記憶の戦争のレビュー・感想・評価
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痛みを知るものが、また痛みを与える絶望
絶望してはいけないのだが。
思い出したくない口にしたくない悲劇を、鮮明な記憶が伴う悲劇を勇気を持って語るベトナムの人。知らないふりをしないで向き合おうとする韓国の人。
猛虎だ白馬だと軍服を着て威勢だけは良いが韓国でも尊敬はされていない参戦勇士。日本に植民地化され人と土地を収奪され、日本の敗戦後は朝鮮戦争で同じ朝鮮人同士が戦い多くの命を奪われたその人達が次の戦争地ベトナムではアメリカの代理軍隊代理兵として、大義なき虐殺を志村を焼き払うとは。傭兵身分のようだったから国家及び個人の経済活動だったのか、それで尊敬も名誉もない参戦勇士と言う陳腐な存在なのか。ナチスに民族浄化、大量虐殺、差別をされたユダヤ人たちがパレスチナ でナチス自他より遥かに長期に渡りパレスチナ 人を殺している。物心ついた時から不思議でならないこの問題がここにも。やられたらやりかえせ、それは一理あるからいいんだけどやりかえすのはやられた相手だ。、
ベトナムのタンおばさんは、強い。ここに生き延びたベトナムの方たちは失った家族を弔うために生き延びたのかもしれないという。最初は韓国の人に世界の人に、村を焼かれたけど押し黙り忘れようとしている村人とは違い鮮明な記憶を持ち続けるその日のことを知ってもらいたい、話したい、記憶を風化させたり忘却させたくないと、韓国まで話に行く。不名誉で不穏な雰囲気でタンおばさんを怖がらせる元兵士たちの姿を認めると、過ちを認め謝罪してほしいという。最初は聞いてほしい、次は謝罪してほしい、ここで立ち止まって謝罪することは愚かな人間にはできない。自分たちも日本人にやられたと思うからか、あれはアメリカさんに言われた通りやった戦争だと思うからか、
だからタンおばさんは損害賠償を求めるに至る。
なぜ人は繰り返し繰り返し愚かなことをやり続けるのか。しかも理性のかけらもないような言語道断なことをやり続けるのか。今もどこかで誰かが理不尽に殺されたり収奪されたりしているのだ。
でも絶望してはいけない。
こういうものを学校でみんなで見ようよ、いろんな意見があっても良いからまず知ることから。知らないことは恥ずかしいことだし知らないことは罪だと思う。
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