MEMORIA メモリアのレビュー・感想・評価
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音で見る映画、アピチャッポンがなせる神の所業
“僕はハードディスクで君はアンテナ” ティルダ演じるジェシカは突然、地球の核から鳴り響く轟音を受信し、その真相を求め旅立つ。 アピチャッポン・ウィーラセタクン監督の作品は、以前オールナイト上映で鑑賞した。その中でも『ブンミおじさんの森』がとても好きだった。しかし、今回『メモリア』を鑑賞して、ブンミと同等くらいに好きな作品になった。そして、アピチャッポン監督作品は筆舌し難いけど、凄まじい力を持っていると改めて感じた。 本作は、“悠久の時の流れ、石や木やコンクリートに吸収された記憶… すなわち土地や自然、物質、そして人間の身体に宿る記憶を巡る物語” であると考えられる。連綿と続く歴史の起源を音で辿る表現が非常に面白くて、それはアピチャッポンが成せる神の所業であると感じた。 また、全編に散りばめられたエピソードはどれも遠いような気がするのだけど、すべてが密接につながっていて、ハッとするような瞬間が幾度となくあった。1回の鑑賞では拾いきれてない部分が多々あると思う。記憶は個人の脳内だけに内在されるのではなく、他者と共有できるもの… “僕がハードディスクで、君はアンテナ”というセリフが象徴的で、ティルダ演じるジェシカが他者の記憶につながるアンテナのごとき役割を持っていて、他者に触れると相手の記憶が自分自身のもののように蘇ってくる… なんという深淵なテーマ。めちゃくちゃすごい。
趣旨を完全に理解しきるのはもう不可能…?
今年71本目(合計344本目/今月(2022年3月度)13本目)。 大阪市では1週間遅れかつ、私自身も色々はしごするために1分単位で移動という厳しい状況。 さてこちら。かなーり変わった映画です。映画というより(まぁ、映画館でやってば映画とは言えますが)、もはや「2時間1900円(一般の方で割引デーなどでない場合)で寝られる権利枠」とさえ言えるんじゃないか…というようにわかりづらいです。 とにかくヒントを得ようも何も、セリフがほとんどない上に、聞こえてくるのは水などのせせらぎ音等が大半で、放送事故か何かとさえ思えるほどの「静止画が延々続く」状況なので、何がどうなっているのか正直不明です。セリフさえちゃんとあればある程度、「背景に隠されたメッセージ」など読み取ることが可能ですが、この映画ではちょっと難しいのでは…(少なくとも、ここでみなさん無理と書かれているので、程度の差こそあっても、おそらく同じような結論になりそう)という印象です。 去年だったか、2021年、「登場人物が何も出てこず、延々と歴史的遺産がずっと流される」映画がありましたが(そして、太陽系の海王星との通信が何とかといってくる映画。シンカさんでしたっけ…。タイトル忘れた…)、あれに近い感じです。「内容を理解する」こと自体が難しいので(先に述べた映画は、シンカさんが公式アカウントで色々情報発信していたのでわかった点もあったけど、こちらは情報発信も少なめ)、正直わかりづらいです。わかりづらいですというより、わからないんじゃないか…とさえ思います(ヒントがないので、手掛かりがない)。辛うじてわかる、コロンビアやその自然などの部分なのですが、これらが何を意図するのかは色々調べましたが不明でした(南米の話なので、日本ではなかなか調べにくい、という事情もあります)。 先に述べた映画(ちょっと思い出せない…。シンカさんのあの映画)が、去年2021年に「映画版五種競技状態?」と書きましたが、こちらの作品は「同・2022年版?」というような状況です。とにかくわかりづらいことこの上なく、一方で、まさか「本当に意味なし、2時間で1900円(相当。映画館の料金は国によって異なる)の癒しを見るだけの映画」というように解釈するのは無理なので、何らかメッセージはあると思うのですが、正直、これを調べきるのはもう無理があるんじゃないか…と思えます。 --------------------------------------------- (減点0.8) …という点が全てで、結局のところ「何を述べたいか理解が本当にできない」という点に全部尽きると思います。ここのサイトでも一定の考察をされている方もいますが、正直何が正解・不正解なのかすら不明です(パンフレット等も売り切れていた)。 とはいえ、「積極的悪害を持って、意味不明な映画を流す」類型(今年だと、大怪獣~クラス)ともいえず、南米の方が見れば「当たり前じゃん」となる可能性もあるわけであり、日本版だけあることないこと付け加えることもできず、結局のところ「日本で公開するにあたって、日本での一般的な視聴者の理解水準の配慮不足」という、映画に関係しないところ(供給会社のお話)になってしまい、そこまで減点するのもどうか…とは思えます(まぁ、しいていえば、「日本の皆様へ」という趣旨で、最近は日本も一大マーケットですから…よくありますが(「ロスバンド」ではあった)…それ程度はあっても良かったかなと思えますが、予算がかぎられていると明らかにわかる映画で、そこまで求めるのも難しいです)。 ---------------------------------------------
要するに、つまらん。
こういう映画を撮りたいなら成功なのだろうが、 こういう映画を見たいとは私は全く思えなかった。 幾ら何でも示唆的(即ち意味不明)で、 余白過多(即ち退屈)過ぎる。 タルコフスキーな感じでしょ?と言いたいのかな。 非支持。
内容を説明しずらい
ひたすら静かな映画に「爆発音」という異質なブレンド。 正直、何度か寝落ちしそうになりました。 パルムドール賞の経験があるアピチャッポン・ウィーラセタクン監督がティルダ・スウィントンを主演に迎え、コロンビアで製作した作品。 去年のカンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞したことで今作を知り、観賞しました。 「ブンミおじさんの森」でもそうですが、ロングショットで非常に静かな場面が多いです。 長回しのカメラショットに音楽が演奏シーンとレコーディングスタジオ以外入らない、環境音のみで構成。 そこにコロンビアという南米ならではの要素も絡んできます。コロンビアの事はあまり知らない事の方が多いので、今回アマゾンやコロンビアの文明が入ってくるのが興味深いです。 ちなみに、今作のお気に入り場面はレコーディング・スタジオの場面。 そこで主人公の聞いた爆発音を再現しようとするのですが、色々と面白かったです。 自分は音響やフォーリーの勉強してた時期があっただけに、今音響スタジオで働いてる同級生なら爆発音をどう再現するだろうと気になりました(笑) もしその学校にまだいたら、自分もそうしたかもしれないですね。 正直話は非常に難解です。 説明的な場面がほとんど無いので、映像や音などで感じなければなりません。 それに加えてスローテンポでロングショットなので、僕は正直何度か寝そうになりました。 (完全に寝落ちはしていない。) また、英語圏のティルダ・スウィントンがスペイン語圏のコロンビアで花屋を営んでる設定は少し違和感があります。 恐らくイギリスの資本が入ったことでそうなったのかな? 恐らく何度か観れば僕も「素晴らしい!傑作だ!」と言えるようになるかもしれませんが、もう一度観たいとはそんなに思わないです。今のところは。 それにしても今作、カット数が相当少ないですね。 恐らく50カットあるか無いか、くらいかも。
題名どおりの映画でした。
独身だった頃、仕事が終わった後に、金曜日の夜よく映画鑑賞した。もう、30年以上も前のことだ。 用事があってどうしても都合がつかず、午後8時半からの上映会に出かけた。見終わって、午後十一時を回っている。通常なら、もう就寝している時刻だ。観客は私を含め6名。私以外は二十代の若者たちで、夜こんなおじいさんは珍しいだろう。 視点が意表をついていて、今まで全く気づかなかった。二十世紀に入り、エジソンが蓄音器を発明して始めて、人類は音による記憶(メモリア)が可能となった。 それまでは絵画しかなかった。ラスコーの動物絵は紀元前の絵だ。音による人類の歴史または自然の歴史をたどる映画だった。故に映像ではなくが自然の音や人間の生活音がメインである。また、音が時々カットされ、映像だけになる。音が無い世界を体験させる意図かと思った。 雨音、川の流れなど水の音がよく使われる。水は生命の誕生や保持に欠かせないものだから、生の象徴だろう。一方、古代人の人骨の発掘や何代にも渡って転生し人類最古の音の記憶を持つ男の寝姿が死体そのものに見えるのは、死の象徴かと感じた。生と死の繰り返しが歴史となる。 しかしながら、あの意味不明の衝突音或いは激突音の正体が、「未知との遭遇」だなんて思いもしなかった。てっきり、銃の発射音、殺害目的で家に押し入ろうとドアと叩く音、或いは恐竜・マンモスの足音と想像していました。 余談だが、グスタフ・マーラーがあともうちょっと長生きしてくれたら、彼の指揮による自作曲の録音が聞けたかもしれない。残念だ。
レビューが消えた😲 「制御できない記憶の嵐」
初日にこの映画を見てその日にレビューを書き投稿しましたが、5日後に消えていました。拙文に共感およびコメントを寄せて下さった皆様、すみません。初めてのことで驚きましたが、備忘録としてレビュー欄は重宝しているので頭に残っていることを書きます。この映画にふさわしく記憶を辿りながら。 太古の森、アマゾン、アフリカ、アジア、ヨーロッパのどこにも大昔あったであろう密林、草、川、湿気。その中で聞こえる雨の音や川のせせらぎは水が好きなので気持ちが良かった。ただ大きい音は苦手なのでそのたびにビクッとした。全てを記憶するから目に入るものを制限しているエルナンは夢を見ない。睡眠は彼にとって死である。夢や記憶に苛まれるのは辛いことでもあるので、エルナンが少し羨ましいと思った。でも目を開けたまま眠っている顔は怖かった。 記憶のことでジェシカが一度だけ泣く。その「泣く」に共振して自分も少し泣いた。 最後のあれがなかったらもっとよかったのに。
評点できませーん
久しぶりに「さっぱり」な作品でした。きっと僕は本作から何かを受信するアンテナを持っていないんですね。いつもはあーでもないこーでもない、と好き勝手に書いていますが、何かを書くレベルにまで至ることができませんでした。 ただですね、退屈ではないんです。若干アクビ🥱は多めになりましたが(笑)あー、席たちたーいってならなかったのは何故かな? ということで、評する言葉が見つからないので、評点無しです。 多分、こーいう作品が芸術的映像作品っていうのかな? まさか、その音とはね、、、。
とても深い物語です。
とても深い深い物語でした。人間とか社会とか、世界とかそういった対象について考えることなど無意味な気になりました。人間が生まれて、生きて、死んでいく。結局誰もがたったそれだけの人生なのです。その過程の中でもがき苦しみ戦い、そして何かわかったような顔をして自然に帰る。地球が誕生して、人類が誕生してそれだけだったんですね。地球の奥底から聞こえてくるような轟音。聞いてみたいです。それにしても体全体で受け止めた映画でした。すごい監督です。 『運だぜ!アート』のluckygenderでした
良かったと…思います…
長回しでほとんど動きの無い画、 脈絡の無いストーリー、 ミニマムに削ぎ落とされたセリフ… あぁヤバい睡眠不足の頭には辛いだろうなと思ったらやっぱり寝た…。 薄れ行く意識の中でボンヤリとUFOを観た気がしたが幻だったのだろうか…?
とうとうティルダがとんでもないもんになっちまった
神様になったり魔女になったり姿を見せない謎のナレーターになったりエンシェント・ワンになったりと、いろいろな役になることでお忙しいティルダ・スウィントン姉さんですが、とうとうここまで来ましたか。来ちゃいましたか。なんだこれ。マジっすか。 そんな衝撃のラスト10分。 これだけ客が無言で帰る映画も久々でした。 そりゃ無言にもなりますわ。 謎の爆発音と謎の青年。微妙に噛み合わない知り合いとの会話。謎のわんこと謎の骨。 まさかあんな終わり方するなんて、予想出来るかこんちくしょう。 なお、個人的に一番驚きだったのが、この作品の監督がタイの方だったということでしょうか。 同じ名前の男が出てきた時点で、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』みたいだなと思っていましたが……監督コロンビア人じゃなかったし。
批評に騙されるな
2時間16分の拷問である。退屈な映画は拷問である。 例によって、作品についての予備知識、情報が極力ないまま鑑賞。 監督がタイ人で、南米でロケされた、カンヌで何かの賞を取った―という程度。 封切り初日とあってか、館内は8割以上埋まっていた。 中身については、特段触れない。 ドラマとしてのヤマはないです。退屈な拷問です。 ああいう作品に何かを感じる人もいるでしょうが、私にはそれはなかった。 金曜の新聞各紙には映画評が載るけれど、東京で発行される新聞の評を、映画を見たあとにチェックしたら、2本の評に「静謐な~」という言葉が使われていた。 静か、穏やか、という意味だが、そんな普段使わない形容詞を使って持ち上げても仕方ない映画ですよ。 退屈なのに、それを深みがあるように思わせているだけ…。 配給元が出しているキャッチコピー 『深遠かつ静謐にして、圧倒的な【音】がもたらす唯一無二の映像体験』 このままに映画評を書いている記者、評論家は3流以下だわ。
市川姉妹かと思った
もしも、日本でこの作品をパクるなら市川姉妹でキャスティングしてほしい。なんて考えてたらティルダ・スウィントンなんですね。テーマを前面に出さないノマドランドとも思った。音が重要になっていて、それも「ボフッ」という音なのだけれど、もっと派手にしてもいいじゃないですかと思ったけれど、これが味らしい。よく批評家が褒めているのをみかける監督だけれど、それも頷ける。ちょっと優等生すぎるようにも思う。前半は眠いなぁと思ったが食事シーンぐらいから心地よくなっていった。ライトハウスも音をテーマにしているので思い出していた。劇中のバンドがすごいカッコいいので音源をさがしたい。また、音響技師が意外とエレクトロパンクバンドをしているのも気になった。せっかくなら聞いてみたいと思ったが監督はお気に召さないのかな。急に出てきたおっさんが宇宙で生まれた、すべての体験を憶えていると魚をチンタラ捌きながら言っていたけれど、彼は神のような存在なのかな。
このレビュー、間違ったわけでないのですが…
録画スイッチをオンにしたまま、しばらく置きっぱなしにしてしまった。 そんな感じの映像が断続的に続きます。時折の大きな音も気にならずに睡眠を誘うヒーリング効果が抜群です。 というわけで、この映画については、ほとんど何も語ることができません。 そこで、鑑賞前の出来事を記録。 昨日の『余命10年』は夜の11時半終映で、余韻を噛み締める時間がありませんでした。そこで今日の外出では、小松菜奈さんと坂口健太郎さんがハグした通路のある日暮里駅で降り、V字の二股の右手にあたる谷中銀座を散歩してから有楽町方面へ向かうことにしました。それでもまだ時間があったので丸ビル地下のスターバックスに立ち寄り、大きな楡材の一枚板のテーブル席の一角に腰掛けました。 すると斜向かいに位置する女性二人の会話が何気に聞こえてきて、つい耳がダンボになったのです。 歳の頃はたぶん小松菜奈さんと同世代。向かって右側のショートボブの元気そうな女の子が、どちらかと言うと落ち着いた雰囲気の隣のセミロングの女性にプレゼントを手渡しています。小さめの紙袋🛍からまず取り出したのは単行本。書店カバーが付いていてタイトルは不明ですが、「今はコロナだけどさ、これなら国内だから回れると思う」と説明していたので、美術館とか、もしかしたら歴女仲間で城巡りの本? 続けて文庫本と箱入りの美容関連商品らしきもの(プレゼントされた本人が日常的に使ってるものよりワンランク高い化粧水とかでしょうか?男の私には見当も付きません)を渡しているようでした。不自然にチラ見してたら気味悪がられるので、耳情報だけからの判断ですが、セミロングは大袈裟でなく自然体で素直に喜んでる様子。ショートボブも押し付けがましさは少しもありません。プレゼントの理由が誕生日なのか、卒業や就職のお祝いなのかわかりませんが、たまたま目にした普通の女の子たちの普通の友好関係。 そこには、『余命10年』の小松菜奈さんが経験したかった普通の友人関係が普通にありました。 もっと生きたい❗️ 余韻を味わうどころか、またまた涙がこぼれ落ちそうになってしまったのでした。
時間の流れ、輪廻転生、人類のよって来たる源についての考察など
ティルダ・スウィントンは、そのロンパリ気味の大きな目と、常に半開きの口元のせいで、外見はかなりミステリアスである。カメラ目線でまっすぐこちらを見ているようでも、どこか遠くを見ている感じだし、開いた口から言葉が出そうで出ない。何を考えているのかまるで見当がつかないのだ。ラブストーリーよりも魔女や幽霊や超能力者が似合う女優さんである。 さて、本作品はなかなかレビューの難しい映画である。少なくとも、短気な人には向いていないことだけは分かる。森、山、空などのひとつひとつのシーンが長い。街なかのシーンでさえ、登場人物なしの長回しなのだ。隣の年配の客は最初からエンドロールまでずっと寝ていた。 ジャンル分けも難しい。強いて言えば超心理学SFだろうか。コロンビアを舞台の超常現象というのも違和感があるし、主人公が住んでいるのがメデジンだ。メデジンといえば、メデジンカルテルしか思い浮かばない。物凄く危険なところだというイメージだ。絶対に行きたくないと思っていた。しかし映像を見る限りではそんなに物騒な感じではない。当然といえば当然だ、戦場ではないのだから。ただ体格がよくて強面の男たちがたくさん映っていて、やっぱりメデジンには行きたくないと思った。 象徴的な場面がいくつかある。若いエルナンが言った「Depth of Illusion」、考古学者が6000年前と推測した若い女の頭蓋骨に開けられた穴、まるでつけて来るみたいな大きな野良犬、中年のエルナンとのノンバーバルな交流、それに音の正体である超常的な光景などだ。 理解し難い部分が沢山ある作品だが、時間の流れ、輪廻転生、人類のよって来たる源についての考察などが製作者のモチーフとして感じられる。スウィントンが演じたジェシカは旅人である。空間を移動する以外に、時間も移動しているような印象である。本人が意識していないところで違う時間に入り込む。ジェシカが移動する過程が時間と空間のつながりそのものとなる。 そういう意味では、ヒロインは中性的で思索的でストイックである必要がある。ジェシカの役はティルダ・スウィントン以外に考えにくい。それは本作品がいい作品だったということなのかもしれない。
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