「難解なファンタジー」グリーン・ナイト R41さんの映画レビュー(感想・評価)
難解なファンタジー
エッセイ:緑の騎士と「偶像を捨てる勇気」
2022年の映画『グリーン・ナイト』は、奇妙な冒険譚と紹介される。しかし、その本質は「名誉と死の境界」を問う寓話であり、解釈は容易ではない。クリスマスの出来事でありながら、キリスト教的儀式や教義は影を潜め、代わりに魔術と魔女が物語を支配する。この逆説こそが、作品の難解さを象徴している。
主人公ガウェインはアーサー王の血を引く青年だが、怠惰な生活に沈み、騎士の資格を得られずにいる。母は魔術を用いて息子を試練へと駆り立てる。それが「緑の騎士」であり、そこから始まるのは「ゲーム」と呼ばれる死の約束だ。「首を落とせ。その代わり、来年のクリスマスに同じことを返そう」この一撃が、ガウェインを時の人に仕立て上げる。しかし一年間、彼がしたことは酒に溺れることだけだった。
旅の途中で繰り返し現れる言葉がある。「見返り」だ。案内を求める少年、湖に眠るウィニフレッドの頭蓋骨、そして城主の妻の誘惑。すべてが「何かを与えれば、何かを得る」という交換の論理に絡め取られている。だが、騎士道とは本来、見返りを求めない行為であるはずだ。この矛盾が、ガウェインの弱さを露呈する。
緑の帯――母が授けた「危害を受けない」魔術の護符。皆はそれを「ギフト」と呼ぶ。しかし、この言葉には二重の意味が潜む。贈り物であり、呪いでもある。帯を持つことは、生への執着を意味し、名誉を汚す行為となる。キツネがガウェインを止めようとしたのは、この帯に象徴される「偶像」への依存を断ち切らせるためだろう。キツネは母であり、女性性の象徴であり、最後まで彼を守ろうとする。しかし、守ることは試練を奪うことだ。だからこそ、キツネは言葉を残し、去る。
物語の終盤、ガウェインは逃げる。妄想の中で彼は名誉を得るが、愛を捨て、戦争に敗れ、息子を失い、最後は斬首される。勇気を欠いた選択が、人生を崩壊させる未来を示す。そして彼は悟る。お守りという名の偶像の帯を捨て、「準備はできた」と告げる。この瞬間、物語は創世記のアブラハムとイサクを想起させる。神が試したのは信仰、緑の騎士が試したのは勇気(名誉)。どちらも命を差し出す覚悟を問う試練だ。赦しは、殺すことではなく、覚悟を示すことにある。
騎士道とは何か?それは「何かが守ってくれる」という幻想を捨てる勇気だ。そして、息子に試練を与える母の魔術は、信仰にも似た愛の形なのかもしれない。
