「『我が願いは君に心を開くこと』」愛の小さな歴史 誰でもない恋人たちの風景 vol.1 いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
『我が願いは君に心を開くこと』
間違っているかも知れない。何回も作品の中で主人公や後輩の男が諳んじていたり読んでいたりしているのだが、この詩文がゲーテの“西東詩集”に登場しているのか、それとも今作品の参考文献の中に記載されているのか、とにかく遺品である文庫本が死んだまま、血と体液の汚濁水が塗れている状態で手に持たれているという設定なので、確認が取れなかった。パンフには解説が記載されているかも知れないので、ご存じの方はご教示願いたい。多分、あの数センテンスの文章が今作品の最も重要なファクターである筈だから。
ストーリーとしてはそれ程難しくはない。古本屋の亭主の後妻に収まった主人公の女が、しかしその夫婦生活に馴染めず心を閉ざしている。ハッキリとは明示していないが、亭主のどこか独善的思考、デリカシーの欠如、そして夭逝した前妻への思慕が原因なのであろう。そんなまだ24歳の年齢にして現実感が浮遊している状態で暮らしている女が、亭主の小さい頃の年下の幼馴染みと知り合う。死んだ自分の父親の遺品である沢山の本を処分する為だったのだが、いわゆる孤独死で亡くなった父の最後の読本だった内容に酷く心を惹かれ、又、その詩人である父の繊細な言葉の取捨選択さに、益々心の渇きを潤してくれる。それは亭主のがさつさ(表面上は優しいが裏に潜む非礼さ)に嫌気が差していることに無自覚な女が始めて自分の生まれた意味を見出す時だったかも知れない。それは父親への敬意を蔑ろにしていた男も同じであり、父親の若い愛人からの生前の暮らしを聞かされて始めて一人の人間としての父親を認めることになる。そんな共有した気持が邂逅し、二人は惹かれ遭ってしまう。そして、今の安定した暮らしを捨てて、始めて共生する道を、近い将来盲目となる男と選ぶことになるのである。一方亭主も又、実は女を本当に愛していないことに気付き、以前女のヌードが掲載されていた雑誌きっかけでの薄い情を自覚する。それは、ラスト近くの先妻の幻が生前は一切歌声を披露したことがないのに、鼻歌が聞こえてきたことで心の気づきが表現される。それはこの古本店そのものが嘗て、そして今も愛してる先妻そのものだったということに。
映像、効果、そしてストーリーそのものが文学性を帯びていて、シンプルだけど大変叙情的に思惑を浮遊させる作りである。倫理的にどうこうという輩もいるかもしれないし、そういうことに煩い人は苦手であろう。何せ、それ程葛藤観もなく、いわゆる“不思議”ちゃんが、ハードルを易々飛び越え、道徳観よりも自分の抑制されていた心に赴くのだから。しかし、そこは裏切るとかのネガティヴさが無いのは登場人物が誰も心に傷を持ち、そして少しの罪を抱えているのだ。そこは丁寧に描かれているから、或る意味『成るように成る』的な運命に従う進行になっている。なので自然と肯定感も生まれてきて、逆に安心して展開を眺めていれるのである。主人公の女優の体当たり演技なんてのは常套句で、濡れ場や自慰、そして鼻水を垂らしながら泣くシーンも、そこまで力が入ってなく自然な演技が出来ていたのは良かったと思う。決して難しい内容ではないだけに、それをゲーテからインスピレーションを得ての昇華を表現できたのかどうかは自分には解らない。しかし、少なくても切なさや哀しさ、そして運命みたいなものを静かに印象付けた今作は良作であるということだけは充分理解出来る。草木や花びらに触るように、女性を扱い愛する事。その繊細さ、優しさを痛いほど教えて貰った。そして古書店はまるで浜辺に打ち上げられたようなものという表現は、その本自体、元々所持していた人達の想いが強く宿っていることも・・・。スズカケノキの名称がこれ程素敵に映える作品は今まで観たことはない。