「着地点」映画 太陽の子 R41さんの映画レビュー(感想・評価)
着地点
善も悪もない。
この作品から感じる「概念」
太陽から連想する核分裂
それを探す研究者たち
一方英語から感じる神からの贈り物である火
問題は、その使い方なのかもしれない。
さて、
比叡山から原爆を見学したいという純粋なシュウの思いは、科学という名の狂気を表現している。
シュウは何も気づかないうちに、それがあるべき姿だと信じて疑わない。
そしてあの長い尺を使ったおにぎりを食べるシーン
弟が部隊に戻る時と同じ弁当
しかし見送りなどはない。
母がおにぎりを握るシーンがあるが、そこに込められた母の思いが母の手を伝いおにぎりに注がれているのがわかる。
そのおにぎりを食べながら見えてきた母の思いが、次第にシュウの心に届いて行く。
京都が、人が、すべてが消え失せる光景
やっと気づいた科学の狂気
転がるように下山するシュウ
聞こえてくるセツの声
何故セツはシュウを呼びに来たのだろう?
最後にシュウは誰かに英語で語りかける。
その英語は物語の途中にも挿入されている。
科学の言葉
あれは、アインシュタインだったのではないのか?
彼の理論を追いかけていたシュウは、科学そのものに憑りつかれてしまう。
シュウはアインシュタインに広島の現状について「こんな結果を予測しましたか?」と問いかける。
つまりこれが科学のしていることだと。
シュウの問いかけにアインシュタイン、または科学者の代表は「これは結果ではなく科学進歩の過程だ」という。
「破壊は美しい」 恐ろしい言葉
これはシュウがセツに話したきれいな緑色の光と呼応する。
ピカドンの光
そして「これはだれにも止められない。今までもこれからも続く」
「科学は人間を超えてゆく」
アレンジされたアインシュタインと科学の言葉だと思うが、その言葉には母の手から出る温かいエネルギーは一切感じない。
でも、それも人間たる所以で、一側面なのだろう。
最後に三人で一緒に海にいるシーンがあるが、あれは、もし戦争がなかったらの世界を表現したのだろう。
無邪気な子供 その子供たちが「早く結婚して子供をたくさん産んでお国に捧げたい」などという狂気の言葉に対する真逆の描写。
「そもそもこの戦争は何故始まったのか?」教授の言葉 エネルギー問題
だが、
実際エネルギー問題の解決で戦争がなくなることはない。
覇権が利権に変わり、今では企業が戦争に介入している。
この物語では科学と狂気をモチーフにしているが、資本主義も共産主義も狂気に違いない。
シュウにはアインシュタインの言葉に対する大いなる疑問がが浮かんでいる。
この疑問こそがこの作品の着地点だったのだろう。
善も悪もない。
それは確かにそうだ。
しかし科学はすぐに盲信する。
それは行き過ぎた資本主義や共産主義と同じ。
科学だけに特化して言えば、「母の手から出るエネルギーの謎を解き明かしなさい」と私は言いたい。
なかなか面白い着地点だった。