2人のローマ教皇のレビュー・感想・評価
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保守と革新の対立と友情
サン・ピエトロで撮影するなど、かなり贅沢でNetflixがここまでの作品が作れるようになったと感じさせられる作品。途中までは完全にベネディクトの保守的で排他的な側面を多く見せ、誰からも好かれるベルゴリオ(現在のフランシスコ)の建設的な立場に誰もが共感し、もどかしさ、悔しさを感じたのではないだろうか。一方最後には2人の友情に繋がるハッピーエンドになるのだが、あまりにもベネディクトが可哀想で絶対的な悪としては見れなくなった。時代の変化についていけなくて、もがき苦しんでいただけ。もしかしたら、共感すべきはこちらだったかもしれない。
日本人としては宗教はかけ離れたものに感じるが、教皇であっても感じている問題は近く、2人の関係性にも同じような境遇に出会したことがある。かなり宗教が身近になった瞬間だった。
カトリックとしては最高のPVじゃないだろうか。
キリスト教とサッカーの話
【”思想信条の違い”を、相手を思い、敬い、そして赦す事で乗り越えていく崇高さを描き出した作品。永く記憶に残るだろう作品でもある。】
ー今作品が素晴らしいのは、ローマ教皇を聖人ではなく、世俗の垢を拭いきれない一人の悩める人間として描いているところである。-
冒頭、2005年のコンクラーベの場面から物語は始まる。
ここでは、3回目の投票で教皇(ベネディクト16世)に選出された(白い煙・・)、ラッツィンガー枢機卿(アンソニー・ホプキンス:保守派:ドイツ)を始め、ベルゴリオ枢機卿(ジョナサン・プライス:改革派:アルゼンチン)らが、同じカトリック教徒ではあるが、思想信条が違う事がさり気無く描かれる。
そして時は過ぎ、ベネディクト16世に”ある事”が起きる一方、ベルゴリオ枢機卿は辞職を申し出るが、逆にベネディクト16世からバチカンへ来るように連絡を受ける。
―この、タイムラグの妙味が後半明かされる。-
ーベネディクト16世(以下、教皇)とベルゴリオ枢機卿の教皇の別荘での二人きりの会話ー
ベルゴリオ枢機卿の若き日の自らの告解のシーン。”神は全てお見通しだ・・”そして、教皇がピアノでスナメリの曲を弾くシーンで若き日の恋を思い出す・・。
”イエズス会ジョーク” 祈りながら喫煙するのは許されないが、喫煙しながら祈るのは許される・・など、楽し気な会話も交わされる。
(■この部分、あるレビューの方からの鋭い指摘で修正しました・・、すいません・・。)
そして、教皇の口から出た言葉。”いつも独り・・”
”ある出来事”のため、急遽バチカンへ戻る二人。
そして、”私を戒めて欲しい”と潔く身を引こうとする教皇。教皇は終身制だと言って引き留めるベルゴリオに”君なら教会を改革できる”と言う教皇。
ベルゴリオは苦々しい、過去のアルゼンチン軍事独裁体制時に自らが取った行動を告解するが、教皇はベルゴリオの頭に手を乗せ、“赦し”を与える。
ーベルゴリオの1983年軍事政権崩壊時の失権から1998年、彼が多くの民衆に法話を聴かせるシーンが描かれる・・。彼が時間をかけ、罪を償ってきた事が分かる。ー
そして、逆に教皇が”ある出来事”を宮殿の”涙の間”でベルゴリオに告解する。ベルゴリオは、驚き、叱責するが、矢張り教皇を“赦す”。
-街中のピザを二人で並んで食べるシーンが良い。それまで、食事は独りだった教皇がピザにかぶりついている・・。ー
そして、二人でゆっくりとお互いの手を肩と腰に回し、ステップを踏んだ後(ベルゴリオは恥ずかしそう・・)別れる。
2013年、教皇が大広間で重々しく何か喋っている姿がベルゴリオの部屋のTVに映し出される。
愉しそうにベルゴリオは言う。”教皇は言いにくい事はラテン語で言うんだ・・”
ーもはや、二人は思想信条を乗越え、お互いの立場、考えが分かる友人であることが良く分かる。-
そして、ベルゴリオはコンクラーベで新たな教皇になる。彼が教皇になった際、慣例の服装をやんわりと断り、民衆の前で”最初に”言った言葉。
”我が名誉教皇、ベネディクト16世に祈りを”
2014年、ワールドカップ決勝(ドイツVSアルゼンチン)を二人で並んでピザを食べながら、TVで一喜一憂しながら観戦するシーンも良い。
(絶妙に上手い、脚本だなあ・・。)
<清廉だが、人間味溢れる二人の教皇が交わす言葉の数々が心に沁み渡る。生きる上での”金言”満載の映画である。>
男同士の友情物語
いい映画だった〜
違うふたりが出会う。だからこその恩寵。
キリストだったり仏陀だったり、信じる対象は異なっても、宗教は生きづらさを少しでも助けたり支えたりしてくれる、人類に平等なものだと思います。
でも、全ての組織にいえるのかもしれないけれど、大勢の人が集まってくると、必ずパワーバランスや考え・感性の違い、そしてそれが軋轢や争い、闇も生みます。正しく堅牢にしようとすると、堅い殻の中で、何か空気が澱み、おかしな感じになっていく。
昔も今も、体制へ意見し風穴を開けようとすることは、キケンを孕みます。特に、自分が勝つことにこだわる人が上に立つと、違う意見は潰され、排除され、存在ごと消される。いつしか組織は、上に気に入られるかどうかが評価基準となり、不祥事が起きても蓋がされ、シモジモの声は置き去りにされていく。
意見する方も、諦め、離れることで生き延びようとする。
異なる意見=風を入れると体制が揺らぐかもしれない。きっと上に行くほど、不安は告解出来なくなる。本音での対話を避け、不信が生まれる。
「不信」は、感染するのが怖いですね。そして、人を信じられないのはやっぱり、気の毒だ。見過ごせない。教皇はいつも食事を、1人で、とっているのです。相当これは不信病、重症です。愛を説くのがキリスト教、そのトップがそういう事態になっている。
不信、それに対する予防や治療の術はあるのか。
教皇が云います。「神の声が、最近は聴こえなくなってしまった。」トップの、きっとはじめて吐く弱音。多分、神の声を聴くくらいの真剣さで、人の声を聴かないといけない。でもそれにはまず、本音を吐き出さないと。吐き出して、初めて人の声が入る余地ができるのでしょう。そしてそれは、教皇だけでなく、私たちも同じ。吐き出して、且つ、聴けたら。
私も努力してはいるけれど、もちろん、必ずしも、話せばわかりあえるわけではない。そんな簡単じゃないことも、生きていけばわかってくる。新たに教皇になる方も、辛い過去がある。人間らしく人生を楽しみたいだけなのにね、本当に。新教皇、応援してます。
教皇だって人間だもの
辞めたい。辞めないでほしい。
タイトル通り、2人のローマ「教皇」の対話を中心としたヒューマンドラマ。実話を元にした作品であり、彼等は実在、というかご存命だし、教皇今もやってるし。日本にもいらっしゃいましたね。
カトリックの信者減、幼児虐待、移民問題等等、社会情勢もかなり入っており、メッセージ性も強め。
ただ、2人の人間としての悩み・理解がメインなので、硬派過ぎない仕上がりです。踊ったりはしゃいだり、コミカルな部分も多いし。なぜ彼等がお互いを理解するに至ったのか、ふに落ちないところは多かったですが…
壁画の意味や2人の立場(世界的な影響も絶大なはず)など、宗教的知識があればより楽しめたのだろうな…
良作、ホッコリする良い話ではあるものの、キリスト教に特に思い入れがない(知識も乏しい)私にとっては、それ止まりの作品でした。
必要なのは壁でなく橋
81席シアターを独占鑑賞。淡々と進む展開で共感できるような内容でもなく退屈でした。それでも印象的なセリフがあり「必要なのは壁でなく橋」は心に響いた。
また最後に2人が繰り広げるドイツVSアルゼンチンのサッカー観戦シーンは心が和みました。
2020-32
よい人間ドラマ
宗教界のアイドル的存在”パパ” ローマ教皇ふたりの語り
ラテン語でヒソヒソ、共通語の英語、ベルゴリオのスペイン語と、ベネディクトのドイツ語と…ローマなんだからイタリア語もあったのかな〜(聞き取れない)
最初は保守的なベネディクト16世と革新派のベルゴリオの会話はまったくの平行線で
相容れない雰囲気だった…どこでその空気が変わったのか、もう1度見ようと思う
話が進み、見慣れてくると、ふたりともとてもチャーミングで微笑ましい
ここがこの「映画」の秀逸なところかな
宗教〜キリスト教〜カトリックのよくある質問的なタブーに生々しく切り込んでいると思う
神を信じる者として個人的にはヒエラルキー・組織的な教会には否定的だし、
ケバケバしいセンスにもひくし、イエズス会なんて善なのか悪なのかわからない
だけど、究極的なアイドルは存在してても良いのかな〜うちの(日本の)天皇さまとか
こんな映画が観たかったんだ!!
間違いなく現時点での2020ベスト映画!
ふたりのストーリーをずっと見ていたくなった。
これは対立の物語では無く、ふたりの罪と赦しの物語だったんだ。と後半ようやく気づいた。もうそこから涙が止まらなくて…
ストーリーも凄くわかりやすくて万人向け。
シーンのつなぎも面白い。ちょっとした言動がふたりのキャラクターを示しててそれがまた、真逆なのが面白いんだなあ。これが実話なのだから凄いよなー。
これだけシリアスで繊細で扱いづらい内容を、コメディ混じりに、でも真剣に作り上げたことに脱帽。
映画はこうでないといけない。笑えて、泣けて微笑ましくなる。そして最後には感動があり、私たちの明日を生きる糧となる。現実に戻す境界も映画に含まれる要素でしょ。そういう意味でも作品賞を絶対にとってほしい1本。今の暗い世の中に信じるべきものや信念を示してくれる作品だった。
実際に、2人の教皇がだいすきになったし、史実と、実際2人が歩んできた道や葛藤が見えて、きっとこの想いは庶民にも届くと思う。
この映画見ると絶対お気に入りのシーンができると思う。サッカーとダンスのシーン。あとピザも。
アカデミー、ホアキンが強いがジョナサンプライスが獲るべきだと思わざるを得ない演技。なにあのずっと泣きそうな感じの演技。目がうるうるしてて赤いの。しかも当人に激似。そしてリスペクトも感じました。
アンソニーホプキンズもなーーめちゃめちゃよかったのですよ。あの自然体な感じ。目の奥が笑っていない感じ。ピザ初めて食べたみたいな表情。そんで大声で怒るときにはもはや泣きそうになったよね。
作品賞もどうかとっていただきたい…
最近のなかではそれほど良かった作品。配信という形ですら、貧困社会で出来るだけ多くのひとが見れる形だと思う。
間違いなく脚色賞は取るんじゃないかな。
監督誰だろうと思っていたら、シティオブゴットの人だっだのね。絶対みます。
間違いないやつ。コンクラーベの中はこんななのかー。 ほぼフィクショ...
魂が洗われるような佳作
現在のローマ教皇ベルゴリオの人となりは、2017年に観た「ローマ法王になる日まで」でひと通り紹介されていた。本作品では生前退位したベネディクトとの関わりの中で、長い間の信仰についての真意を吐露する。
本作品は、権威主義的な世界観だった「ローマ法王になる日まで」とは一線を画し、現ローマ教皇と次のローマ教皇が虚心坦懐に語り合うシーンが中心だ。映画だから本物の教皇がどう考えているかは別の話ではあるが、本作品の中では権威主義に縛られているのは教皇庁であり、教皇本人は権威主義とは無縁であるように描かれている。実際のベネディクトやベルゴリオの演説などを聴くと、本作品の教皇は実際の教皇に近いのではないかと思われる。
サン・ピエトロ大聖堂の威容やシスティナ礼拝堂の見事な天井壁画の下での会話で、ベネディクトはそこに描かれた神は神ではなく人間だと喝破する。聖職者にとって神は見るものではなく、その声を心で聞くものであり、その存在を感じるものなのだ。
初代ローマ教皇は十二使徒のひとりであるペテロ(ペトロ)であったらしい。神の子イエスの使いである。二人は教皇が神の使いに過ぎないことを知っている。神の権威を借りているだけなのだ。教皇庁と教会にはそこを誤解している人がいる。人間はどこまでもひとりの人間に過ぎず、何の権威もない。二人は虚栄心や自尊心を捨てて、信仰と真摯に向かい合う。夜の会話。聞いていてとても心地のいい会話である。ドビュッシーの月の光の旋律が美しい。
ドイツ人のベネディクトとアルゼンチン人のベルゴリオは英語とラテン語で語り合う。ベネディクトが英語の多義性を嘆くシーンが面白い。意味に幅のある言語は、誤解を生みやすい反面、短い言葉に多くの意味を含ませることが出来る。
当方はクリスチャンでも仏教徒でもないが、聖書の言葉や仏教の経典には真実が含まれていると思っている。もともとの言葉は書かれた言葉ではなく、語られた言葉である。あるいは歌である。しかしイエスもブッダもいなくなると、口伝か、紙に書かれた言葉を読むしかない。
ドイツ語の聖書、スペイン語の聖書、英題の聖書、そしてラテン語の聖書。現教皇と次期教皇は様々な言語の向こうにイエスの言葉、神の言葉を聞こうとする。まるで虹の向こうに行こうとする子供のようである。しかしふたりは子供ではない。汚れつちまつた悲しみを知る大人である。それでも聖職者である。汚れを振り落として心を無垢に保とうとする。その努力が美しい。魂が洗われるような佳作である。
神聖な気持ちになれた(^ワ^)。
ローマ カトリック教会の総本山を垣間見ることができた。
これだけでも何となく神聖な気持ちの自分(^ワ^)。
宗教とか難しいことを通り越して、教皇や枢機卿がとても身近に感じられた。
当たり前ですね、人間ですから。
脚色の部分がまったくわからず、まったくの実話だと思い込んでしまいました。
ジョナサン·プライス!
辞めたい専務と辞表を受け取らない社長の内緒話。
「この世にアメリカ大統領が最敬礼する相手、つまりアメリカ大統領よりエライ人は3人で、それはイギリス国王とローマ教皇と天皇陛下である。」なんて話を聴いたことがありますけども、もうそこまでエライ人になると「権力者としてオイシイ思いをする」なんて次元ではなくて「ただただ重圧がタイヘン」という立場でしかないんじゃないかと思いますよね。
そんな立場を死ぬまで背負わされることなく、平成天皇は生きて令和天皇にバトンタッチを成し遂げたということで、僕は「良かった。あぁ、お疲れ様でした、どうか今後は現人神ではなくひとりの人として穏やかにお過ごし頂きたい」なんて思いましたけども、
そういうバトンタッチが2012年、「ローマ教皇」というポジションでもあったというお話。そんな実話をNetflixが劇映画として制作したのがこの『2人のローマ教皇』という作品なんですね。
“カトリック教会”をひとつの会社に例えるとしたら、本作でアンソニー・ホプキンスが演じるローマ教皇は社長さんですよね。そしてジョナサン・プライス演じる枢機卿、会社で言えば専務取締役とかくらいの立場になるんでしょうか。その専務がある日、社長のところに辞表を提出しにやって来るんですね、「社長、もうこの会社の方針や体質は古すぎて時代に合ってないですよ、だから僕はもう辞めます」と。
でも社長のアンソニー・ホプキンスは、「まぁまぁ、とりあえずワインでもどう?」みたいに、はぐらかすやらスカすやらで辞表を受け取ってくれません。専務はなんとか辞任を認めてもらおうと粘り強く話を重ねていくんですが、その過程で社長の真意や人間性が見えてくるんですね。そしてある決断を迫られた時、専務もその生き様や背負ってきた思いを吐き出すこととなるわけです。
社長と専務はそれぞれ、いったいどんな思いや苦悩を抱えていたのか?
なるほど、この2020年代になっていく今、映画化されるべきテーマが語られていると思います。オススメ。
教皇と神の関係
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