ベネデッタのレビュー・感想・評価
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The Anti-Nun Horror Film
Paul Veerhoven does what he does best in a sacrilegous plot with gratuitous lesbian nun sex scenes. Inspired by a true tale in a convent in central Italy, with demons, in French. True to the era it portrays as a costume drama, the film is a punk look at gender roles developing in the Catholic European Renaissance. Basically a pink eiga with a high IQ, fans of the director shouldn't miss it.
映画とエロスと宗教と
ポール・バーホーベン監督といえば、娯楽大作の大枠のなかで「ロボコップ」「トータル・リコール」「スターシップ・トゥルーパーズ」などのSFアクションがある一方、「氷の微笑」「ショーガール」「エル ELLE」といったヌードや性的な描写を多く含む問題作により、それまでの映画におけるエロス表現の基準を刷新してきた鬼才という印象も強い。
そのバーホーベン監督の最新作は、実在した修道女ベネデッタを題材にしていて、大まかに史実に基づく点では「ブラックブック」に共通する。レズビアンの要素、R18+指定という情報も前宣伝で強調されていた。
ベネデッタは本当にキリストの声を聞き奇蹟を起こしたのか。それとも聖痕などを自作自演ででっちあげて教会関係者や民衆を欺いたのか。バーホーベンが共同脚本も務めた本作のストーリーはその辺を巧みにぼかして描いており、判断は委ねられる。エロス要素を男性目線で期待すると、あるいは物足りないかもしれない。それでも、ヴィルジニー・エフィラが演じるベネデッタのパワフルな女性像はきっと多くの観客を勇気づけるだろうし、宗教という伝統が重視される保守的な世界で周囲を翻弄しながら我が道を行く姿には、ある種ピカレスクロマンのような痛快さがある。
タイトルなし
神かペテンか、それとも悪魔に憑かれてしまったのか?昔から伝わる奇跡の真相を知りようがないように、ベネデッタが起こした奇跡の真相も分からない。個人的にメチャクチャ好きなリュック・ベッソンのジャンヌ・ダルクやフリードキンのエクソシストに通じる物を感じた作品たった。
金曜ロードショー辺りで放送して茶の間を気まずくしてみてほしい。
卑弥呼(真説・邪馬台国伝…の)!?
R18+だけあって、表現は非常にエッジが効いていますので、
観る方を選ぶ映画でもあります。
映像が抜群に美しいです。
私が中世ヨーロッパの設定が好き・・という贔屓目もあるかもしれませんが、
衣装・建物・風景・人(特に主人公まわりの女性陣)の美しさが際立ちます。
音楽も映像にさらに彩りを与えるような良い雰囲気を醸し出す役割を
充分に発揮しています。
冒頭からベネデッタの人となりをつくりあげていく要素を
積み重ねていきながら、神格化していく彼女の土台を視聴者に理解させる
流れとなっていて、私は好感が持てました。
ただ、ベネデッタが計算しつくした"演技"をしているのか、マジなのか、
これはわからないつくりになっているのが上手い。
ただ、私は"演技"だと思って観ており(その証拠も映画では表現されます)、
というのも、原作:リチャード・ウー、画:中村真理子によるマンガ
『卑弥呼』の卑弥呼にそっくりなんですよね。ベネデッタが。
このマンガの卑弥呼は、計算しつくして卑弥呼を演じながら、
自身の人生のVisonも成し遂げようとするわけですが、
まさにベネデッタもそうなのではないか?と感じたわけです。
でも、ラストは計算高いベネデッタではなかった。
だからホンモノかもと思うところもあり、実に深い作品になっていますね。
※キリストの扱いがちょっとチャラいなぁ・・とも。
中世ヨーロッパって残酷。宗教もこの頃はどうなの!?と思います。
平気で人を拷問したり殺害していいの!?と。
そして、ペスト。
これはコロナにも通じるものがあり、意図的に扱っているように思います。
決して誉められる表現ではないし、万人にオススメもできませんが、
なんせ実在の人物を扱っているのが興味深いです。
そして、ファッションとしても見応えがある作品です。
ポール・ヴァーホーベン監督はとても80歳とは思えないくらい
エネルギッシュ。そして主演のビルジニー・エフィラの体当たりの演技も
最高でした。きっと今後も活躍されることと思います。
おもしろかった。 最後の「狂ってる、変だって!」と言われ「まだ子供...
おもしろかった。
最後の「狂ってる、変だって!」と言われ「まだ子供ね。そこ(狂ってて変)が魅力でもあるのよ」と返すベネデッタはめちゃくちゃcoolでした。
宗教の本質を突いてるよね
何がホントで何がウソか、本音と建前、正論と詭弁、同調圧力、忖度、自己抑制、自己欺瞞、自己催眠、群集心理のコントロールなどなど、宗教の構成成分の大半を占めるいかがわしさをバーホーベンの流儀で見事に露呈させた怪作だと思います。
この作品が描く舞台は中世と近世の間くらいのフランスなのかな。でもコミュニティの中で漂うムードは現代日本とも通じるものがあるので、日本人にも凄く突き刺さる部分があるんじゃないかな。
凄いモノを見てしまったんだけど、どうリアクションしていいのか迷う感じ…これぞバーホーベン作品。
ウムーッと唸ってしまいました。
狂ったキリスト教。
主人公ねーちゃんもその友人役ねーちゃんも上手かったなぁ。エロい場面もチラホラやったけど、結局、キリスト教の昔ながらの残酷非道具合が危ないわ。過去のニュースでも神父や幹部おばさん等の未成年や弱い者達への長い年月を経た性虐待が明るみに出た事件もあったし。魔女狩りだの火炙りだのと冤罪いじめまっしぐら組織教団の恐ろしさがよく解る。見応えありましたわ。
難解
宗教にあまり馴染みがない日本人からすると難解な作品やなあという印象。
昔の裁判って物的証拠がなくても死刑になるというのが恐ろしい。ベネデッタは神に仕えていたのかそれとも自作自演だったのかは本人にしかわからないが…。信じるか信じないかは観客次第といったところか。
個人的な意見としては、ベネデッタは非常に賢く強かな女性やと思った。(ベネデッタ自身、恋愛感情を抑えられず欲望のまま動いてたシーンもあるので…)
壮絶
ベネデッタとは実在した修道女のことなんですね。キリストの幻視や聖痕といったものが広く信じられていた時代であっても、そこには本当のような嘘や捏造も混在していたのかもしれません。何を信じて信じないかは本人次第とは思いますが、現代においても「えっ!」と信じがたい現実もあるので、荒唐無稽な昔話とはいえない気がしました(汗;)。精巧な映像処理によってリアルなフェイクニュースが氾濫する現代は、実は17世紀とそんなに変わってないのかもという気がしました(汗;)。
ベネデッタ、真実は?
修道女や神父とか、何かと同性愛や小児愛が問題になったりするが、閉塞された限られた空間で過ごすことで、そういう雰囲気になりやすいのか、、、。
ベネデッタのキリストの花嫁になったと、言ったことは事実なのか?額の傷など、陶器の破片が落ちていたり、おそらく自ら傷つけて、演じていたんだろうが。でも、この街がペストの被害から免れたことを考えると、嘘ではなく、本当だったのか?とも思える。んなわけないね。
ポールバーホーベンは揺るがない
ポールバーボーベンの嗜好は揺るぎがない
ベネデッタが
ほんとうにイエスとつながり言葉を受け取って聖痕を与えられたか、
修道女としての行いを続け院長として修道院に恩恵を与えたか、
は日常としては描かれるが問題ではなく、彼女がどういう嗜好性でこの閉ざされた世界で生きているかをポールバーホーベンの側からの視点を強調して物語る。
ベネデッタが恣意的にふるまうように見えてとてもしたたかで柔らかく強い。
ビルジニーエフィラのベネデッタは象徴的に金髪だし、これまでのポールバーホーベンの女性と同様周囲に溶け込まない強さを持ち、クラッシックな画面構成の中でとても際立っている。
この拘束的な(それはとてもわかりやすい)修道院の中で異なるルックスと、その馴染むことのない行動言動は他の作品より、よりポールバーホーベンが如何にベネデッタが特異な存在であったかを強調している
(わたしの数十年来の映画的ミューズである)シャーロットランプリングは、いつもとは違いとても感情的に演技している、そこに驚いた。
若かりし美しきシャーロットランプリングの「さらば美しき人」とは対照的に静かな眼と感情が溢れる演技。
これもポールバーホーベンのなせる映画か。
バーホーベン最新作はやっぱり一筋縄ではいかなかった
YouTubeビデオで鑑賞。
みんな大好きポール・バーホーベン監督最新作。
一応ジャンル的にはナンスプロイテーション(尼僧や女子修道院を題材にしたエッチな映画)って事になると思うけど、内容は大変な時代や状況の中でも“強か”に生きぬく女性の生きざまを描いた「ショーガール」「ブラックブック」「エル ELLE」に連なる最新作。
17世紀イタリアに実在し、同性愛の罪によって70歳で死を迎えるまでの間、修道院に隔離された修道女ベネデッタ・カルリーニの伝記を原作にした作品で、その身に聖痕が現れたことで、聖女として村の中で権力を得ていく様子が描かれていく。
そんな彼女の聖痕や信仰が本物だったかどうかは観客に判断を委ねる作りになってるんだけど、監督的にはそれよりも17世紀という時代を生きぬいたベネデッタの強かさを描くことが重要だったんだと思う。
ちなみに、本作の撮影時バーホーベンは80歳なんだけど、とても80歳のお爺ちゃんが撮ったとは思えない力強く瑞々しい作品だった。
宗教、そして修道院の闇を描いた作品。
史実に基づいた映画であり、実在の修道女が主人公。
エロさとグロさが溢れた作品です。
宗教色の強いストーリーなので、序盤は入り込めなかったのですが、
中盤以降グイグイ引き込まれていきました。
修道院というのは、行き場を失った
女性を救済する聖地のようなイメージがあったんですが、
金がなければ入れてもらえない、ドロドロとした場所なんですね。
神が乗り移ったようなあのシーン。声が男性のように
なってましたが、あの憑依は真実?演技?
【ペストが流行した17世紀。男性社会の中、修道女になったベネデッタは聖痕を得た事で修道院長に抜擢される。修道院内で行われるイロイロと不道徳なシーン満載作品。ポール・バーホーベンだからね!】
ー ポール・ヴァーホーベン監督が、17世紀に同性愛の罪で告発された実在の修道女を題材にした衝撃作。
ヴァーホーベンならではの性と暴力に満ちた奇想天外なドラマが展開する。ー
■17世紀のイタリア、ペシア。
幼い頃から聖母マリアと対話し、奇蹟を起こす少女とされていたベネデッタ(ヴィルジニー・エフィラ)は、6歳で出家し修道院に入る。
純粋無垢なまま成人したベネデッタは、聖痕が現れ、民衆に崇められ、やがて修道院長に就任し、民衆からは聖女とあがめられて権力を手にする。
◆感想<Caution! 内容に触れています。>
・相変わらずの、ポール・バーホーベン監督節炸裂作品である。
・ベネデッタも、強かにも見えるし、純粋にも見える。
ー ヴィルジニー・エフィラの熱演ありきである。-
・ベネデッタは、修道女バルトロメア(ダフネ・パタキア)と禁断の恋に落ち、同性愛行為に耽るが・・。
ー それを、壁の穴から見ていた前修道院長(シャーロット・ランプリング:灰色の目が怖いです・・。)-
<前修道院長は、その事実をジリオーリ教皇大使に伝え、ベネデッタは火刑に処されそうになるが、前修道院長もジリオーリ教皇大使もペストに罹患しており、教皇大使は民衆から襲われ、前修道院長は自ら火刑の炎の中に入って行くのである。
今作は、ポール・バーホーベン監督がベネデッタを腐敗した権力や男性支配の社会に対抗する存在として、エロティックに描いた作品である。>
ラスプーチン?
ダニー・ケイの映画に虹を掴む男(1947)というのがある。後年ベン・スティラー主演でLIFE!/ライフ(2013)としてリメイクされたが、原題はどちらもThe Secret Life of Walter Mittyである。スティラー版をご覧になった方は多いと思うが主人公ウォルター・ミティには重篤な妄想癖がある。妄想というより白昼夢という感じでいったん入り込むとまるで幽体離脱しているかのように現実生活が疎かになる。妄想の中に住むウォルター・ミティ、ゆえにThe Secret Life of Walter Mittyなわけである。
ベネデッタを簡単にいうと妄想癖をもった女がまきおこした騒動である。妙な解釈に思われるかもしれないが、一連の事件は奇跡が信じられている17世紀の修道院ならじゅうぶんに有り得る。加えてベネデッタはメンヘラを患っている。もともとなにかと小賢しい(こざかしい)少女だったのが、禁欲的な修道院という特殊環境で精神疾患(メンヘラ)が伸び伸びと増長し、且つ妄想癖と合体し、ベネデッタというトンデモ女がうまれてしまった──という話である。
こういったメンヘラ女(男でもいいが)は案外珍しい存在ではなく、わたしたちの身の周りや著名人の界隈にもいる。彼女(彼)は腐った果実のようにたったひとりで周囲の健全な人々を精神的にあるいは肉体的に破壊していく。あたかも謀略のようだが、本人は無自覚だ。謂わば「自作自演という天然」をもった怪物である。
ベネデッタの惑乱は教区にいることでさらに増長する。さまざまな現象に対して信者らは“神の意思”をからませるからだ。
彗星が降ってくるシーンでは神がお怒りだと言って恐れおののく。ペストだって神の怒りである。こういった神憑り・迷信によってかれらは怯懦である反面、みずからの欲望が犯したことの申し開きにも神は使われる。
たとえばサドのジュスティーヌで悪徳僧侶たちはジュスティーヌを凌辱するたびにそれを主のせいにする。性欲をコントロールできなかったのは主の御心かもしれない──という曲解によって責任のがれをはかりみずからの精神的安寧を保つわけである。
聖職者にはある種の欺瞞があると思う。
たとえば遠藤周作の沈黙という小説がある。小説よりスコセッシの映画として知られているかもしれないが、沈黙は誰が沈黙しているのか──といえば“神”である。残酷な宗教弾圧に遭いながら、神に忠信を尽くしているのに神はいっこうに応えてくれない。その状態を“沈黙”と言ったのだ。ヴィスコンティやベルイマンが使った“神々の黄昏”とか“神の不在”も同様に「人間界は神がいないかのようにヒドいor愚かしい」ということを示している。しかし“神”なんて現実には存在しないのだから応えないのは当然である。
ところが宗教信者は人間が悪をはたらいたり自らが救われないことを神がいないからだ──という立脚点をとる。その依存を欺瞞だと言っているのだ。
やがて、世の悪を神のせいにするばかりか、みずからの犯した悪をも神のせいにする。宗教信者にはそのような欺瞞が生じやすい。(のではなかろうか。)
いま行われている戦争もそうだが信者・宗教人というものはあるていど“神のせいにする人たち”という見地をもったほうがいい。
そのように現実をも曲解する信心によってベネデッタの奇行が守られたことでベネデッタは一時的にせよ恣(ほしいまま)の状況をつくることができたのだった。
反対に、ランプリングが演じているフェリシタ修道院長はまともな人間性をもっている。少女時代のベネデッタにマリア像が倒れてきたにもかかわらず無傷だった──という出来事があったとき、娘のクリスティーナにこう言った。
「奇跡なんてキノコみたいにやたら生えてるもんじゃない。それに想像以上にやっかいなものよ。」
フェリシタ修道院長は立場上奇跡じたいは否定しないものの奇跡なんてものはあり得ないという現実主義に立っている。宗教人なら信者である前にまっとうな人間であることが必要だという亀鑑のような存在だ。しかし、まともであればあるほどメンヘラには脆い。そういう理不尽が描かれている。
したがって映画の紹介には同性愛のことがメインに揚げられているが、ご覧のとおり、ベネデッタで強烈なのは同性愛が描かれていることではなく、たった一果のメンヘラ女がまっとうな人間たちを駆逐してしまうこと、むしろそれを主題とした映画、言ってみりゃラスプーチンの女版といえる。
imdb6.7、RottenTomatoes84%と90%。
アメリカの歴史家Judith C. Brownの著作「不謹慎な行為: ルネサンス期イタリアのレズビアン修道女の生涯」をアレンジしてある──とのこと。
バーホーベンは復調が継続しておりオランダ時代のように生生しいが、わざと露悪・扇情的なつくりという感じはあった。
ベネデッタは自作自演に無自覚だが自身が神の嫁であるという境遇について疑いをもっていなかった。すなわち無敵だった。が、時代も彼女を神のつかいとみなすような時代だった。真面目なつくりだが前作エルみたいな一種のブラックコメディといえる。(と思った。)
見応えはあったが不愉快な女だった。w。
神の声を聞き、神の姿を見るベネデッタ
真実か?虚言か?病か?
修道女ベネデッタ。
その揺るぎのない強さに、信仰の危うさを感じる自分がいました。
ベネデッタの行いは自分本位で《我こそ神なり》
神がかり(憑依?)的な聖女(魔女?)
全ての行動が裏表です。
神を信じていれば肉欲に溺れることも、なんの疑いも感じない。
神の声を聞き、ベネデッタの内から神が男の声で啓示を語るのですから・・・
(宗教全般に疎く信仰も持たない私です)
この映画、ポール・バーホーベンの世界は
《宗教は何でも有り》
裏切りも密告も嫉妬も策略も聖職者の政治力に利用される。
ベネデッタが神の声を聞き、聖痕が身体に現れたことにより、
修道長にまで昇り詰めて行く。
元修道長(シャーロット・ランプリング)は面白くない。
ローマ教皇大使(ランベール・ウィルソン)にベネデッタの同性愛行為を
糾弾に赴く。
そしてベネデッタの《火刑》のスッタモンダ!!
エネルギーに溢れた映画です。
ポール・バーホーベンの本領発揮・・・
過剰な性描写!
アレレと思う宗教観!
絢爛豪華な中世の映像美。
美しいBGMの宗教音楽と女声のミサ曲。
最後まで楽しませて貰いましたが、
こんなドロドロでギドギドの油ぎった宗教映画に疑問も?
薄っぺらい感じもします。
エンタメでサービス満点。
さすがのバーホーベン監督作でした。
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