「超難解な作品」MEMORIA メモリア R41さんの映画レビュー(感想・評価)
超難解な作品
2022年 超難解な作品
この物語は、昨今発見された「記憶媒体」に関することからヒントを得たのかもしれない。
我々は一般的に、記憶媒体と聞けば磁気テープ系やハードディスク系を想像するが、ごく最近「石」や「水」も記憶媒体になることがわかってきた。
もしそれら物質から、太古まで遡ってその記憶を取り出すことができたなら?
この作品はこのことを言っていたのかもしれない。
特に「大きな音」は、自然の音とは違い、物質に深く記憶として刻み込まれている。
それをキャッチできるアンテナがあれば、一般的に言われる超能力に目覚めることで、その記憶を「再生」してしまうことが起きるのかもしれない。
このことと「アカシックレコード」という概念がこの作品の下敷きとなっている。
この作品は2021年カンヌ国際映画祭において審査員賞を受賞しているが、審査員たちは博識故にこれらのことがすぐに理解できたのだろう。
この作品は、正直何を言っているのかわからない人が大半だろう。
特に最後の「OOO」にはひっくり返ってしまっただろう。
太古の地球 大きな音 その正体
さて、
主人公ジェシカ
彼女がおかしな音に悩まされ始めたきっかけは、愛犬を安楽死させたことだったようだ。
しかし奇妙なことは「音」だけにとどまらない。
入院していた妹との会話や、妹の歯科医が生きていること。
そして何よりも、その音を再現してくれたミキシングの「エルナン」
ジェシカは彼と親しくなり、花農園用の冷蔵庫の視察にまで出かけた。
エルナンはジェシカの「音」をヒントに、自身の専門である作曲をしてジェシカに聞かせた。
ところが再び彼を訪ねたが、そこに事務所やミキシングスタジオなどはなく、近くのスタッフに訪ねてもエルナンという人物を知らないという。
そして聞こえてきた音楽 演奏する4人 その音楽は、「エルナン」が作曲したものだったに違いない。
その音楽をエルナンは「妄想の深淵」といった。
これら不思議な出来事が次々とジェシカの前に現れ始めた。
妹が入院していた大学病院で仲良くなった女性と彼女の人類学 遺骨の発掘 6000年前の少女
この作品の舞台はコロンビア スペイン語圏の国
そして彼女の研究に魅了されて訪れたジェシカは、その発掘場所を訪れた。
そこで出会った不思議な男
彼は頭の中の「音」に悩むジェシカの姿を見て「大丈夫か?」と声をかけた。
彼の名前はなんと「エルナン」
そしてこの男は自身を「ハードディスク」だという。
また、ジェシカを「アンテナ」と例えた。
アンテナ能力が芽生えたジェシカは、エルナンの記憶を共有してしまう。
彼の幼い頃の記憶を見て、自分の体験だと勘違いする。
さて、
この作品には効果音や音楽は一切使われず、日常と自然の音だけがある。
あの「音」だけが唯一の効果音だろうか。
発掘現場近くに住んでいたエルナン 彼の手を自身(ジェシカ)の腕に置くと見えた彼の記憶と、彼が石から見た記憶が伝わってきた。
「何故泣く? 君の記憶じゃないのに」
「あの音が聞こえる。これもあなたなの?」
「そう。でももっと昔の音」
エルナンの言葉は非常に奥が深いと思われるが、なかなか読み解くのは難しい。
特に、「猿の言葉がわかる。憶えている。宇宙で探していたら、俺が生まれた」というセリフは非常にスピリチュアル的で解釈すれば誤解がつきまとうだろう。
簡単に言ってしまうと「私とは、宇宙そのもの」という意味。
そして私自身が宇宙を内包するように、宇宙とは一人に一つずつ「存在」する。
この作品は、この「事実」を解釈せずに表現している。
ジェシカの頭の中にだけ聞こえる「音」
それは、ジェシカの覚醒のきっかけだったが、その原因は一つの宇宙をジェシカが葬ってしまったこと。
ジェシカとはごく一般的な人間だが、その一般という日常にあふれる常識や普通とかという名の影に、本心とかセルフとか言われる真の自分が隠れてしまっている。
それは成長の過程なので、セルフも問題にすることはないと思われるが、ジェシカ本人にさえ気づかない本心が「声」を上げたのだろうと解釈した。
その声に応えたのが「セルフ」のようなもので、彼女に「音」を聞かせたのだろう。
そうして彼女がたどるようになった軌跡こそ、「シンクロニシティ」だった。
その過程で、彼女は妹の話やスタジオのエルナンとの不思議な齟齬というのか、すれ違いのようなものを体験する。
この描写は日常のあるあるだが、実際には「パラレルワールド」に移動したのだろう。
彼女は今までの日常から、別の日常へ移っていった。
また、
発掘現場そばの病院で、医者はジェシカに「ご主人は?」と尋ねるが、彼女はそれには答えない。
答えられなかったという方が正しいかもしれない。
それは、何らかの理由で夫と別れたのだろう。
それは彼女にとっての大きな「喪失」であったが、同じ喪失を愛犬には安楽死という方法を取ったことで、彼女の中の「本心」が「ざわついた」のだろう。
この物語のすべての「原因」
都会であっても雨は降る。
この自然現象は、地球があるから起きるが、当然宇宙がなければならない。
同じように「私」と言う存在は、「私」単体では成り立たない。
この私とは何か?について考えると、私自身の自己紹介が始まるが、その場所や、特別な「もの」について説明し始めると、そもそもの「私」という存在の説明から徐々に遠ざかってしまう。
つまりそれらすべてが「私」と何らかの関係があり、この関係性(縁起)によって「私」が居ることになる。
この関係性はすべての「もの」と関係している事がわかるが、つまりそれは地球であって、そもそも宇宙だ。
この作品は、このようなことを説明せずに描いている。
この妄想が正しいとは言えないが、一つの解釈だ。
妄想の深淵にこそ、真実が宿っているのかもしれない。
超難しい作品だった。