「エロ・グロ・ナンセンス... 昭和初期の文化的風潮」ファブリック Puti Nakiさんの映画レビュー(感想・評価)
エロ・グロ・ナンセンス... 昭和初期の文化的風潮
You who wear me will know me
超自然的な力を備えていると信じられる人間が造った物品で、普通の製作品を凌駕する、圧倒的に大きな超自然的な力を備えるもののことであり古くは宗教的な意味もあるフロイトに代表される精神分析の議論においてさらに深く展開するフェティシズム... 性対象の不適当な代理としてフェティシズム(fetishism)があり,この場合,性的対象の代理として,性的な目的にとってふさわしくない身体部位(足,毛髪),性の対象である人物との性愛の関係が証明される無生物(衣類,下着)が選ばれる... ここでは鮮紅色(せんこうしょく)である動脈の血と同じドレスの色
この映画は1970年代の活気に満ちたジャッロ映画、イタリアのジャッロの伝統の中で『血ぬられた墓標(1960)』のマリオ・バーヴァ監督、1975年の映画『サスペリアPART2』のダリオ・アルジェント監督など60年代から80年代頃までのジャッロ映画のオマージュとしてピーター・ストリックランド監督は映画に臨んだと聞く。
呪われた、殺人狂の鮮紅色のドレス...
1950年代のイギリスでの悲劇的な一群の反体制的な若手小説家や劇作家、いわゆる「怒れる若者たち(Angry young men)」とシンクロした動向であるキッチンシンク・リアリズムであり消費者風刺のこの不気味なブレンドは、それを身に着けている人の人生もろとも地獄に落ちていく。
この映画は主に二部構成のアンソロジーになっている。
1970年代のイギリス、銀行ではマイクロマネジメントの上司の監視下におけるシングルママのシーラ。家に帰ればバカ息子が年上の女とイチャついている。そんな恵まれない彼女も赤いドレスでブラインドデートに挑戦するが...
後半は洗濯機の修理屋のスピークスと奥さんと赤いドレスと織りなす恐怖となっている。前半のシーラの話が分かり易く、後半は、監督の独特なシュールレアリスム感が理解をするのを阻んでいる。
監督は、1993年の設定と言っていたが、本人がそういうのだから間違いがないにしても赤いドレスを売る店員たちがビクトリア朝時代の喪服をきていたり、留守番電話の古さやテレビがブラウン管であったりとはっきりとした年代はつかめないモノとなっているし、こだわらなくてもいいのかもしれない。
それでもストップモーションの一種であるフリーズフレームショットなんかを取り入れているあたり、この監督さん、結構洒落ている。
chic menstrual tasting
赤いドレスを売るブティックの販売員ミス・ラックムーア... この映画ではカツラを被り、ズルッパゲで異彩を放ち、差別的発言でした失礼。加えておぞましいシーケンスとして、生理中?のダミー・マネキンの生理の血⁉を舐め、それを見ているブティックの老醜プンプン放ちまくりのオーナーは自慰行為からの精液発射... そんな書くのも恥ずかしくなるような場面なんて、ある意味無謀のようにも思えるけど、案外と世間の受けが良い?
またスピークスの妻バブスが帝王切開でもうけた赤子が赤いドレスを着て生まれてくるなんて⁉しかも生まれて間もないのにも関わらず中指を立てるって、アリ?... 一瞬、超ゲテモノ過ぎるようにも映るが...
グロス・ホラー映画である本作品... 色、音、質感の歓喜の祭典であり、抽象化のポイントにほぼスタイリッシュでエロティックなフェチ化されたサディズムを大胆に描いたと言えるけどハッキリと言うけど、こんな映画って、人好き好き⁉
ストリックランド監督が Vulture のインタビューに答えていた。
「私にとって、映画全体は非常に論理的です。人々はそれを奇妙だと呼んでいますが、私はそれを奇妙だとは思いません。超自然的な-ええ、それは不条理な要素です-しかし、その周りのすべてのものは、私たち全員が経験したことの誇張です。」あんた、分かっていらっしゃる!
ラストのオチは理解するのが人にとっては簡単な事かもしれないけど、個人的には非常にむつかしいものになっているので、この映画の好き嫌いは"ラストのワンシーンで決まる"と言えるかもしれまない。 そんな古典的でもあるキショイ、ジャッロ映画でした。