「「ジェラシーというモノは何という悪徳だ」」やりたいふたり いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
「ジェラシーというモノは何という悪徳だ」
“OP PICTURES+フェス2019”作品群の1作品であり、過去の作品群も含めて頭一つ飛び出してる。
映画館入口にて配られていたビラの文章を引用すると『変態夫婦による愛の物語を多視点で描く本作』との撮影技法を紹介していたが、確かに本作はかなり作り込んで、凝った映像が目白押しの内容であり、これがピンク映画作品なのかと思うと、この可能性の広さは全く一般作品と遜色ない、それ以上のハイクオリティであると強く感じたのである。多彩な手数と、キチンと濡れ場での扇情度の保持だが、無駄に冗長にならずにコンパクトに纏めた性交時間や、カット割りでの興味の持続の演出、場面転換での小気味よい演出等々、この監督の才能の高尚さに称賛を贈らざるを得ない。
テーマ性からして、かなり哲学的要素を選んだのも興味深い。“NTR”(寝取られ)というジャンルは主にエロ漫画に於いて発展していったのだが、それがAVに移行すると途端に生臭くなってしまうところが欠点であった。“嫉妬”という負の要素を色情に変換させる心理転換は、かなりの精神的特異性が必要であり、通常の人間ならば、その負の要素から自らを遠ざけようと自然に心を別場所に移すのだが、そこにリビドーを直結させるという高難易な自己催眠に近い変換は決して解読不可な破綻した方程式であろう。哀しさで興奮するなんて芸当は、先天性のなせる技かも知れない。そんなテーマを、一組の夫婦のそれぞれの視点から、その言い分、見方の差違を通じて、尚且つその両方を知る第三者である男の浮気相手の視点も拗込む事で益々カオスなストーリー展開を拡げる展開へと進んでゆく。一体誰が嘘をついて、誰が本当の話なのか、という“信用のおけない語り部“の技法を入れつつ、登場人物が同じだがいわゆる”グランドホテル方式“の同一時間及び同一の場所での異なったストーリー展開として、魅惑さが加速していく。細かい編集に於いても、シーンの最後に精液が垂れるところで、次の転換でその垂れる様をコーヒーにミルクを垂らすシーンにオーバーラップさせるという映像は白眉以外に思いつかない修飾語である。それをキチンと狂言回しとして取材する漫画家という役柄を設定させることで整理も付きやすい親切設定。クライマックスでの狂言回し自身が自分も混沌に引き摺られてしまい、その演出でのワンカット長回しは、『カメラを止めるな!』を相当研究した習作として高度に再現性が高く、余程頭脳明晰な監督であろうことは直ぐ理解出来る。ラストは描かなくても良かったのかと蛇足感も感じたが、しかし女が離婚して5年経ってもやはり男を愛していて、その男が映る流失映像でのプライベート性交シーンに於いて、浮気相手を自分に置換して、泣きながら絶頂に達するという心理描写を重要なメッセージとして訴えたかったことなのだと鑑賞後に改めて思い返すことが出来た。相当の秀作を観せて貰ったことに感謝したい。74分という短時間で凝縮された高品質な作品であることは間違いない。