響くものがあると思います。
逆に、「最初から挨拶くらいできるだろ」「痛すぎる」と思うような、コミュニケーションで苦しんだことのない“普通の人”には、彼の行動が理解できないかもしれません。
けれど、そんな不器用な生き方をしてきた自分のような人間には、深く突き刺さる映画でした。
