「サルトルのお尻にも…」死にたくなるよと夜泣くタニシ いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
サルトルのお尻にも…
“OP PICTURES+フェス2019”作品群の1作品。
気付かなかったが、題名そのものが回文となっていて、それも一つの仏教的思想に則っているようである。作中の『奈落迄、腕枕な』はかなり厳しい出来だが(汗
監督がかなりブランクがあっての久しぶりの作品らしいのでかなり凝った作りにはなっている。相当クセのあるストーリー内容なので、「岬の兄妹」の和田光沙が主演というのも頷けるし、実際セクシー度はかなり低い。なので興奮というよりはギャグ色の強いハートフルなジャンル分けということになるだろうし、このジャンルは確かにピンク映画の一つのカテゴリであることが分る。結局、営業のおじさんはガンで亡くなってしまったのか、それとも生きていているから同じ部屋に住んでいるのかはハッキリしないので、完全なハッピーエンドかどうかは観客の判断に委ねるということなのであろうか。
前述だが、いわゆる『輪廻転生』、『庚申』、『宗教に於ける自殺の罪』みたいなものがテーマとして掲げている本作の特徴がフラッシュアニメのようなコマ落ち動画を随時挟み込む演出効果を成されている。勿論質は残念な出来なのだが、これも“味”ということで使用されているのであろう。特にメフィストフェレス的立ち位置(地獄へ誘うのではなく、地獄行きを忠言するという違いはあるのだが)である、“ギョウ虫”のキャラ画は大変お粗末であり、もう少し何とかならなかったのかなと案じてしまう程である。まぁそこも“寄生獣”を意識し過ぎないように敢えて子供の描く下手画に落とし込んだのかもしれないが、実写に落とし込むアニメはかなり昔の演出であり、そのレトロ感を楽しめるかが本作を面白がる分水嶺であろう。ちなみに自分は昨今の邦画の質向上故、かなり斜めに観てしまっているが・・・ストーリー的にはテーマを調べればその説明に於いて、頑張ってまとめていることは充分伝わる。“光源氏”を出して来たのは理解出来なかったが、これも何かに関連しているのだろうか。殊更に論うと醒めてしまうかもしれないが、伏線と回収という流れそのものはかなり強く意識されている内容である。但し、それが説明に始終してしまうので感情移入は出来にくい構造になっているのが厳しい。そのせいだろうか、他の作品に比べて濡れ場の割いている時間は少ない。これは大変良い傾向だと感じた。とにかく冗長の性交シーンは、飽きと覚醒と、同時に起こる羞恥、いわゆる『悟りタイム』を誘発してしまうのだ。効果的に、しかも大事なのは必然。それが自然又は超自然(シチュエーションの不自然さをしかしその瞬間の登場人物の人間的行動によって必然へと勘違いしてしまうこと)に運ばれてその官能シーンを表現出来るのだと思うし、そもそもエロが目的ならば、ネットで只で溢れている。その考えから本作を鑑みると、そもそも容姿的には主役レベルではない主人公役の和田嬢を抜擢したら、官能というより、生身の人間の情けない猥雑さや、現実の惨めさ、そしてそんな日常のリアリティを披露することで、強調された滑稽さがこの世のほんの小さな幸せの予感を教示できる建付けになるのは当然なのである。そういう意味に於いて、今作は万人に受けるカタルシスを伴っての内容ではないが、クズな腐女子が自殺未遂を乗り越えて、人生肯定を苦行の如く行なう事で幸せという偶然が実は足下に転がっているんだよと言う寓話であることは誰の目にも明らかなのである。もしかしたらエロ要素そのものが蛇足だったかも知れない、かなりの『御説法』映画だったのである。