恋する遊園地のレビュー・感想・評価
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感想
官能的で幻想的なシーンが多くて、ファンタジーぽかった。
機械を好きになると言う話がそもそも非現実かもしれないけど、この話の発想の元は、エッフェル塔と結婚した人の話らしいからほんとにある話。
人に例えると簡単にわかる、人の恋愛に他人が口出すなってことを忘れて、機械を好きになるのはおかしいとつい言ってしまう。
機械を好きになると言うのは共感できないけど、私の共感はいらない。
人が人を好きになると言う時、他人の共感がいらないのと同じように。
この映画の場合は、共感だけじゃなく理解も難しい。
ジャンボと意思疎通できるので見やすい。
真面目に恋愛としてみた時、もし両思いじゃなかったら…。振られることもあるかもで、他にもジャンボを好きなライバルとか出たり。
エッフェル塔なんてライバル多そうとか考えた。
途中機械を怖く感じた。
最後、明るい感じで終わってよかった。
エンディングの歌がこの映画の雰囲気を変えていい感じに終わった。
ノエミ・メルランさんは燃ゆる女の肖像で知って、その映画では体が見えないように配慮されてたけど、この映画ではやたら脱いでた。
この映画の雰囲気を哲学的にしすぎないように、恋愛と意識させるために、露出や官能的なシーンが多かったのか。なんなのか。
ポルノまがいのフェティシズム映画
なんともロマンティックな邦題に騙されてしまった。
冒頭から必然性のないヌードシーン、早くも違和感が漂う・・。内容はポルノまがいのフェティシズム映画。ただ女性監督なので官能的ではあるが卑猥さは希釈されているようです。
アメリカ精神医学会の診断基準では性的精神病理としてのフェティシズムとは
・長期にわたる、生命のない対象物に対する強烈な性衝動、妄想、行動が持続、反復する。
・性衝動、妄想、行動により著しい苦痛、または社会的、職業的な障害を引き起こしている。
・対象物は衣服や性具に限らない。
とされている。
主人公は明らかに病的に思えますがマイノリティ側は病理ではなく多様性の問題と言うのでしょう。劇中でも他人に迷惑はかけていないという擁護論もあり面倒な話です。
映画は状況説明にも力を注ぐ、育った環境は母子家庭、母親は悪い人でもないが酒場勤めと言うこともあるのだろう男を家に連れ込んだり性には奔放、そんなこともあり主人公は人付き合いが苦手、心の癒しは子供のころから通った遊園地の遊具というのも単純明解。
何故というか、あえてこのようなテーマを選んだのだろうか、LGBTはじめマイノリティの性の多様性を叫ぶ声は大きくなっているもののまだまだ世間からは色眼鏡で見られがち、そこで人ではなく遊園地のマシンに暗喩、ファンタジーぽさの力を借りて多様性認知のアピールということでしょうか。
遊園地ものなのでファンタジックかといえば滴り落ちるオイルなどシュールな映像表現が性的なものを匂わせすぎなので気味の悪さの方が先んじています、稀有な作品とは思いますが倒錯ものは苦手です。
他人に迷惑のかかる恋愛は嫌い
もっとファンタジー感があっていけるかなと思ったんですがダメでした。
性欲というリアルは盛り込むのに客を乗せる大型遊具が夜な夜な誤作動しているのに作業員は色ボケでまともに点検していない、という印象が抜けず安全とは…と白けてしまいました。あの描写全てが彼女の妄想という見方が正しいのかもと終わった後に思いましたが、見てる最中はひたすらモヤモヤしたのでこの評価です。
性的指向は自由ですが対象が何であれ真昼間に半裸で縋り付いてたら普通に警察案件だし、動いてる遊具に飛びつくのも非常識です。
作中で「(機械が好きだからと言って)その事で誰かに迷惑をかけたか?」というような台詞があるんですがかかってるように思えましたし「恋愛で追い詰められてたら周りの赤の他人に迷惑かけても責められない」という描写が嫌いなので「恋愛の対象が何であるか」よりもそう言った描写が性に合わなかったです。
脱ぎっぷりの良さ!!
とにかく、いろいろな意味でふり切れた映画でした。
先ずジャンヌ役のノエミ・メルランの脱ぎっぷり!
フランス人はあんまり、ブラジャー着けないんですよね?そう、着けてない!
辺りをうかがって、サッとTシャツを脱ぐと、小ぶりですが形のいいおっぱいがポロンですf(^_^;
ジャンボと愛し合うシーンはエロチック・ファンタジー。画面いっぱいに裸の彼女が黒いオイルにまみれます。真っ白い肌に粘度のある真っ黒なオイルがとろ~りと、不思議なエロチックさです。同じフランス映画『アデル、ブルーは熱い色』を思い出しました。
そして、お母さん役のエマニュエル・ベルコ…見たことある女優さんだなぁ…なんと、『バハールの涙』の独眼の戦場記者役の人なんですね。真逆の役所で、あっちは戦場にいるんだから、女の片鱗も見せない(いつ死んでもいいように、確か、下着はラ・ペルラ=フランスでは最高のブランドを身につけていましたが…)。こっちはセクシー爆弾、エロ炸裂って感じで同じ女優さんとは思えない。おまけにカトリーヌ・ドヌーブの新作『ハッピー・バースデー』では、セリフの多い、少し病んでる長女役も演じてます。
物語はジャンヌが遊園地の新しいアトラクション、ムーブ・イット=ジャンボを人と同じ様に好きになってしまうが、新任のマネージャーがジャンヌにちょっかいをかけてくるのだが、迷惑そう。自分でも人でもない遊具を愛するなんて、異常だと、頭では理解しているけど、行動が…伴なわない。
やがて母に告白するも、理解を得ず、最後は人気の出なかったジャンボは取り壊しになる。
次から次に男を替える母に嫌気がさし、人ではなく物に恋をする…ちょっと大袈裟ですが判らなくもない。
機械なのにどうしてジャンボに意志が有ったのか?
新任マネージャーはどうしてジャンヌを好きになったのか?(単に裸を盗み見しただけで好きになるとは思えない)
色々と細部を気にしなければ、かなり面白いと思います。
ジャンボに萌ゆるジャンヌ😁
「未知との遭遇」的な深光景を放つ遊園地のアトラクションの予告編に興味を持ちの鑑賞…
そのアトラクションに恋をする女性という奇想天外のストーリーに前半はやや居心地の悪さを感じておりましたが
真夜中の遊園地に忍び込んでみたくなる感情が中盤から湧き上がり…段々とその不思議な魅力に引き込まれて行きました
内向的な変わり者、主人公ジャンヌ
その母親との関係が森を抜けたちょいとサビれた立地にある遊園地の雰囲気に妙にマッチしているのが中々面白い
母親の新恋人が人間味豊かな人物であった事が救いだ!
この母娘の関係が今後、上向きに引き上がって行くに違いないと…無邪気な笑顔で悪ガキから逃げる3人を見ながら確信出来たなぁ⭐︎⭐︎
…今だに脳裏にオイルがこびり付いてる様な後味感が消えない…昨夜もジャンボが夢に💦
おい!アンタが萌えてる?な
異種独特な体感観を試しに行ってみませんか?
そして「燃ゆる女の肖像」でも独特な雰囲気を表現したノエミ・メルラン
今回もオイルまみれのアートフルな斬新なシーンで見せて!魅せても!くれました
今後フランスを代表する個性派女優に進化してくれる事でしょう!
個人的には、「アメリ」みたいなコメディ作品の彼女を観てみたいなぁ😊
人間の愛に共鳴する機械のオーガズムを表現する映像は・・・・
昔、「母原病」という本が売れました。
母親の過干渉による子供の神経症だったような気がしますが、ジャンヌの場合は性的に奔放な母親に対する反動が原因なのかなと思いました。価値観が違い、なにかと気が合わない母娘。ただ、血は争えないなと思ったのは、感情の起伏が激しいところ。母親役のエマニュエル・ベルコは何度か見た気がしましたが、「バハールの涙」ぐらいしか共通する映画はありませんでした。もしかしたら、小学校の同級生の萩原くん(かっちん)の色っぽいお母さん(スナックのママ)が似ていたので、アタシの潜在意識を呼び覚ましたのかもしれません。
ノエミ・メルラン出演映画は4作品目でした。
遊園地の遊具に恋する描写はいったいどんなものなのか?予告編ではなんだか手術室のライトのような感じでした。電動遊具の光に照らされて、一人で裸になって「にょもにょも」するのかなぁぐらいは想像できましたが・・・JUMBOの流す黒い液体にまみれる妖艶な美しい姿態に酔いしれました。ノエミ・メルランの脇毛やうぶ毛まではっきり見えました。感謝感謝。燃える女の肖像も良かったですが、こんなにも倒錯した愛情を表現するノエミ・メルランにヤラれてしまいました。
最後はトントン拍子にエンディングに向かってしまい、ちょっと拍子抜けでした。JUMBOが超重綱ロボットに変身して, 地元の不良どもにお仕置きするのかなと思ったんですけどねぇ。
ともかく、この映画に恋したのは一観客であるアタシであることは間違いないのでありました。
理解はできない。でもとやかく言う権利もない。
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遊園地で働き始めたジャンヌは、遊具のミニチュアを作るのが大好きで、ついには新しいアトラクション「ムーブイット」に恋してしまう話。
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この話、実際にエッフェル塔と結婚した人を元に作ったそうで、代物性愛者って言って世界に数十人はいるらしい。
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正直この映画を見ても私はものに恋する気持ちは理解できない。でもこのアトラクションに恋することが他の人と違うジャンヌの個性で当人からしたら当然のことだと考えれば、ジャンヌの気持ちは理解できるし誰にだってそういう個所って1つはあると思う。
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例えば私だったら、「年間300本近く映画を見てること」。私にとっては1日1本映画を見ることは普通のことだけど、大多数の人からしたら異常なことなんだろうと思う。
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でも逆に言えば、インスタとかSNSを何時間も見てることは私にとっては異常。だからってその人達を責めようとか気持ち悪いとは思わないし、逆にそこまで人の事に興味があることはすごいことだと思う。
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ジャンヌだって、アトラクションが好きだからこそ掃除を丁寧にするし、皆が知らないアトラクションの魅力をわかっててすごいことだと思う。
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マイノリティの理解はできなくたって、ちょっとは自分に置き換えれば少しはその人に寄り添える。ちょっと個性的な自分の習慣は?趣味は?言動は?絶対誰にだってある事だし、それがない人って全く魅力がない人だと思う。
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マイノリティの人はいつだって多数派の人に責められるけど、マイノリティの人が多数派を責めたことはあるんだろうか。
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ジャンヌのお母さんはジャンヌのことを責めたけど、実はジャンヌのことを1番理解してたのがお母さんの新しい彼氏だったことが、結構よかった。
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病気なのか、理解すべき恋愛の一つなのか
主人公のジャンヌは遊園地のスタッフとして働く。その遊園地内の一つのアトラクションに恋をしジャンボと名づける。
この恋というのは人間同士が恋愛するのと同じでジャンヌにとってジャンボは恋愛対象であり性的な興奮も覚えている。
彼女の母親、同じ遊園地で働く同僚はそれを病気だと非難否定する。
物に対して人よりも愛着心が湧く、抱く自分ではあるが流石に恋愛感情まで生まれる経験は全くない為驚かさせられた。
当初はもちろん僕もジャンヌを病的な存在として見ていたのだが、この作品の面白いところはストーリーが進むにつれてジャンヌのこの恋愛を理解したくなり、最後は一定のところまでは理解している気持ちに変わっている自分がいた。
この変化はジャンヌの母親も同じだった。当初は病気だとジャンヌを強く非難否定していた。時には武力行使にもでた。ただそこには不快感は覚えない。母親であれば心配からくるこれらの言動行動は十分に理解できる。
もちろん最後もジャンヌの気持ちの全てを理解する事は僕もそしてジャンヌの母親もできていないだろう。最後の結婚式でも母親とジャンヌの表現の違いは多々あった。
この変化はなぜ起きるのか。ジャンヌ役の女優さんの迫真の演技によりジャンヌの思いが本気である事が伝わるからであろう。
やはり人は本気である相手に対して非難否定はしづらくなり、そこから少しでも理解しようとする気持ちに変わるのはよくある事だ。この作品でいえばジャンヌの姿もまた同じ事がいえる。
ただ全ては理解できていないのも事実の一つ。冒頭の時と鑑賞後ではもちろんジャンヌへの理解は全く違うものとなったが、やはりジャンヌの生活環境は特殊である。
父親はおらず、一緒に過ごす母親は男を取っ替え引っ替えしている生活を送っている。
その様な特殊な環境下で育ってしまうとやはり拗らせてしまう例も沢山あるのも事実だ。
ジャンヌの感情が拗らせた故の生まれた感情とまでは言えないが、その辺りの背景も見てしまってる以上ジャンヌの気持ちを全てを理解したとは残念ながら言える事はできなかった。
LGBTは立派な恋愛の一つだ、認め合う社会にしようと世界が目指している時代の中さらに先をゆく物への恋愛感情を理解しようというのはまだ時代が追いつけないのではないか。
ただこの作品でも描かれていたように、人に迷惑をかけないのであれば人と違う事を頭ごなしに非難否定するのではなく、相手の気持ちをこちらも真剣に聞き少しでも理解しようとする姿勢は大切なのだろう。
それはおとぎ話を信じてる人や、幽霊などを見える信じる人と根本は変わらないのかもしれない。
この作品の様に自分の感情や考え方が最初と最後で変わるのはとても興味深く、そして貴重な時間を過ごせた。
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