劇場公開日 2024年3月1日

「迷子のコットンテール」コットンテール かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0迷子のコットンテール

2024年12月30日
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リリー・フランキー演じる作家大島兼三郎は、おそらくノーベル賞作家大江健三郎がモデルになっている。長男の大江光は脳瘤(脳ヘルニア)のある障害者で、その実体験をもとに『静かな生活』などの小説を書いている。本作の兼三郎も妻の明子(木村多江)が認知症を発症自宅介護を選択するものの、責任を最期まで全うすることができなかったことを悔いていた。その贖罪からだろうか、息子慧(錦戸亮)家族とも疎遠になっている兼三郎だった。

この兼三郎、魚河岸で奥さんの大好物タコブツを無断で失敬したり、英国湖水地方のとある駅で放置されていた自転車をネコババしたり。手癖の悪いところがあの“ピーター・ラビット”にクリソツなのである。映画タイトル『コットンテール』はピーターに3匹いる妹のうちの1匹の名前であり、妹たちにたらふく野菜を食わせてやりたいと人間の耕す畑から無断で拝借する様子が面白おかしく描かれているそうで、やがて“自由”には“責任”が伴うことを学んでいくのである。

つまり、イギリス人映画監督が日本人俳優を使って撮りあげた長篇処女作は、家族が障害者を受容するにあたって生じる責任について言及した作品ではないのだろうか。途中兼三郎が迷子になってお世話になる英国人とその娘が登場するのであるが、娘の年齢からして母親が何かしら病気を患って早逝したらしいのだが、その介護生活にはあまり触れられていない。しかしながら本作は、障害者や認知症患者を受容する(万国共通の)家族の葛藤をテーマにした作品であろう。

兼三郎の場合、仕事に忙殺され家族をかえりみなかった疚しさをして、息子とその家族をわざと過酷な介護生活から遠ざけたようなところもあり、息子の慧としては(自分勝手に一人で責任を負うようなまねをせず)もっと自分に頼って欲しかったというのが本音ではなかったのだろうか。映画としては、原作者ビアトリクス・ポターよろしく湖水地方の美しい湖へ明子の遺灰を散骨するロマンチックストーリーになっているため、介護問題への言及が多少薄まってしまった気がする。

映画ラストは、草むらに逃げ込んだ“コットンテール”を家族で一緒に追いかけるシーンで閉幕する。ここ湖水地方では犬も歩けば必ずや遭遇する迷子のウサギちゃんらしく、徘徊して行方不明になりかけた明子をそれに重ねているのだろう。一人で湖を探そうとするから道に迷うのであって、みんなで仲良くウサギちゃん探しゲームを楽しむくらいのノリで介護に望めばいいのである。この世の不幸をすべて背負子んだかのような兼三郎の頑なな態度こそが、家族を破壊する元凶なのだろう。

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かなり悪いオヤジ