キネマの神様のレビュー・感想・評価
全281件中、1~20件目を表示
志村けんさんへの思いだけで代役を快諾した沢田研二に、ただただ喝采
山田洋次監督にとっても、忘れられない作品になったのではないだろうか。
志村けんさんという主演俳優を新型コロナウイルスによって奪われてしまい、撮影も折り返し地点にして延期になるなど、先が見えないなかで沢田研二という男気の塊のようなスターが出演を快諾したことで、一気に動き出す。
志村さんにあて書きされたセリフだということを「そんなこと百も承知」とばかりに、沢田は主人公ゴウになりきって作品世界を漂っていく。スター2人の友情を知っている世代であれば、心が揺れ動くこと間違いない。それほどまでに、沢田研二の芝居は唯一無二のものであった。
「お帰り 寅さん」に続く松竹のお祭り的な映画だが、つぎはぎ感は否めない
「男はつらいよ」シリーズの監督として、また「釣りバカ日誌」シリーズの脚本家として、松竹映画に多大な貢献をしてきた山田洋次監督が、同社の100周年記念作品を任されたのはごく当然な流れだっただろう。潤沢な予算に、豪華なキャストが揃い、祝祭ムードに溢れていたであろうプロジェクトが、主演・志村けんのコロナ感染と死去によって暗転。かつて志村と同じ所属事務所で親交のあった沢田研二が主演を引き継ぎ、コロナ禍の逆風に耐えて撮影再開、完成へとこぎつけた。
故・志村けんの“不在”は、たとえば70年代に「8時だョ!全員集合」で志村が大当たりさせた「東村山音頭」を、劇中で沢田に歌わせるというオマージュにより改めて強調されたように感じる。あるいは、へべれけに酔っぱらったゴウを沢田が演じる場面でも、志村ならどう表現しただろうかと夢想してしまう。
原田マハの小説「キネマの神様」は、映画への愛情と家族の機微が詰まった内容もタイトルも松竹100周年にうってつけだが、物語を牽引するゴウと外国人レビュアーとの“映画評バトル”は、小説では面白くても映像化するには地味に過ぎる。そこでゴウが若い頃に映画監督になる夢に挫折したという設定に変更して、菅田将暉がゴウを演じるパートを映画作りの話にしたのだろう。松竹100周年記念作に“映画作りの映画”という狙いは分かりやすいが、原作の設定をある程度継承している現代パートと、映画用に創作された昭和パートのつながりが弱く、つぎはぎ感が否めない。
劇場のスクリーンから演者が飛び出してきたり、逆に観客がスクリーンの向こう側に入ったりといった仕掛けは、バスター・キートン監督・主演作「キートンの探偵学入門」(1924)やウディ・アレン監督作「カイロの紫のバラ」(1985)など古くからあるものだが、どういうわけか邦画界ではこの数年、綾瀬はるか・坂口健太郎共演作「今夜、ロマンス劇場で」(2018)、大林宣彦監督の遺作「海辺の映画館 キネマの玉手箱」(2020)、そして本作と立て続けに使われてもいる。このギミックの既視感も、つぎはぎの印象を強めている気がする。
幾多の試練を乗り越え、コロナ禍の現状まで現代パートに盛り込んで、キャストも物語の内容も豪華でぜいたくだが、フォーカスが絞り切れず散漫になり、一本の映画としては統一感が足りないように感じた。
アップデートを微塵も感じない、山田洋次の感覚
山田洋次の感覚が、
現代の鑑賞者に合わせアップデートされていないのが、よく分かる作品。
昭和を舞台にした作品でも、
平成(1990年代)に作った昭和舞台の作品と、
令和(2020年代)に作った昭和舞台の作品は、
同じ昭和舞台の作品でも、観客の捉え方が違うのではないだろうか。
なので、今風のツラをした、演技力のある役者がたくさん登場してくるのに、
演者が皆、大根役者がいうセリフに見えてしまう。
とてもぎこちない。
「男がつらいよ」は、それがよかったのだろうし、
「学校」では、普通に受け入れられたのに、
「武士の一分」以降の山田作品は、全部何か、ぎこちなさというか、違和感を感じる。
最初から最後まで、古ぼけてるなあと、
最近の松竹映画って、だから嫌なんだよなぁと思ってしまった。
永野芽郁のかわいさだけが、昭和でも令和でも絶対不変な存在なのは痛感した。
志村さんで観たかったなあ!!
コロナ禍、天才喜劇人志村けんさんが亡くなった。志村さんはこの映画の主役に決まっていた。志村さんの死を受けて昔からの友達沢田研二さんが代役を引き受けた。
ということはニュースで知っていました。今改めてこの映画をみて思うことは志村さんで観たかったなあということ。
沢田さんは素晴らしい演技をされていました。でも観ていて山田洋次監督によるこの脚本が恐らく志村さんにあてがきされたものだろうということを感じずにいられませんでした。
沢田さんを見ているのに私の頭の中には志村さんの演技が見えました。頭の中で志村さんの声が聞こえました。
完全に志村さんのために書かれた脚本・映画でした。志村さんが亡くなられたのが今更ながら本当に残念でならないです。
ああ、やっぱり志村さんで観たかったなあ!!
ジュリー
最高だったな
映画を撮る事に熱い気持ちを持った人達の気持ちが最高に良かった!
主人公を演じる沢田研二さんもどこかコミカルでありながら男気あふれる感じが
また、かっこよかった!
古き良き時代のいい作品を今の現在に置き換えられている所がグッときました。
映画の中での作品「キネマの神様」も実際にどんな作品でどんな風になるか見てみたいと思いました
フランダースの犬
どうやって生活できているのか、など、リアリティに欠けたり、現在のお金の価値、わざわざコロナを持ち込む必要あったのか、今となっては既視感満載のシナリオが?、そしてそれやっちゃいます?、など色々ありますが、
様々な既視感と微妙に現実感に欠ける現代パートを山田洋次監督が大きな風呂敷に包んで広げると、ほほう。
俳優陣豪華ですね。
このおじいちゃんは誰?沢田研二に似てるけど、と思ったら沢田研二だった。
ジュリーこんなおじいちゃんになっちゃって。びっくり。役作りなの?本当にいまこんな感じなの? ちょっと、歌も披露します。
ギターうまいやんと思ったら野田洋次郎。
寺島しのぶもオーラを落として普通のおばちゃんみたい、皆様本人感を消す、これが映画なの?
一方で北川景子と永野芽郁はオーラ全開に輝いている。ゴウちゃん色男。
昭和パートとの繋ぎを考えると志村けんさんより合ってる気もするけどどうなのだろう。
志村けんさん当てがきだったとは。
結末がわかっていて、そこに落ちて行くまでの過程を知るストリーは嫌いではないです。
せつないですけどね。
現実的にはこんなお父ちゃんまたは夫絶対に許せない。
ラストのラストのラストシーン🎬は良かった。ラスト手前はうむむむ。
LOSTもラストのラストのラストシーンは良かったのを思い出した。
悪くはないんだが物足りない
湿度が高過ぎる
さあ泣いてください、はいどうですか?まだ泣かないですか?と言われているような居心地の悪さ。山田洋次ってこんなに下手な監督だった?名前貸してるだけ?一番キライな日本映画が凝縮されてました。宮本信子ってこんなにキャリアがあるのに、全然枯れた演技ができないのね。メイクで老けさせてもらったはいいけど、声に張りがありすぎて全然生活に疲れた感がない。寺島しのぶのハキハキ発声のお遊戯演技なに?昭和の映画女優のマネ?でも君は現代パートのほうの役だよ。という感じで、誰も映画のこと考えてなさそう、自分のやりたいことやってるって感じ。野田洋次郎くんは相変わらずいいですね、泣き虫しょったんのときも良かった。こういう朴訥とした役やらせたら今一番かもしれません。彼はミュージシャンとしての成功があるからなのか、他の俳優たちみたいな「俺が!俺が!」感がない。見習ってほしい。
あとそもそも話が全然新鮮味がない。盛り上がりがない。志村けん、こんなもので晩節を汚さなくてよかったよ。
やりきれない映画だった
映画としては、敢えて手を挙げた沢田研二の男気、美しかった北川景子、可憐な永野芽郁が目立った。
以前BSテレ東で見た時には、主人公ゴウ(若い時は菅田将暉)が撮影所にいたという、原作にはない設定が出てきた段階(過去パート)で、それ以上見続けることが難しかった。第一、同じ監督さんが作った1986年の「キネマの天地」とそっくりだと思った。「天地」が1930年代、「神様」は、本当は50年代終盤だろうけれど(69年とされていた)。BS260で放映された時、現代に戻るところから視聴を再開した。
ここでは、ゴウ(沢田研二)が書いたシナリオに関する展開が付け加えられている。それ自体はご愛嬌としても、過去パートの撮影所場面で出ていた原節子を思わせる女優(北川景子扮する桂園子)が再び登場して、長い間ゴウのために尽くしてきた淑子(若い時は永野芽郁、後半は宮本信子)の一番良いところを根こそぎ奪い去ってしまう。あの監督さんは、もともと、小津さんの古いホームドラマを否定したくて映画を作っていたのではなかったのか。これは原作とは全く異なる筋立て。
マハさんは、なぜこんな映画に、ご自分の名前が原作者として載ることを許されたのだろう。この映画ができたことは、百歩譲って仕方ないのかも知れないが。
おやおや?
原作は未読だけど、原田マハは好きで、何作か読んでいる。この方の作品は、だいたい読んでスッキリするから、元はもっといい話じゃないだろうか。なんかタイトルがハマるから映画にしたけど、原作のエッセンスは再現してない、という気がする。まあ、いろいろ事情はあったとは思うけど、映画の出来とは切り離して考えたいかな。
ゴウの若い頃は、賭け事にのめり込む描写はなく、映画作りに精を出す、好青年だった。プレッシャーに弱い面はあったけど、平気で借金したり、人に迷惑かけて開き直るような男じゃなかった。そうすると、淑子が甘やかしたってことかな。自分は幸せにしてもらうんじゃなく、自分が幸せにするとタンカ切ったのは、何だったのか。あんなに気丈だった娘が、なぜ弱くなっちゃったの?
ストーリーがとっ散らかっているが、北川景子の昭和女優ぶりは素晴らしく良かった。あと、野田洋次郎もいい感じだった。ギターをポロポロ弾くところ、もっと聴かせて欲しかった。
BS松竹東急の放送を鑑賞。
何で東村山音頭が出てくるの?の謎が最後に解けた
団塊世代にいいですね
山田洋次ワールド全開
ちょっと残念
同じ人物の若い頃を演じる役者と現在を演じる役者が主人公を含めて各々まるで似てないのが最悪。面影すらない。北川景子の昭和の女優存在感は抜群だったし、各役者の演技はとてもよかったので残念。劇中、テラシンが面接で年老いた淑子に雑談まで気がつかないのはおかしいよ。履歴書に淑子の名前があるだろうに、淑子だって気づかないかね?まさか似てない役者を使った事に忖度したワケでもあるまいに、、。
セリフで話を進める
本作しか知りません。
若い頃のゴウが、責任の重圧に体調悪かったりケガしたりしたけれどもそれで退職するというのが理解しにくかったです。本人自身、脚本も書くぐらい映画を愛し作品を生み出す意欲も力も持ち合わせていた筈であるにもかかわらず。
また、社長が、若いゴウを監督に抜擢したぐらいなのにすんなりと辞めさせるのもわかりませんでした。
ゴウの若い頃と現在の姿も繋がりにくく、現在の姿になるほどギャンブルにのめり込んでいたのかどうか、若い頃からは想像できませんでした。
しかし、各箇所でセリフでそのように決定づけています。授賞式の場面でも、娘の歩が代読したメモ書きがはたして泣ける文章だったでしょうか。歩も淑子も泣き病室のテラシンも「さすが脚本家。」と褒め称えていましたが、あの短文では理解できません。
映像では噛み合わないいろんなチグハグな要素をセリフでこうだと断定して脚本家や監督の思い描く方向へとムリムリ引っ張っていこうとする作品に感じました。
全世界自粛が飛び交う悪夢のような非常事態宣言の中、ダメージを食らった映画界をどうにか立て直したい気持ちからなのでしょうか。
あの娘歩が代読したメモの文章力で伝統ある脚本賞がとれるわけない、と思ってしまいました。
全281件中、1~20件目を表示