PITY ある不幸な男のレビュー・感想・評価
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「悲しくないのに泣くなんてとてつもなく難しい」
「悲しくないのに泣くなんてとてつもなく難しい」
リングで殴られダウンして・・・。
は「チャンプ」我がオジキが好きな映画だった。
僕はとてもじゃないが泣ける映画ではなかった。
ロイ・アンダーソン監督見たいなショートコントの寄せ集めの映画ならもっと良かったかなぁ。
全編流れるモーツァルトのレクイエム。
実は短調なのだが、転調するところがあって僕個人は大好き。
この男の感情をよく表していると感じた。
但し、同情ならば、自傷になるんじゃないかなぁ?死に至らなければ、永遠に哀れんでもらえる。
但し、その内嫌気がさして「同情するなら、金をくれ」って言いたくなるよ。
不幸の状況下に順応し、周りの人々の同情や優しさを当然の権利の様に受...
代理ミュンヒハウゼン症候群
【“悲しくないのに、涙を流すのは難しい。”自分自身が不幸な時だけ幸せを感じる、どう見てもアスペルガー症候群としか見えない男の姿を描いた不条理且つ狂気性漂う映画。】
ー 全編、ヨルゴス・ランティモス監督の初期作品を思わせる作品だなあ、と思って手元のフライヤーを見たら、「ロブスター」の脚本家が書いた映画だった。成程ね。-
■ティーンエイジャーの一人息子と何不自由ない生活を送る弁護士の男性。
しかし、彼の妻は不慮の事故により昏睡状態に陥っている。
彼の境遇を知り、同情心から親切になる周囲の人々。隣人はケーキを焼いて届けてくれ、行きつけのクリーニング屋は、値段をサービスしてくれていた。
そんなある日、奇跡的に妻が目を覚まし、悲しみに暮れる男の日々に変化が訪れる。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・冒頭、男は一人ベッドの上で涙を流し、慟哭している。
そして、ラストも同じように男は涙を流している。
・男は終始、笑顔無き表情である。
・だが、妻が奇跡的に回復してからの男の行動が明らかにオカシイ。
- 愛犬をボートで海に投げ捨てたり、妻が回復したのに隣人にはわざわざケーキは未だですか?と真面目に問うたり、挙句の果ては自身の父と妻に対する行為である。
特に、父の場合は自らが手掛けた殺人事件を再現している。-
<実に気持ちが悪い映画である。
男は、どう見てもアスペルガー症候群を患っているとしか思えないし、後半彼の狂気が炸裂するシーン(直接的には描かれない。)などは、初期ヨルゴス・ランティモス監督の作品をやや彷彿とさせる。
例えば、男が部屋に飾ってあった海辺にボートが置かれている長閑な絵を、嵐の中遭難寸前の船を描いた絵に替えるシーンであろう。>
同情してくれ?
犬殺そうとしたけど泳いで帰ってきててわろた。爪が甘い
奥さん死ぬと思ったけど、中盤に復活してあれ?これはってなった
同情に依存してたんか?
狂気してた
たびたび流れる音楽はなんか意味があるんかと思ったけど、知識がないので良くわからならかった
なんか風邪で学校休んだ時にみんな心配してくれるけど、治ってしばらく経ったらつまんない日常が戻ってくる感じの映画?
不幸を餌に愛を釣る
映画の冒頭でタイトルがドンっと「oiktos」と出る。この意味がギリシャ語で「哀れみ」という意味らしく、英語のPITYも哀れみという意味らしい。というわけでテーマは「哀れみ」。
「妻が危篤状態」「犬が行方不明」など、自分に近い人物(家族やペット)が不幸にあることで、不幸な環境・不幸な状況・不幸な人物の“隣にいる”だけの自分。
自分は不幸をこうむることなく、誰かの不幸の隣に行ってはまるで自分の不幸かのように振る舞い、その姿を他人に見せつけることで、人からの同情や優しさ=愛を受ける主人公。
妻も完治し、毎朝ケーキを作ってくれた隣人も(当然)来なくなり、クリーニング屋に妻が治っていないとついていた嘘がバレ、ついに自分の周りに不幸がなくなった。不幸だったころ(妻が昏睡状態だった頃)を思い出し、ふと病院に行って名も知らない昏睡状態の男にキスをする。(あぁ…あの頃、妻が昏睡状態だった頃が愛おしい)と思ってしまう。
“愛おしい”と。
そうしてタガが外れた主人公は、自ら“最悪の不幸”をつくりだしてしまう。
“最悪の不幸”とは、自分の父親が死に、昏睡状態から奇跡の復活をした妻が死に、我が子が死ぬという“最悪の不幸”。しかし、それはこの男にとって“最高の幸せ”。
最悪の不幸の隣にずっとい続けられるのだから、この上ない、この男にとっての幸せ。
ただ、それでも本当の涙は流れない。なぜなら、あの時の朝のケーキやクリーニング屋の優しい言葉など「愛情を受けられる喜び」の方が勝っているから。これ以上ない最悪の状況を自らつくったにもかかわらず、本物の涙は流れない。さすがにここで主人公は(自分は満たされない)と気づいたのかもしれない。
オチでは、主人公と一緒に沖までボートに出て海のど真ん中に置いてかれた飼い犬が浜に戻ってきた。
不幸(幸せ)は続かないということを示唆している。
映画としては退屈だし、オチに頼りすぎなきらいもあるが、考えさせられる内容でおもしろい。
わたしの不幸は蜜の味
キワモノ。
「ギリシャとポーランドの合作」という珍しい取り合わせに食指が動いたのだが
(レビューの少なさが物語っているが)
B級スプラッターマニアが喜ぶようなありきたりな結末でがっかり。
ただし、
幾度も印象的に見せてくれた
・玄関でのケーキ受け渡しの二人の立ち姿、
・エレベーターホールでの体の向き、
・ピアノの前で弔いの歌を聞かせる時の息子と父親弁護士の静止ポーズ、そして海辺のシャワーシーン等
人間をフリーズさせてスチル写真のように撮るこの技法はとても面白かった。
・・・・・・・・・・・・
“不幸愛好家”はこの世には存在する。
知り合いにもいる。
「幸福の木も枯れちゃったのよ」と自らの不運を延々とひとりで喋る友人に、僕はつい笑ってしまったが、
この弁護士みたいに不幸製造機にまでイッてしまうと完全にこの人ビョーキだよね。
映画に救いがあったのは、弁護士以外はみんな普通の人々で、そのメンタルが健全であったことかな。
情動的共感という危険な泥沼地獄を突っぱねる正常さを脇役たちは持っていた。
「お前白髪なんてぜんぜんないぞ」
「そう毎日はケーキは焼けません」
「奥さんきのう見ましたよ」
突っぱねる 突っぱねる。
ただし病人=弁護士を病院に連れていくのが間に合わなかったのが悔やまれるということだ。
映画の作意としては、
《同情しているふりをしていてもしょせん他人事。
お前らは更に高次な次の不幸を探して同情相手を嗅ぎ回る連中なんだろ?》と、
どうやら監督と脚本家は我々のことをセンセーショナルに指弾したいようだったが、まるで青くて中学生のシナリオかと思った。
“他人の不幸を飯の種にしている”弁護士さんたち、そして医療従事者さんたちは、この映画にはイヤなものを感じるかもしれない。
でもこういう主人公=病的自己弁護人を、本当の弁護士や医者は我慢して、頑張って、受け容れて治療をしてくれているのだ
この監督の作品集を思い起こせばみんなどこかがおかしい。監督には同情(同調)出来ない。
むろん映画は社会の鏡ゆえ、ギリシャでもかような犯罪が増加しているのだろうが、
「死刑になりたかったので誰でもいいから殺したかった」とか、日本でも昨今流行している自己完結型・自己陶酔型の犯罪形態を見ると、本作、それらへの警鐘なのか、or それへの傾倒なのか、映画の制作意図が詰められていない。
40代の監督と脚本家ならもっと大人の作品を撮ってもらいたいものだ。
ナンセンスの開き直りはいかんな‼️❓
悲劇のヒロイン
可愛そうだと思われたい…
優しくしてほしい…
そんな感情が芽生えてしまった(..)
あんなに奥様を心配して愛していたのに。
身内に対して殺意が生まれるんだ~
これは心理的な何かあるのか、精神疾患者で実話のように感じてしまった。
ほんとに居そうだし( `□´)
でも最後ワンコ無事で良かったー
それとケーキそんなにしょっちゅう焼けません(-""-;)
残念で、愚かな人。でも自分もそうかも?
こうゆう幼稚なかまってちゃんが弁護士なのが許せない
あらすじにあるとおり、意識不明で病院で寝たきりの妻を持つ40歳ぐらいの弁護士が不幸である状況にむしろ喜びを感じ、人から同情されて、親切にしてもらうことでそのことを確認しているているらしい。らしいというのは、朝からベッドに腰かけてすすり泣きしているが、誰も見ている訳じゃないし、ただただ変なオッサンだから。
非常にゆったりとしていて、テンポが遅いうえ、気が利いているのか、効いてないのか判断に苦しむ賢者の名言みたいな文章だけのコマが時々挟まれる。
強烈に眠くなる。
やめて~
愛犬のクッキー。鮫に食べられるかと思ったら、最後に。これはクッキーの映画じゃないのか?
奥さんの太股はよかったですが、寝たきりの人は筋肉落ちて(廃用性萎縮)、見るも無残になるし、意識が戻ったからといってすぐに健康体になるのが、ファンタジーかよ。違和感ましまし。
音楽は場面場面でリフレイン含め、効果的でよかったですが、音量でごまかしてはいませんか?
階下のオレンジマフィン作ってくれる美人奥さんに詰め寄るシーンもバッカじゃないの。美人の秘書さんにバグして貰いたいだけかよ。
息子が母親を惨殺して玄関を出てゆく。動機も不明。
爽やかなヨットの浮かぶ湾の絵画を荒波にもまれる帆船の絵に変えて、ご満悦。お前、ほんとに変態だな。
犬🐶
何日かかって浜に着いたんだよ❗
自己観察
【思い出したこと】
人に同情してもらうために隠れて自傷したり、身体の不調を訴えるのは「ミュンヒハウゼン症候群」だ。同様に、子供を傷つけ、自身に同情を得ようとするのは「代理ミュンヒハウゼン症候群」だ。
この両者とも微妙に違う主人公を眺めながら、最近、テレビの番組で放送していた秋葉原通り魔事件(2008年6月)のことを思い出していた。
他の人とうまくやっていけなかった犯人が、ネット掲示板で、自分をブサイクとか、結婚などできないと卑下しながらも、他人から注目されることに希望を見出していく。
しかし、自分に好意的な投稿をする人に会いに行くために申請した長期休暇を会社から断られると退職してしまう。
そして、掲示板の投稿者と会うために旅行を繰り返すが、思ったようにいかず、自殺をほのめかすも、投稿者に思いとどまるように説得される。
その後、再就職し再起を図るが、ネット掲示板への依存は変化せず、ついに、ネットの所謂「荒らし」の標的にされ、投稿者が自分から離れていくのを目の当たりにして、被害妄想の占める割合が高まり、職場でのちょっとした自身の勘違いをきっかけに狂気が爆発し、犯行に及ぶことになる。
この映画の主人公は、同情・親切のみが社会と接する窓口で、それは受け取るだけで、実は、他者には口だけで、施すことなどない。
突如として大音量でバックグラウンドに流れるクラッシック音楽や、この主人公の叫び声は、ネット社会に鬱積した怒りとも狂気ともつかない感情のようにも感じられ、背筋が寒くなる。
目の部分が裂けている映画のフライヤーは、相手のことを知る由もない現実を表現しているのだろうか。
こうして、怒りや狂気は蓄積されているのかもしれない。
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