「また一つ、アンモナイト映画の傑作が…」アンモナイトの目覚め cmaさんの映画レビュー(感想・評価)
また一つ、アンモナイト映画の傑作が…
そこに行き着くしかないエンディング。悲恋か、幸せの兆候か。思い出すたびに真逆の思いが浮かび、心がざわめく。アンモナイトを挟んで対峙する2人の姿が、とにかく美しいということだけは、揺らがない。
荒涼とした海辺で、アンモナイトを日々掘り出すメアリー。泥にまみれた仕事を終え、ごつごつとした身体をさらす。感情を押し殺し、心の奥底に抑えつけている分、彼女の振る舞いはひどく無防備だ。(アカデミー女優のこんな姿を見ていいのか、と躊躇われるほどだが、有無を言わせぬ迫力がある。)年老いた母と2人、単調で閉塞的な毎日を送っていた彼女の前に、華奢で可憐なシャーロットが突然現れる。当然、相容れない真逆のふたり。そんなふたりが心を通わせ、少しずつ距離を縮めていくほどに、上り詰めた後の行く末が気掛かりになってしまう。属する世界の違いすぎるふたりが、共に目指せる、共存できる場所はあるのか。
相手に心を寄せたぶん、互いを受け入れ共有しようとする。そんな心の動きが、本作では視覚から伝わってくる。重苦しい黒いドレスに丹念な巻き髪で登場したシャーロットが、次第に襟ぐりの大きい明るい色のドレスを軽やかに纏うようになる。さらには、綿のシャツにロングスカート、髪は編み込みでざくざく浜を歩く。一方、シャーロットを訪ねていくメアリーは、彼女なりに精一杯の身支度をするが、メイドに一瞥され、素っ気なく勝手口を案内されてしまう。何とか美しい調度品や蝶の標本で飾られた部屋に通されても、所在なく立ち尽くすばかり。再会に胸躍らせるシャーロットとの溝が、痛々しく伝わってくる。
人には、様々な面がある。関わる相手によって見せる面が違うし、その相手が見るものも微妙に異なるだろう。出会う場所、出会い方が別物であれば、と思うことは日常にあふれている。仕事上の付き合いでなければ、年齢がもっと近かったら、今ではない時と場所ならば。そんなことを考え始めると、自分は相手そのものをどれだけ知っているのかわからなくなっていくし、自分の相手への思いにも、確信が持てなくなってしまう。
そんな危ういふたりをしっかりと繋ぎ、互いへの眼差しに確信を与えてくれるのは、物言わぬアンモナイトだ。メアリーは、海を離れてシャーロットの許に身を寄せることはできない。シャーロットもまた、夫との生活を捨てることはできないだろう。けれども、アンモナイトを掘り出し、アンモナイトに見入るたび、ふたりは互いへの想いを確信するに違いない。
様々に進化を繰り返しながら、現代まで生命を繋いできたアンモナイト。彼らは、複雑かつ不可思議で、力強く、美しい。
(「東京公園」を久しぶりに観てアンモナイトが題材に使われていたことを思い出した直後に、たまたま本作を観た。当然、揺るがぬアンモナイト映画「勝手に震えてろ」も思い出され、また観返したくなった。)