「いい映画なんだけどね、一つひっかかることがあって、もやもや。」コットンテール 八べえさんの映画レビュー(感想・評価)
いい映画なんだけどね、一つひっかかることがあって、もやもや。
「ぐるりのこと」をみていないのですが、リリーさんと木村さんの夫婦役はとても、良い感じに見ることができました。二人の若い頃の二人、特に明子さんの若い頃を演じた恒松さんがとても天然というのか、可愛くて良かったです。
そして、ロードムービーとして兼三郎が和解していきます。息子さんというところなのでしょうが、その前に、彼は自分自身とまず和解しなきゃならなかった。こういうふうにしか生きてこれなかった、看取ってやれなかった彼自身と和解しなきゃならなかった。その描き方が時間をかけて、伝わってくる感じがして良かったと思います。
さて、ここからは僕のモヤモヤの部分です。この映画を良い余韻で終えたい方は読まないでください。
モヤモヤのこと、それは妻・明子さんの死因なんです。
彼女の死因はなんでしょうか。
認知症は死に至る病ではありません。
例えばアルツハイマー病罹患から死亡までの平均罹患期間は8〜10年と言われています。
若年認知症はあります。しかし、すぐには亡くならないのです。
しかも、痛みを伴うものではありません。
明子さんが亡くなるところの場面で医師がしようとしていたのは「疼痛コントロール」のように見えました。
そう、癌末期のように見えます。
もちろん、認知症と癌が併発することもあります。
しかし、もしそうなら、おそらく日本の医療ではああはならない。
明子さんの年齢であれば、認知症よりも癌治療をもっと積極的に行おうとします。
手術など外科的な治療に化学療法、放射線治療や免疫療法など。
フル装備で行っていきます。
夫の兼三郎も息子の関わり方ももっと変わってきます。
癌の告知であったり、手術の同意書であったり
映画の内容も変わってきてしまうでしょう。
明子さんは認知症でなくなったというより、癌で亡くなった、となります。
そういった医療の現実がぼやけて使われている、そこがどうしても
見終わった後に気になってならなくなったのです。
そこのリアリティーが感じられないのです。
汚したおむつ取り外しなんて肉親として悲しいシーンを描きながらも
そこまでに辿り着く設定がファンタジーなんです。
私の知識が乏しく、違う医療の現実があるのであれば
そこを上手に挿入していただかないと
医療の端っこにいる者は「?」と湧いてきた疑問を解消できないままになってしまうのです。
コットンテールは細かい説明を省略法で描くところがあり誤解されがちですが、決して現実離れしたストーリーではありませんね。
病名の説明がなされなかったことで、作り物であると判断されるのは惜しいことです。
現代医学があらゆる病を克服する存在であって欲しいものです。ですが、私の妻が治りにくい病になった時も、親族から「現代医学で治らない病はない」と言われたことがあります。
結局、妻は早期に亡くなったのですが、その2ヶ月後に職場の人の身内もなくなり、私はその人に「病名は何だったの?」と聞いて、その人から「世間で一番多い病気ですよ」と答えられました。身内の人の不幸に興味本位で立ち入ってもらいたくないのでしょうね。それが、わからなかった私もデリカシーがなく、人の不幸を興味本位で聞いているなと反省しました。
私の妻は、パーキンソン病だと診断されたのですが、詳細な病名判断は入院検査が必要で、それを妻は断りました。恐らくもっと怖い病気だであると診断されたくないと思ったのかもしれません。
パーキンソン病で早く亡くなることはないようですが、本人の体の自由が利かなくなるし、入浴や排泄も不自由ですし、家族の介護が大変でかつ、それが長期間続くので大変な病気と言えます。
勝手な私の推測では、早期に亡くなった妻はパーキンソン病ではなく、多系統萎縮症ではないかと思っています。その場合は突然病状が悪化することがあるそうで、細かくは書けませんが、そうなったと言うか、どうなっているのか訳がわからない状況でした。妻の呼吸が止まった時は救急車で近くの私立大病院に担ぎこまれましたが回復することはありませんでした。それまで通院してた病院は国立大病院です。亡くなったあとその通院していた国立大病院に行くと「入院検査はしなかったが、症状的にはパーキンソン病かと思う」と若い医師に言われました。
以上、いろいろ細かく書きましたが、まずは現代医学が様々な病への挑戦をやめないで欲しいです。
そしてコットンテールは身近な体験がないと共感されることがない可能性がありますが、私に取っては、かけがいのない映画、身に染みる映画であり、観終ってかすかに希望を感じさてくれました。感謝の気持ちしかないです。