秘密への招待状のレビュー・感想・評価
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心残り
感動作…なのかな?
なんとなーく感動的な要素は散りばめられてはいるものの、女社長の身勝手が目立つ。
自身は病によって死を宣告されてはいて、死後、残された家族の平和なのか幸せを願っての行動ではあるのだが…中々に傲慢だ。
彼女の選択がベストであろうとする要素は色々とあるものの、どうにも共感しきれずにいる。
母親って立場の人が観ると違う感想になるのかもしれないなぁとは思うけど。
巻き込まれた実母は、緩やかに今後の生活に馴染んでいくのであろうと思う。
元々、孤児院に勤めるくらい子煩悩な側面もあるし、生き別れた娘とも交流できるのであろう。
何年かかけて、幸福に辿り着く。
そん時に、今の彼女の強引さに感謝するのかもしれない。
ある意味、予告で予想した通りの結末ではあったものの…もう一工夫あっても良かったような気がする。
いずれにせよ、人生という長い坂道では、その時々の判断が是か非なのかは、即座に答えは出ないし、それが是になるように生きていくのだろうなぁと思えた。
なんだか、あっさりしすぎているんだよなぁ。
予告編見た時はサスペンス?とおもいきや、あれれ?ちがうやーん展開の本作です。
母とは?親子とは?をテーマにしたヒューマンドラマ・・・でしょうか?
お話序盤は「ん?何?何?」って感じで展開はどーなるのかな?って感じで興味をそそるのですが、お話が進むにつれて、なんだかどうにも「秘密」の無理くり感を持ってしまい、いまいち入り込めませんでした。また、すごーーーく入り組んでいる人間関係を描いているのですが、結構あっさりお話が進んでいく感じもちょっとなぁ・・・って感じでした。
僕はこのお話のテーマは好きです。
訳あって親子になれた人と、なれなかった人。その二人を通して描く「親子とは」「母とは」「家族とは」というアプローチは好きです。そして、この複雑な因果ある人間関係。非常に興味深いです。
ですが、妙なサスペンスタッチの描き方が、そのテーマを薄めちゃっているんじゃないかなぁ?って思うのです。
それと、テレサの気持ちの描かれ方が少ないので、話を回すキーパーソンであるはずなのに、嫌な人にしか見えないという残念さ。
僕はひねくれているので、このテレサいいとこ取り感がどーにもしっくりこなかったのです。
あまりにイザベラがテレサの当て馬過ぎて気の毒なほどです。
故にテレサの壮大なサプライズ作戦が傲慢に見えてしまうのです。自己満足のためじゃん全部!って。これを言っちゃぁお終いなんですが、テレサが選んだ方法しかなかったのかなぁ?って思っちゃったんですよね。ま、その方法を描くからこそ物語になるんですが。
ぜーんぶ、とにかくぜーんぶの人の心を掻き乱しておきながら、その告白でチャラになるって、、、
安易過ぎないかなー?って思っちゃったんですよね。確かに重大な内容ではありますが。
その方法を選ばざるを得なかった理由を見つけることができなかったです。僕には。
テレサの愛情が深くなった理由が知りたいし、連れ子からも愛されるほどになった理由も知りたいのです。イザベラも愛情が薄いわけじゃないし、きっと孤児を育てていく上での愛情の掛け方の悩みなどもあったはず。
「愛情の注ぎ方、親のなり方」ってところを人物像から描いて欲しかったなぁって思います。
もちろん、僕が読み取れていないのかもしれません。
木から落ちた巣を拾った者が巣の中の卵を育てる。
親鳥は落としたくて巣を落としたわけではないだろう。
きっと断腸の思いで卵を諦めたであろう。
そんな描写があるんですから、その辺りをもっと深めて欲しかったなぁ。
願わくば、テレサは金をたくさん使ってイザベラに何らかの罰を与えたかったけど、落ちた巣を手にした時に、何かに気付きイザベラへの対応を変えた・・・・という裏のストーリーがあるといいなぁって思いました。
もっともっと面白くできた作品なんじゃないかなぁ?
リメイク映画らしい
ハリウッドリメイクらしくレビューで酷評している方がいるのでそちらを参照でw
この作品私が観に行く時で星1.9だったので
最初いくの止めようかとも思ったのだが
他人の評価に流されるのはいかんな、自分の気になった作品を観て
自分で評価しなくてはいかんと思い直し鑑賞してみた
個人的には星がそこまで下がる理由は見つからない感じだったな
ただ言わさせてもらうと
主人公が子持ちの人には見えない感じだったなぁ
だから子供とハグしても違和感があった
それ以外はあまり気にならなかったかな
この映画前情報一切なしで観たんだけどそれが丁度良かったかも
もしまだ観てない方が居たらここまでで鑑賞して下さい
そしたら評価違うんじゃないかな?
個人的には今回の事で口コミの評価はあてにならないなって思いました
物語が展開していき何故大金を寄付してくれるのかがわかった時
とても味わいがありました
最後のジェイがNYに行きたくないと言った言葉に
子供も意思があり親であっても尊重してあげなくてはいけないと言う事実を
提示してて素直にいいと思ったな
この映画の評価下げてる方にはリメイク前の作品に対する愛情もあるんでしょう
俺もバニラスカイ見た時は何でトム?って納得いかなかったからわかります
正直ハリウッドリメイクはいらない感じあるもの
でも、知らないで観たらそこまで悪くなかったよ
俺が言いたいのはそれだけ
なかなか味わいがあって良かった
邦題に一番騙されました(笑)
見事な邦題です。予告編とタイトルに騙され?てサスペンス物と思い楽しみに鑑賞しましたが、原題の「アフターウェディング」のごとくの人間ドラマでした。でも確かにそのタイトルがやり過ぎかというと決してそうではなく、全くその通りなのです。
本編についてですが、ミッシェルウィリアムスの仏頂面のごとく終始感情を押し殺した表情があまり好きになりませんでした。
事態が何の前触れもなく急に進む展開が多く、予告編にある第一と第二の秘密を知った時も、その後の第三の秘密が明かされる時も、サラッとした演出で意外性に重点をおいてないということからもサスペンスではなくヒューマンドラマの趣きでした
1つ1つの決断は大きいのにあっさり感じる
M.ウィリアムズ演じるイザベルはインドで孤児院で働く。ある日支援者から直接交渉したいとの事でニューヨークに渡る。
その支援者がJ.ムーア演じる女社長のテレサ。イザベルは1日でも早く話を纏めてインドに戻りたいのだが、ムーアは後回しにしようとしそれ以前に娘の結婚式に招待する。ここでこの作品のタイトルにある秘密への誘いが初めて行われる。観てる方も明確に伝わる。
その結婚式でイザベルはやたらとテレサの旦那のオスカーと気まずさの描写を強く描かれる。
これはオスカーとの間になにかあったなぁ…孤児院で働いてる経緯も考えるとまさか娘の実の母親なのかななんて疑いながら観ていたら案の定その通り。
テレサの娘であり結婚式を挙げたグレイスは血の繋がった娘ではなく、オスカーとイザベルの間に授かった娘であった。彼女が18歳の時に授かり金銭的にも人間的にも育てる事は困難だと判断し孤児院に送る事で2人の間で了承を得ていたのだが、オスカーがイザベルに内緒でその後グレイスを引き取り今に至っていたらしい。
もちろんその勝手な判断にイザベルは怒り、娘のグレイスもイザベルの存在を隠されていた事に怒る。がその辺りはあっさり描かれグレイスとイザベルの関係もスムーズに進む。
そうなると今度はテレサの存在が怪しい。これらを知った上でイザベルを呼んだのか。呼んだのであればなぜ呼んだのか。今後自分の会社を手放す説明などもあった事からまさか寿命が近いのかなと疑って観てたら案の定その展開。
テレサは大病を抱えておりこの先の治療を拒みこのままこの病気で命終わる決断を既にしていた。それらの背景もあって、イザベルを呼びグレイスそしてオスカーとの間に生まれた双子の子供たちの親代わりになってほしいとイザベルに願う。そのため孤児院に多額の基金を寄付する代わりに経営も兼ねてイザベルにはニューヨークに滞在してほしいと交渉にでる。
当初はイザベルはその条件に怒りを覚えたがその描写も濃く描かれることはなく少しした描写ではニューヨークに滞在する決断をする。
そしてテレサは天国に行きこの作品は終わる。イザベルが母親代わりになる決断をしたかは不透明。
予告ではもっとミステリアスな展開を期待していたがその様な感じはなかった。タイトルが秘密への〜なんである限りやはりこちらもそのように構えて観てしまったこともあり殆ど読めた展開で残念感は否めず。
また各々の登場人物たちが特殊な環境に追い込まれ、それぞれが人生のターニングポイントになろうであろう大きな決断を下していくのだが、その決断があっさりと感じてしまう描写ばかりに感じてしまった。
まぁこの作品自体秘密を明かしていくのがメインとなるストーリー展開なんだろうけど、それを主として見るにしては上にも書いた通り読めた展開ばかりで物足りない。
読めてしまい物足りなさは感じてしまうが、同時に想像していている展開に進むのは最低限楽しむ事は一応できる。
今作もキノフィルムズが配給会社となる。
会話劇がメインな展開あたりも全体的に、キノフィルムズらしい作品ではあった。
辛らつすぎますか?
I'm not coming back without a suitcase full of money.
本作品『秘密への招待状』のオープニング・シーケンスを見たとたん... インドの宗教施設の真上を通るドローンによる空撮から、カメラは子供たちと一緒になって瞑想をする一人の女性を捉えている。髪は300~500ドル程マンハッタンでは掛かりそうなパツ金のショートヘアーは丁寧に刈られ、手入れの行き届いた爪にそれを輝かせるように彼女の肌は、透き通るほど七難を隠し、日焼けの日の字もない。 ここはインドなのか⁉
そんなイザベラの容姿は別として、宗教施設の真上をドローンを飛ばす、神経の細かさの無さには、一事が万事という事。それは宗教を知らず、理解できない自身だからこそ、違和感を感じてしまう。
この映画『秘密への招待状』は、デンマーク出身の映画監督スサンネ・ビアによる2006年公開の映画『アフター・ウェディング』のリメイク映画で... 久しぶりにデンマーク映画界にオスカー外国映画賞ノミニーをもたらした映画として、それにふさわしく主演のヤコブをデンマーク映画と言えばこの人...「北欧の至宝」と呼ばれ、また映画の功績からフランスと本国デンマークから勲章を受賞しているマッツ・ミケルセンが演じていた。
次のプロットでは... これは差別的なシーンなのか、考えさせられる。
本作『秘密への招待状』では前作にあたる『アフター・ウェディング』とジェンダーの設定を真逆にしている。つまり入れ替えている。
ヤコブ(男性)➡イザベラ(女性)、ヨルゲン➡テレサ、ヨルゲンの妻ヘレネ➡イザベラの夫オスカーというように
そんなヘンテコ演出の一例が... 2006年の映画では、貧民街でヤコブがトラックの荷台から食事を配るシーンで息を切らせながら群れのように集まり、皿を差し出す人々に彼は必死になって配食をするのが精いっぱいで、多くの人がありつけず彼は髪を引かれるようにその場を後にする。本作のイザベラはマイペースに配り、緊張感のかけらもなく、施設までの帰り道でゴミくずで臭ってきそうな貧民街を舐めるように映す前作とは違い、その大事な部分を本作は全てカットしてあっさりと描いている。
Is it because the houses are far apart that the people are far
apart? 2006年の映画より...
映画としたら、過剰なアメリカの富が第三世界の貧困に対して一見して無関係であるように映り、さらには第三世界の貧困に対する主要な解決策となる金銭的な援助を申し出るヒューマンドラマと見えるかもしれないが...
バート・フレインドリッチ監督の映画製作には、情報を慎重に精査した描き方をしていて、奇妙なほど穏やかなシチュエーションのビジュアル化をし、また、重圧的なプロットが映画を象徴しようとすると逆に彼の自意識過剰な性格からか観客を遠ざけるために観客と映画の間に距離を置いてしまっている。
映画全体がフロイトが提唱するスーパーエゴだらけの登場人物の自己欺瞞の為に否が応でも感傷的で甘ったるくて、その過剰な優しさが映画を見ていくにつけ鼻につくようになり、また吐き気を催すような演出となっていく... 言い過ぎです。失礼
その表れが...
二人の子供が出てきたとき、てっきりジュリアン・ムーア演じるテレサの8才になる孫と思っていたら、彼女の双子の息子たちって、まさかのエ~ェ!!! 双子だし、生理学的に無理だし、旦那役のビリー・クラダップは8才年下だし、イザベラ役のミシェル・ウィリアムズにいたっては、ギャップが20才だし、何よ!? だから無謀な若作りをしちゃっているのね! 言い過ぎです。 またまた失礼
映画も80分を過ぎようかとした時、ジュリアン・ムーアが事のてん末をイザベラに告白する場面になると... この映画そのものが、スーパーエゴの塊のいい子ちゃんを描いている、あたかもジュリアン・ムーアのパーソナルPVと化し、すなわち彼女自身を持ち上げる為の "ads" 的映画になってしまっている... それもそうだ、何故って?何故って! この映画『秘密への招待状』の製作・脚本・監督を務めたのが誰あろうジュリアン・ムーアの現在のご主人のフレインドリッチ監督という事。
Every acquaintance, every friend, every person who has a
place in your heart, it is the time with them that really
means something. Nothing else matters.
ヨルゲンの妻ヘレネをイザベラの夫オスカーに変更したことで、この映画がバイオロジカル・マザーの設定を放棄したことで話がおかしくなり、その上にツジツマが合わなくなり、映画自体がチンケなものになっている。
母性の表現は性差別に繋がるのか? ...疑問アリ
Why Are Films Failing The Bechdel Test When TV Has Progressed? 世界的最先端ファッション誌で知られる VOGUE の2020年7月の電子版の見出し記事より
この監督さんは何故、自ら映画を台無しにしたのか?
ベクデル・テストという簡単に言うと映画の中で何人の女性が台詞や登場人物として出演しているかをジェンダー・バイアスについての度合いを調べる事。
ジェンダー・バイアス: 社会的・文化的性差別あるいは性的偏見の事。
いま日本でのタイムリーな話題そのもののと言えるかもしれない。
ベクデル・テストに失敗して映画公開を見送られるのを回避するためにジェンダーを入れ替えたとされているけど本作をご覧になれば、その体たらくぶりはジェンダー・バイアス以前の問題だと思える。
先日鑑賞する機会のあったジャッロ映画『ファブリック(2019)』にジル役で出演していたシセ・バベット・クヌッセンが前作『アフター・ウェディング』ではヨルゲンの妻ヘレネに扮していたけど、実の娘の結婚式とは知らずに結婚式会場で元妻のヘレネを見つけたヤコブが、凝視をし睨みつけている後に一筋の涙をマッツ・ミケルセンが流す場面は、見ているだけでも心の冷たいあたしでも胸が張り裂けそうになり、その会場を後にしたヤコブの後を美人さんが追いかけるのは良いけどヤコブが無下に誘いを断るシーンは20年の時を経ても未だに彼女のことを愛している象徴的で感動を呼ぶものとなっている。
シュガーコートで包まれた映画を見る大前提として言えるのは、そして本作品を楽しみたいココロがあるなら、前作のマッツ・ミケルセン主演映画『アフター・ウェディング』を予告編ですら見るのを諦めたほうが無難だと忠告をさし上げる。
余計なお世話さまってか⁉ そんな映画です。
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