ディア・エヴァン・ハンセンのレビュー・感想・評価
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理想の自分
この物語を一言でまとめるなら、「エヴァン・ハンセン成長物語」かなと。
今作はコナーの死をきっかけに、エヴァンが成長していく物語に感じました。エヴァンがついてしまった嘘、私はありだと思います。確かに嘘をついた点についてはよくないことである、しかしこの嘘は、友達がいないというコナーと似た境遇にあったエヴァンであったから良かったと。これまでコナーの件で家族の関係は芳しくなかったが、嘘を聞くことで、コナーに対しての見方が少しづつ変わり、悪い思い出から、いい思い出に変わっていく、そのゆっくりと心が溶かされていくような描写がとても美しく思えました。
そして、スピーチのシーン。このスピーチの内容が作り話であっても、関係はないと思います。それによって、多くの人の心は動かされ、少なくともコナーを中心とする周りの見方は変わったと思います。それに、物語の内容も、エヴァン自身のなりたい自分像であり、あそこまで拡散されたのは、少なからず共感できる部分が多くあり、この感情は大切であると感じた人が多かったからだと。
そして、エヴァンの嘘によって、ゾーイら家族の心は溶かすことができたが、エヴァンの心はまだ癒やされてはいない。それを、母であるハディによって、溶かされていくシーンにはグッと来るものがありました。母は偉大、、、
そして、最初は自分の話すことに自信を持てなかったエヴァンが、終盤の記念園のシーンでは、ごく普通に話せるようになっている。エヴァン自身が、コナーとの問題に向き合えたことにより、成長を見せた。小さな手がかりから、コナーの歌を創作するシーンでは、なんだか真剣でありつつもどこか楽しそうに見えました。
そして、この映画のテーマは「誰しも悩みを抱えている」であると私は思います。それを隠すことが上手いが苦手かという違いだけで、人は悩みと戦い生きていくしかなく、それを補うため友人、家族と乗り越えていくものだと感じました。
共感の嵐
タイトル通り、この映画は私にとってとても共感できるものでした。
主に共感できた登場人物は主人公のエヴァンと、死んだコナーの妹ゾーイの二人。
まず、エヴァンの人見知りなところにすごく共感できました。
序盤の方でエヴァンが母親と会話している時に言った、「デリバリーを頼むと配達員と会話しなきゃいけないから嫌だ」みたいな会話からもうヘッドバンキングしたくなるほどの共感。
そして一番最初にエヴァンが歌っていた歌詞の「ガラスの外から手を振っているけど誰からも気づかれない」にもすごく共感できたし、相手に合わせるために、理想の自分を作るために嘘をついてしまう気持ちもよくわかった。
次に共感できたのはゾーイ。こちらは性格というより、家庭環境が自分に似ていた。
自分の兄が人間的にダメでいい思い出がないところ、そのせいで兄が死んでも悲しめないところ、それでも周りは勝手に「兄が自殺して悲しみに暮れている可哀想な妹」と決めつけてくるせいで、悲しんでいるふりをしないといけないところ…などが本当に自分に似てて共感せざるを得ませんでした。
コナーの家族全員で歌う歌詞の「レクイエムは歌わない」という部分も、妹・父・母で全く意味が違っていてたった一曲の内にこれだけ深い意味を込められるのは凄いと思いました。
あえてこの映画の悪いところを挙げるとするならば、それは死人であるコニーについて全く探られていないところでしょう。
何故自殺したのか、はもちろん、果樹園に行った話だってエヴァンがついた嘘なのだから本当にコナーが果樹園を覚えていたかわからないのに、結局コナーの名前を使って果樹園を作ってたり…。
言い方は悪くなりますが、何も言えない死人を操り人形にして、生きている人たちの自己満足に使われた道具でしかないんですよね。
でもそういうところがあるからこそ、この映画はリアルになっている。
実際に死人に口はないし、葬式だって結局は生き残された人たちの自己満足に過ぎない。
だからこそ、死ぬという選択肢を選ぶ前に話し合わなきゃいけない。理解されようとしなきゃいけない。そう強く思わせてくれる作品でした。
個人的にはコナーが本当は何を思っていたか知りたいので、コナー目線の物語も作ってほしいですね。
死にたいと思ったことある人に向けて
ミュージカル映画としてヒューマンドラマとして凄く良い作品だと私は思いました。
曲は凄く良いし内容は共感するものばかり。
私も死にたいと思うほど精神的に壊れたことがあるので感情移入して途中から泣いていました。
逆に主人公のような性格や思いになったことがない人にとってはよく分からない内容だったかもしれません。
主人公の嘘は本当に良くないことでしたが、
死を選ぶほど追い詰められて孤独を感じていた時に、自分を受け入れてくれて求められるって凄く嬉しいことだと思います。
嘘の内容を死んだコナーが歌うシーンはとても好きです。
大きな嘘を主人公はついてたけど、
最後にコナーが歌うを姿を見て
嘘で出来上がっていたコナーだったけど、本当にそうゆう人だったんじゃないかって私は思いました。
賛否両論の映画だと思いますが、
私は今年一番といっても良い映画でした。
主人公の歌声は特に最高でした。
ミュージカルベースのご都合主義感は否めない
2時間嘘に付き合わされる。
孤独って目立つから、周りが気づいていないわけがない。
しかし、その辺は気にしてはいけない。
人とのコミュニケーションも苦手なはずだか、成長したのか割と話せる。。。
だいたいラストは嘘が何らかの形でバレるんだろうなーって見ていて、バレたー。すいませーん。
仕掛け、構成がシンプルだったのでやはりミュージカル向きだよなって印象。
楽曲はとても良い。
楽曲やメッセージ性は素晴らしいのですが、やはり自死の遺族への嘘というのはわたしは最後まで許すことができなくてモヤモヤが残りました。
ギブスのサインなどから親友と誤解されて本当のことが言えなかった、まではまだ物語の発端としてはアリだと思うのです。予告編のように。ただ、遺書の件はすでにやりすぎだし、そしてもっと早い段階で、トラブルになる前に自分から本当のことを打ち明ける、それがエヴァンの「殻を破る成長」であって欲しかった。クラファンまでやるなんて。
自分がコナーの家族だとしたら?息子を亡くしたお母さんや兄を亡くしたゾーイの気持ちを考えると、エヴァンの行為に言い訳や正当性はないと思えました。
ホラー
なんというか怖かった。
主人公が幸せになればなるほど嘘をついて手に入れた幸せというのが頭にチラつきこの嘘がバレた後のことを考えて怖くなった。
曲も良いし、演者もいいのだがそもそもの設定でつまづいてしまいました。
もちろん話への没入感とかミュージカル映画として上手い作りになってるなと思い最後まで見れたのだが・・・
どうしてもエヴァンのした事がひっかかってすごいモヤモヤした。
エヴァンが嘘をつかずに正直に話していたらゾーイと幸せになれる未来があったのだろうか。
逆にいうとここまでモヤモヤさせるほど映画にのめり込ませたのはすごいと言うべきかも知れない。
曲が素晴らしい
コナーの過去や人となりを、回想とかじゃなく周りの人の話やコナーの部屋などで想像させるのは良かったと思う。
歌に感動するんだけど「いやいや、いつまで嘘つくねん。」とぐっと引き戻される。
しんどい→感動→しんどいの繰り返しで疲れました。
今までも色んな要因があったにせよ、コナーの自殺の最後の引き金になったのはエヴァンの手紙だと思ってしまう私はひねくれてますかね。
けっこうよかった
泣ける場面がたくさんあって、歌も素晴らしくて感動したのだけど、みんなエヴァンにひどい。まるでエヴァンだけが悪いような感じになっているのだけど、コナーのお母さんに話を合わせているうちにつきたくない嘘をついてしまっているのだし、嘘自体優しい嘘だ。お母さんから「私が言わせてしまったのね」くらいの言葉があってもよかったのではないか。確かにエヴァンもちょっと調子に乗っていたけど、あの状況では誰でもそうなっても仕方がない。
エヴァンがいなかったら、コナーは単なる鼻つまみ者としてみんなの記憶から消えていく。出番も、意地悪しているところしかない。
エヴァン、遺書を送信するな、その場で自分のスマホで読ませろ。それに、コナーのメモリアルで果樹園を再開発して10万ドル集めるなど、大掛かりすぎる。木を学校に植えるくらいでいいではないか。
エヴァンが最初は高校生に見えなくもなかったが、だんだんおじさんに見えてきて、キャストを調べたら28歳で、ゾーイも26歳だ。
勘違いと嘘と誠
本国アメリカでの評価がとても高いという事で楽しみにしていました。
休日でしたが人の入りはそこまで多くなく、でもスカスカまでとはいかないくらいでした。
今作を観終わって思った事はまともな登場人物が少ないというところでしょうか。まず主人公のエヴァン、コナーという生徒の挙動を見て笑ってしまい、キレられ、セラピーの一環で書いた文章を取り上げられて、妹の事まで書かれており、再びキレられる始末。笑ってしまったエヴァンもエヴァンですが、文章を勝手にに取り上げて、その上キレるコナーもコナーだなと思いました。この導入部分からちんぷんかんぷんでした。
コナーの両親、特に母親は息子が死んでしまったので多少なり錯乱するのはしょうがないとは思うのですが、ちと思い込みが過ぎるかと。エヴァンをコナーの唯一無二の親友だと思い込んでやまない、嘘っぽいことでも無理矢理信じるなど、見ていて気疲れする様なキャラクターでした。
次にエヴァンの母親、コナーの両親に誘われて自宅に招かれた時、エヴァンの進学先のための資金をあげると言われます。まぁ受け取りづらい気持ちも分かりますし、受け取らないのも選択肢としては全然アリなのですが、断り方が無礼にも程がある。もう少し大人の対応はできなかったのかなと少しがっくし。
次に同級生のアラナ。1番苦手なタイプの人間です。自然保護だったり、クラファンだったり、率先して動く事は何も悪くないと思うのですが、コナーの死を利用している様にしか見えないクラファンだった事に違和感を覚えました(止めなかった、と言うか止めれなかったエヴァンにも多少なり責任はありますが)。クラファンの資金が足りないからと言って、エヴァンが誰にも見せないでと言ったコナーとの擬似的な繋がりを作った手紙を不特定多数の人間が蔓延るSNSで公開するという極めて悪質な手段にでます。正直コイツが1番の悪者だと思います。すぐに消したって言いつつも謝罪の言葉は無い。非常に不快でした。
エヴァンにもエヴァンで問題があり、嘘をつく事に罪悪感は覚えつつも段々と気持ちよくなっていき、嘘を広げていくのもなんだかなと思いました。インスタグラムに上げた謝罪動画もそうそう簡単に許されるものなのだろうかと。
と批判意見ばっかりになってしまいましたが、勿論良いところはあって、ミュージカル部分はとても良かったです。ミュージカルと言うよりは独唱という感じですが、キャストの歌唱力が素晴らしいので、世界観にグッと引き寄せられます。あとケイトリン・デバーが美しかったです。
と、アメリカで大絶賛されていたと言う割には…という出来でした。「イン・ザ・ハイツ」の視覚的面白さには遠く及ばず、という感じでした。なんだか感動物語に仕上げるあたり、悪い邦画らしさもちょっぴりあったなぁと。残念。
鑑賞日 11/28
鑑賞時間 17:20〜19:50
座席 N-14
少年の別の人生への選択
心に病を持ってる内気な少年が、一つの手紙により別の人生を紡いで行こうとする。その道の先に光が指してないのに。
人に傷つけられることを恐れるのに、自分は人を傷つけてしまう。そのことを告げ許しを乞う。
この行為の代償を描かずに、その先に光はあるのだろうか。
なにかスッキリしない感じでした。
落ち込んだ時に元気になれる
友達もなく、親にも心を開けずにいるエヴァン・ハンセンが治療のため自分宛に書いた「Dear Evan Hansen」から始まる手紙を学校でプリントしたところ、たまたま居たコナーに取られてしまった。その後、コナーは自ら命を絶ち、手紙を見つけたコナーの両親はエヴァンがコナーの親友だと勘違いしてしまった。悲しみに暮れるコナーの両親を思い、エヴァンは話を合わせ嘘をつき、コナーとのありもしない思い出を語っていった。エヴァンが壇上で語ったエピソードが人々の心を打ち、SNSを通じて世界中に広がっていき大変な反響を呼んだ。そして・・・という話。
あの状況じゃあ話を合わせてあげようとするエヴァンの気持ちもよくわかる。そのあと嘘がバレてバッシングを受け落ち込んだのちに素直に謝り、立ち直る姿に感動した。
エヴァン役のベン・ブラットも悪くはなかったが、コナー役のコルトン・ライアンが歌もダンスも上手かった。
ハッキリ「不快な映画」
映画って
ジャンル等こだわりなく年間100本以上観に行くと
この監督のはもうやめておこうとか
この俳優はもうお腹いっぱいとか
だんだんフィルターが濃くかかりがちになります
でも好きな映画ばかり観ていても仕方がありません
そもそも好きなジャンルとかないし
監督俳優一人の責任で映画がダメになるとも
言い切れません
努めていろんな映画を目にする事で視野が広がった
部分も多分にありました
まぁ嫌いな映画って皆さん色々あると思いますが
この映画は見ている間も見終わった後も
こんなもん見るんじゃなかったという気持ちで
いっぱいになる物でした
登場人物の立ち振る舞いににまるで共感できず
独善的な展開に後半はウンザリしてきます
元々ブロードウェイの演目だそうで
ミュージカル仕立てな点も歌って
ごまかしてるようにしか見えず完全に裏目です
映画化がダメなんじゃないでしょうか
主人公エヴァン・ハンセンは
服薬やカウンセリング治療を受けるほどの
対人恐怖症・社交不安があり学校でも孤独
母も仕事が忙しくあまり関わることがありません
ゾーイと言う気になる女の子もいますが当然
行動は出来ずにいるとゾーイの兄コナーに
会釈をしたつもりが突然絡まれます
エヴァンは心理治療の一環で自分に
「Dear Evan Hansen」の書き出しで手紙を書き
印刷するために並んでいると
またコナーが絡んできてギプスに名前を書かれる
などされ文面にゾーイの名があるとまた
激高され印刷した手紙をもって走り去って
しまいます
家にノートPCもあるしなんで学校で印刷しようと
したのかは謎です
その後コナーが突然自殺したとコナーの家族に
教えられポケットに入っていた手紙から
君がコナーの親友だったなら話を聞かせてほしい
と頼まれます
事情を説明したくてもコミュ障のエヴァンは
押し切られてしまい昔家族で行ったリンゴ園で
木から落ちた僕をコナーが助けてくれて
など出まかせを言ってしまいます
そもそもコナーがどんな奴かも知らないし
ゾーイはエヴァンとコナーが大して知り合いじゃない
事もわかっていますし最初から真実を喋って
ニセメールのゴーストライターとか頼んだ
ジャレッドとかもうバレバレのはずです
でもなぜかコナーの母親の思い込みが強く
エヴァンのいう事を鵜呑みにします
またクラスの「活動家」タイプのウザめな女生徒
アラナが勝手にリンゴ園を作ってコナーを追悼する
クラファンをやり始め追悼イベントも仕切って
親友のエヴァンにスピーチを依頼します
人前で喋るなんて無理なはずですが
コナーの母に押されてスピーチを引き受けますが
なにせ「嘘」だし人前でごにょごにょしか話せない
エヴァンを観衆は笑いそうになりますが
そこでミュージカル風シーンが入り一転
観衆は感動
動画がバズり一躍有名人になります
このシーンがもう?????でした
エヴァンは歌ったの?と誤解してしまいそうな
演出ですしなにせ内容は嘘っぱちのスピーチ
をごまかすためにみんな孤独だけど
頑張って生きていこう的な突然壮大な
事を歌い出すシーンは「ヤケクソ」
にしかもう映りません
そんでもバズって人々は感動します
まあネットのバズりなんてそんなもんなのは
わかりますが主人公すらどんな奴なのか
わからない段階でこのシーンをやられると
とても共感できないクズやなーとしか
受け取れません
その後クラファンも好調
ゾーイともいい仲になり
(疑ってたこともすっかりその動画で
忘れてしまうゾーイもたいがい脳みそ軽いです)
クラファンを仕切っているアラナも
抗うつ薬を飲んで承認欲求だけで
活動をしていることをカミングアウトします
自分の承認欲求だけで環境活動とかしてる
だけで題材はなんでもいいってのは
リアルな風刺だなとは思いますが
「我々は病んでるからこんなやり方でも仕方がない」
という風に受け取ってしまいます
共感性はどんどん低くなります
でエヴァンはとうとうコナーの一家から気に入られ
奨学金の提供まで申し出られますが
それはエヴァンの母が断固断り
エヴァンは彼らこそ本当の家族だと仕事仕事で
家にいない母をなじります
ここもね母は精一杯女手一つでエヴァンの治療費を
ねん出して働いてるわけじゃないですか
とっさに心情が出たのだと思いますが
それも顧みずひどい言いようだと思います
しかも「嘘」だし
この嘘なのが観てる側にはずっとつきまとって
いるのです
しかもエヴァンはゾーイとイチャイチャして
コナー追悼の集会にも出ません
クズじゃないですか
ここまで共感性をそぎ落とす演出の意図が
まったくわかりません
でそんなエヴァンにアラナは
クラファンの目標金額に達しない焦りもあり
集会に出てこない事やコナーとの
エピソードの少なさから本当に
親友だったのかと疑い始めます
違うよだって嘘だもん
でもアラナも目標達成しか興味ないだろ
とか観ながらいろいろ考えてしまいますが
焦ったエヴァンは例の遺書ということになっている
自分あての手紙を見せて信用を得ようとします
他に見せるなとエヴァンは念押ししましたが
クラファンの一押しの為にアラナは手紙を
公開してしまいます
するとフォロワーは
「遺書の書き出しが家族あてじゃない」事を
総出でツッコミ始めやはり問題のある家族
だったんじゃないかという事やクラファンへ
批判が集まりコナーの家族は大炎上
まあ実際母親はコナーの荒れようを見て見ぬふり
再婚相手の旦那とゾーイはコナーを無視していたわけ
ですから間違ってはいません
この映画登場人物の感覚が全員おかしいか現実的
すぎてミュージカルで理想を歌にしてしまうので
本来の建前で行動してるところの内心を歌い上げる
といったミュージカルの良い所が全部
裏目になってると思います
エヴァンはここでやっと自分のしたことを後悔し
全部嘘であることを告白しゾーイの家族に
危害を加えないよう頼む動画を投稿し
周囲から人は離れゾーイや家族とも離れていきます
あたりめーだな
でもクラファンは目標達成してます
この問題もこれであっさり解決しすぎなんですよね
リアルならクラファンの違法性とか
問われそうなもんですが
なにせその10万ドル集めて作ったリンゴ園
アホかと言うくらいデカいんです
エピローグではコナーの家族がここを
よりどころにしているとかゾーイが言いますが
あれだけあってまだそんなこと言ってるのかと
心底呆れます
エヴァンは一応コナーを少しでも知ろうと
薬物更生施設でギターで歌うコナーの姿などの
動画を家族などに送って俺はコナーの事を調べました
と償いみたいなことをしますが遅いです
普通に映画として嘘で親友でしたって言っちゃった
辺りから少しずつ調べていってコナーの人隣りを
知るほどに自分と同じだと気付いていくような
展開なら全然違ったと思いますが
この映画化が失敗だったんじゃないかと思います
ミュージカルであれば誇張した表現や設定でも
まあまあ様になっていたんじゃないかと思いますが
映画にしちゃうと歌い出すシーンと普段のセリフのシーン
の継ぎ目がないぶん混同しちゃうんですよね
それにこのテーマには合ってない気がします
自分には全く観る価値の無い映画でした
孤独に負けないで!
感想⬇️
孤独に負けないで!
評価4.1
ラストがいまいちハッピーになれないので納得しないけれども、彼の贖罪があるが故に、ニュートラルな終わり方を受け入れました。一番最後の字幕が、一人ではない、孤独に負けないでという言葉が、この作品のテーマだとよく理解できました。最初は暗い表情でうつ病の彼が出てきて歌うところを見て、ああ自分もそんな気持ちになった時代があったと思い出しました。それであるが故の嘘をつき続けてしまった彼は、見方を変えると中島敦の嘘つきが作家になる話を想起させてくれました。そして、彼は温かい家庭に憧れ成長していきます。悲惨の思いをしていた家庭が明るくなり、彼女も出来て、もうハッピーエンドということで終わって欲しかった。そういう意味では彼を黙認したかったけれど、この作品の倫理のようなものが許しませんでした。最後にはきちっと贖罪させます。それにしても、彼の歌声の素晴らしさ、その声に心を掴まれてしまいました。この作品では再婚した家庭の息子の自殺、母子家庭の息子の自殺未遂、この二つの家庭の中でうつ病が発生したように見えますが、環境がどうであれ、ならない人はなりません。ですから、極論を言えば、うつ病は病気ではなく一つの個性のようなものだと自身の体験からもそう考えました。いずれにしても、どんなに不幸な状況になろうと、友情があり、素晴らしい思い出さえがあれば、必ず救われると、この作品は訴えています。人間は一部の方を除いて、誰もが闇を抱えています。だからこそ前へ前へと歩いて行くポジティブ思考こそが大事なのでしょう。
白黒つけない
傷付く事に怯えるエヴァン、失敗を恐れます。
エヴァンにとっての失敗とは、人の期待に応えられない事なんじゃないかと思うの。
悪く言えば極度に人の顔色を伺う、良く言えば人の気持ちに対して敏感。
そんなエヴァン、あの状況では彼の性格だと、嘘をつかざるをえなかったと思うんです。
彼の嘘で明るさを取り戻すコナーの家族、そして彼の言葉に勇気を貰う人々。
彼は嘘を続けなければならなくなります。
これを彼の優しい嘘と見る人もいるでしょう、一方で彼のエゴが嘘をつかせていると見る人もいるんじゃないかな。
この線引きは難しい、エヴァン自身にも分からないだろうし、どちらの要素も有るのだと思う。
簡単に白黒つけられるものじゃないと思うの。
そして、この映画のコナーの家族は、エヴァンの嘘に白黒をつけなかった。
赦せない部分は残っているのだろうけど、それでも赦せる部分は赦した。
これで、エヴァンは自分の意志で前に進み易くなったと思うんです。
それでね思ったんだけど、今の世の中って、他者が白黒をつけ過ぎてんじゃないかな。
結果として、本人が白か黒かを考える機会を、減らしちゃってる気がするの。
思いやりの嘘?
「思いやりの嘘」という言葉に違和感を感じます。
コミュニティ障害のエヴァンが本当の事を言えず
誘導尋問の様な形で作り話しをしてしまう。
その後、コレが大きな動きとなって行くのだが、、
エヴァンは結果的に嘘をついたので真実を伝えようと
するのかと思いきや、唯一の友人(コレも?付き)に
金銭を渡してコナーとのメールを捏造。
挙句の果てに自分の嘘が見ぬかれそうになると
行き違いの発端となったコナーの遺書をメールで
転送してしまう。
この遺書がSNSで拡散され美談と思われた話が一転
お金集めが目的なのかとコナーの家族に避難集中。
ここまで来て、ようやくエヴァンは嘘を告白します
が、もう完全にタイミングを失ってますよ
しかし音楽は歌詞も含めて良かったのですよ😁
ストーリーは最後まで頭中では「????」と
なってましたが
コナーの継父が高橋和也(元・男闘呼組)に妙に似てた
不幸に会ったり、大事なものを失うと無意識にしてしまうこと。それは自己防衛のための現実逃避かもしれないし、自己欺瞞かも。コナーの母親(エイミー・アダムス)は孤独のうちに自殺した息子の気持ちを汲んでやれなかったことを後悔し、エバンが自己肯定感を高めるために自分自身に書いた手紙を、荒くれモノで理解者が一人もいなかった息子がたった一人の親友に残した遺書だと思いこみ、気持ちを少しでも和らげたいと思ったのだろう。この家族が妙にサバサバしていたことに少し厭な感じを受けた。エバンはこの母親の圧力に屈してしまったように思えた。自己犠牲によりバランスを取ろうとしたようにも感じた。ギプスに書いてもらった名前に後ろめたさも感じただろう。だが一番は、想いを寄せる妹ゾーイのいる憧れの家に通えるメリットだったろう。嘘の上塗りにはじまり、連鎖して広がるストーリーを優しく素朴なメロディと叙情的な歌詞にのせて美しくみせるミュージカル映画だった。それぞれの歌唱力はとても高く、とくに独白的な歌詞とエバンスの繊細な声は哀切を極めていた。楽しいミュージカルではなく、しんみりしちゃうほう。
気が弱い対人恐怖症の主人公もこれならスムーズに話せるし、青臭い重くなりがちな内容のセリフも歌にすると少しは気がまぎれる。眠くなりにくいメリットもある。
リュック・ベッソン制作の「コロンビアーナ」では子役だったアマンドラ・ステンバーグがとても素敵な女性になっていた!
行動的なリーダーのアラナ役。
そんな彼女も抗うつ剤を飲んでいたなんて。抗うつ剤を常用し、集団心理セラピーのサークルに通う主人公たち。アメリカの高校生は病んでるな~ クスリに頼り過ぎ。
コナーの弾き語りは素朴でドノバンのを連想してしまった。
SNSにクラウドファンディングなどは
今どきのストーリー展開。
ジュリアン・ムーアとエイミー・アダムスのおふたりはとても素敵。広い大きな家に住んで、素敵な母親がいて、幸せそうにみえるんだけどねぇ。グルテンフリーのパイだってそんなに悪くなかったよ。
コナーの継父タリーが高橋和也(元・男闘呼組)に妙に似ていて、なぜか憎めなかった。たぶんコナーとは距離を置いて暮らしていたと思われるが。
リンゴ🍎園の管理はどなたがやって、その経費などはどうしているんでしょうかね?グルテンフリーのアップルパイを作って、通販で売っているのかな?
伝えたい2つのテーマに向き合えるかが観客の評価を左右する映画
大きなテーマはEDに表記される
「君は一人じゃない」
これを強く押しているのはわかる
映画の序盤から起承(6割)までは
小さな優しさの嘘から
肥大化していく空想を世界の人々を救うという内容から強く感じる
そして転結で嘘がバレどんどん大きく広がった偽りの優しさが壊れていって
真実を伝えて自分を見つめ直し行動するシーンは
サブのテーマとなる
「偽りの自分で人と繋がるのではなく本心の自分で繋がり行動すれば心で繋がれる」
が大きく描かれている
ただどうしても内容が生死を取り上げ更には嘘が肥大化して優しさが兇器となり傷つけるというシーンが衝撃的なので
そこで嫌悪感を強く持つ人なら評価が低くなりそうな作品です
君は一人じゃない!!
やっぱりミュージカル映画は面白い!ただ少しテンポが悪かったかな。でも本当に製作者のメッセージ性をひしひしと感じた映画だった。また、おしゃれな言い回しが好きで暗い雰囲気の中でも暖かくしてくれるものがあった。最後の初めてここで会いたかった。というセリフも映画の内容ともマッチしていて最高です。
全74件中、41~60件目を表示